18 故郷の力
4月なかばから約半月ほど北海道へ帰省していた。私は佐呂間町の高校を卒業して以来、ずっと北海道を離れて暮らし、もう35年以上も北海道は「数年に一度、帰省する場所」である。それが何を意味するかと言えば、まず、肉親や友人が北海道弁を話していることに気付くようになる。私自身は大学時代に初めて本州暮らしをした際、友人との会話で「なんもなんも」と返したのを笑われ、そこで自分は北海道弁を話しているのだと認識した。ある時、ラジオで長崎生まれのさだまさしが足寄の松山千春の家を訪れた際に、松山の母の「なんもジョッピンかって寝ればいっしょ」との言葉を、意味のわからなかった北海道弁として笑い話にしていた。それと同じ感覚で、つまり35年も地元を離れて暮らすと、こちらが北海道弁を相対的に感じる側になってしまうと言うことだ。
しかしそれにしても残雪の残る北海道の山々の風景は懐かしく、子供の頃、毎日眺めていた佐呂間の山並みを足を止めて眺めた。当時の自分の部屋には、たしかボーイスカウトの大会で貰った、元北海道知事・町村金五による「開拓魂」の揮毫を飾っていて、その言葉は、奄美大島で暮らしている今でも胸の奥にデンと座っている。自分の中の国歌は「君が代」ではなく「大空と大地の中で」であり、ときおり目を閉じてそれに聞き入っている私を、妻は冷ややかに見ている。ちなみに妻の中の国歌は、阪神タイガース球団歌「六甲おろし」なのである。
いずれにせよ自分は道産子であるという意識は、「開拓魂」の言葉とともに大いなる誇りとして、生き方のベースにある。帰省するごとに私は、「いま住んでいる場所なりの原野」を開拓しようとの息吹を得る。草木の生えた本物の原野ではないが、人には「いま・ここ」に広がる課題群という原野がある。かつて故郷を切り拓いた先達に笑われない生き方をしようとの覚悟を、帰省のたびに故郷はくれる。