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12 松尾一族

私の曽祖父の松尾宗忠が、岡山団体という開拓団として佐呂間へ来たのだと中学生の頃に聞いた。「財界さっぽろ オンライン」の社長ブログ、2022/04/10付の記事にはこうある。
 
「1906(明治39)年には常呂郡サロベツ原野(現:オホーツク地方常呂郡佐呂間町)へ。さらに1915(大正4)年、斜里郡小清水町(現:オホーツク地方 斜里郡小清水町、網走市に隣接)にもそれぞれ岡山県農民が集団移住しました」
 
祖父が大正2年生まれだから、明治39年、20〜30代の若き曽祖父・宗忠が新天地開拓に夢を託した姿が目に浮かぶ。
 
さて、岡山県総社市には松尾寺というのがあるらしい。松尾一族だけの菩提寺なのだそうだ。ネットで松尾のルーツを調べている人がいて、以下はそのサイトからの情報である。
松尾寺のほど近くには松尾神社というのもある。松尾一族の神社だそうで、今でも松尾一族により祀られているのだと言う。私のあずかり知らぬ所ではあるが、何かスゴいぞ松尾一族、と思ってしまう。さらに調べてみると、一族の祖先は出雲で神に仕えていた出雲臣で、「氏社松尾宮御記」によれば1184年に松尾姓を賜ったという。
 
松尾氏系図の第70世には「宗行」の名前も見え、曽祖父・宗忠の名と響き合うような気もするが、赤ちゃんの名前に年ごとの流行があるように、当時、名前に「宗」の字を当てるのが流行っていたのかも知れない。徳川吉宗が8代将軍に就任したのが1716年で、第70世・宗行氏も同年代の人である。宗行の二男の孫は、総社市上林の金龍寺で、民を救うためにミイラ仏になった僧弁和尚(1671~1734年)なのだそうだ。
 
上の松尾一族が私の家系に繋がっているのかどうかは知らないが、信仰心の強さという点では何か他人とは思えないのである。
 
一方で、京都市西京区嵐山には「松尾大社」というのがある。正式には「まつのおたいしゃ」と読む。酒の神様として信仰されている。こちらは松尾山という山の名前が元となっていて家系との関係は無い。しかし酒飲みとして、こちらもまた他人事とは思えないのであった。以前、縁あって奄美大島の蔵元・山田酒造さんの60周年記念アルバムにライターとして文章を書かせて頂いた事がある。その山田酒造さんが、その年に松尾大社で開かれた「本格焼酎グランプリ」で入賞を果たした。なんだか不思議な縁を感じてしまうのである。

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