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2 私と万年筆

夏目漱石の随筆に『余と万年筆』というのがあって、その中にこうある。
「万年筆道楽という様な人があって、一本を使い切らないうちに飽きが来て、又新しいのを手に入れたくなり、之れを手に入れてしばらくすると、又種類の違った別のものが欲しくなるといった風に、それからそれへと各種のペンや軸を試みて嬉しがるそうだが、是れは今の日本に沢山あり得る道楽とも思えない。西洋ではパイプに好みをもって、大小長短色々取り交まぜた一組を綺麗に暖炉の上などに並べて愉快がる人がある。単に蒐集狂という点から見れば、此パイプを飾る人も、盃を寄せる人も、瓢箪を溜める人も、皆同じ興味に駆られるので、同種類のもののうちで、素人に分らない様な微妙な差別を鋭敏に感じ分ける比較力の優秀を愛するに過ぎない」
 
万年筆の話だ。漱石のこの文章を読んだ当時、自分はひとつの物を長く使い続けるタイプの人間であって漱石の言う「蒐集狂」とは対極にいるというのが感想であった。実際に19歳の時に購入したパイロットのCUSTOM67と言うモデルは25年ほど愛用した。しかし、である。何故か現在の私の手元には8本の万年筆がある。数十本も持っている本物の蒐集家から見れば可愛いものなのだろうが、私もまた漱石が綴った蒐集狂の入り口にいて、「素人に分らない様な微妙な差別を鋭敏に感じ分ける比較力の優秀を愛するに過ぎない」のだろうかと考え込んでしまう。しかもこの8本はすべて、ここ3〜4年の内に購入したものである。
 
ただひとつ弁解するならば、私の場合は蒐集ではなく、より使いやすいものを探し求めた痕跡として、現在の8本があると言う点である。その扱いにくさから日用品の立場から淘汰され、現在は手間ひまを楽しむ趣味人のものとなった万年筆に使いやすさを求めるのもアレなのだが、愛する万年筆を日常、生活の場で現役選手として使いたいと願うのも人情なのだ。そこで以前ここにも書いた、パイロットのキャップレスの出番である。万年筆の扱いにくさに立ち向かったキャップレスは、現代人の生活でも常用し得る万年筆だ。それを私が購入したのは昨年の11月20日の事だ。それからひと月と10日ほど過ぎた元旦1月1日、数通の年賀状に混じってもう1本のキャップレスがポストに届いた。キャップレスシリーズの中で最上級モデルのキャップレスLSである。
 
最初のキャップレスの扱いやすさと書き味に惚れた私は、性懲りも無く「LS(ラグジュアリー&サイレント)」と名のついた最上級モデルを購入した。通常のキャップレスとの違いは、ノック音がしないと言うことである。ボールペンなどで芯を出し入れする際、カチャカチャとノック音がする。通常のキャップレスはこのノック音がことさらに大きいのだった。万年筆は使用しない時、それが例え2〜3分であってもペン先が乾燥して次の書き出しに支障が出る。なので小まめにキャップを閉める、キャップレスであればノックしてペン先を仕舞う事が求められる。それが会議中や商談中であれば、その音が会話を止めてしまう契機になりかねない。そんな需要から生まれたのがキャップレスLSである。
 
ここまで書いて気がついた。私もまた漱石のいう「微妙な差別を鋭敏に感じ分ける比較力の優秀を愛するに過ぎない」蒐集狂に違いないのだった。

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