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14 集落の活動人口

奄美大島の小湊という集落で暮らしている。278世帯、人口は女性が189名、男性が206名。合わせると395名だ。北海道の、私が通っていた小学校の児童数が、1クラス32〜33名で、2クラス編成だったので6学年で390名前後だったかと思われる。そんな規模感の集落だ。見知らぬ人が集落を歩いていれば、すぐに気付く。
 
集落では月に1度、共同作業が行われる。公園や海岸、農道の草刈りなどが主な作業だ。主に男性が草刈機を使い、女性は鎌で草を刈る。刈った草は熊手やレーキで集め、樹木の根方に積み上げておく。作業に参加するのは40〜50人ほどで、たまに参加者が少ないと1人あたりの作業量が増えて大変な思いをする。
 
集落の395名のうち、約100名は75歳以上の高齢者で、10名が小学生である。施設に入所したり入院中の高齢者も10名ほどいる。乱暴に引き算をしてしまえば残りは275名だが、体調が悪かったり体にハンディキャップがあったり、またはこういった共同作業には参加しない主義の人だっている。そんなことは自由なのである。誰も強制したりはしない。
 
共同体の力は活動人口の数で表すことが出来る。活動人口とは共同作業に参加する人数である。それは必ずしも総人口に比例しない。では活動人口を増やすことは可能なのだろうか。
 
共同作業に参加する理由には、世間体や疎外への恐怖など陰性の動機もあれば、純粋な貢献意欲など陽性の動機もある。私自身の動機は、「あの人たちだけに大変な思いをさせるわけには行かない」というものである。それは作業の大変さを知っているからでもあり、また親しい人たちへの共感でもある。誰かにだけ苦労させて自分だけ楽しようと思えるほど、私は図太い人間では無い。そうした場合、逆に精神的な重荷を背負ってしまうような気がする。
 
してみると、活動人口は共感の規模に比例するのではないか。共感とは相手の気持ちがわかると言うことだ。相手の気持ちがわかるためには必ずしも仲良しである必要は無いが、会えば挨拶を交わし、たまに機会があれば一緒に酒を飲むくらいの関係性があれば良い。顔見知りであるという事だ。ならば、企業にも最適規模があるように、集落にも活動人口が最大化する最適規模があるのかも知れない。私には、見知らぬ人が集落を歩いているとすぐに気付くことの出来る今の集落の規模は、ちょうど良いのではないかと感じている。その中で酒飲み友達を増やして行けば、集落の活動人口はおのずと増えて行くのではないか。・・・よし、酒を買いに行こう。

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