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34 「座」の意識と関白宣言〜「なるべくはやく」の分析

「いつまでに仕上げれば良いでしょうか?」「う〜ん、なるべくはやく」とはよく見る場面だ。曖昧だがそれで通用してしまうのは日本企業ならではの風景である。ここで考えなければいけないのは、自分が「座」の構成員であるという事だ。座とは共同体と言い換える事も出来る。
 
人が2人集えば「座」が出来る。「場」と言う事も出来る。公の協議体で座を組めば責任の所在を明らめるために「座長」が任命される。生活レベルの座では座長がいない代わりに「座」という認識も持ちにくい。職場も規模は様々だが30人なら30人の、600人なら600人の座である。1億人が集まれば日本という国家の座だ。
 
さて、そのように人が寄り集まった座には、集った人によってある種の空気感が醸成される。逆に言えばより良い空気感を作り上げるのが座の構成員の役割である。座の空気は構成員全員の責任である。さだまさしの『関白宣言』の歌詞に「幸せは2人で育てるもので どちらかが苦労してつくろうものではないはず」とあるが、まったくその通りなのだ。幸せとは気持ちの上がる空気感の事で、仏教では「大歓喜」と表現されている。たとえ誰かが来てそれまで良かった空気感を壊してしまったとしても、それを修復するのも構成員、さらに言えば自分自身の役割である。
 
その共同体意識の上に立って再び「なるべくはやく」を見てみよう。「なるべくはやく」と言う言葉の背景には、自分の抱えている仕事のスケジュールを正確に把握していない事がある。もしくはスケジュールがしっかり詰められていない事を露呈している。「なるべくはやく」と言う緊張感を欠いた指示によって部下へ伝わるメッセージは「いつでもよい」と言う都合の良い解釈である。指示された側のモチベーションが上がるはずもなく、期日までに何とか仕上げようとする努力も生まれない。結果、コストパフォーマンスが下がる。そんなゆるゆるの連携から産み出される仕事のクォリティなど推して知るべしだ。

さらに、「なるべくはやく」はスケジュールを把握していない自分を棚上げして相手にだけ負担を押し付ける無責任な言葉でもある。そのようにして出来上がる座の空気感もまた、自分が座の一員である事を棚上げした、やはり無責任なものになるのだろう。上司であれ、部下であれ、家族であれ、問われているのはどうやって座の空気を盛り上げて行くかという構成員としての責任感である。
 
「いつまでに何がどのくらい必要だから、あなたにはこれをいついつまでにこの状態にして貰う事は可能だろうか」との協議によって正しく責任が分担され、指示される側も「役に立っている」「共同作業をしている」という実感を持つ事が出来る。そうやって責任感も充実感も分担して座の空気が上がって行く。人間社会という77億人の座の中で、私たちには構成員としての責任と使命がある。今日の自分はどうやって座の空気を作り出して行けるのだろうか。

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