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11 地域づくりのこと

ここ(note)に綴っている一連の文章の中で、頻繁に「文脈」という言葉を使っている。「物事のなりたち」とか「背景」といった意味である。

私が以前暮らしていた愛知県から奄美大島へ越してきて、約4,500日、12年と4ヶ月ほどが経過した。この12年の間に積み上げた、島の集落の人たちとの関係性とか、島での経験や行動、これらは私の文脈である。誰かが奪ったり、また奪われたりするものではない。ゆえに、文脈こそが私自身であり、私が私たるユニークな識別子でもある。家族にも文脈があり、集落にも、そして今暮らしている奄美大島にも、文脈がある。

島の出身者の中で、「島を守らなければ」と鼻息の荒い言葉づかいをする人がいて、実は辟易している。守るというからには侵犯する者があるわけで、いったい何から島を守るのかと、その言葉を聞くたびに思ってしまう。中国か、ロシアか。そんな国際問題ではなく、地域づくりの話のはずなのに全くおかしな言葉づかいである。何かしらの臆病さと傲慢さと利己心が感じられて仕方がない。腹さえ立つ。「きっと『地域づくり』と言いたいところを・・」と、善意に受け止めようとしても、「誰かの感情を煽り立てて煽動しようという気持ちが図らずしも表われてしまったのだろう」と、やはり利己心と傲慢さを前面に感じてしまう。だから、「きっと言葉を探したけれども見つからなかったのだろう」と、もっとも善意な形で捉えることにした。

もし上記の人に言葉を提供するとしたら、「島を育てよう」ということであろう。何かしらのアンバランスで未全な部分を、人の暮らしを豊かにする方向へ、文脈や背景を活かしながら育ててゆく。育成には時間がかかる。子どもが大人になるには20年の歳月が必要で、どんなに大人が頑張ってみても短縮することは出来ない。地域だって同じだ。今ある文脈に、縁を寄せ縁を継ぎ、育ててゆく。

島へ来て12年間かけて育て上げた文脈で、私は今、集落の中心になって地域づくりを進めている。育成は、ただのアイデアマンには出来ない。それまでにどれだけの文脈を紡いで来たのか。それが最も大切なことである。

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