46 キャップレス万年筆のこと
世間一般には多分、万年筆は日常の道具では無いのだろう。私を含む一部マニアの間では熱狂的な盛り上がりはあるが、実務や日常の中で筆記具のレギュラーポジションを占めているとは思えない。洗浄などのメンテナンスの手間や、インク漏れのリスクなどから、世間的には昭和40年代にはほぼメンテナンスフリーのボールペンに取って代わられた。当時、万年筆を必要とするのは長文を書く文筆家か、卒論を書く学生たちのみになった。しかしここが大事である。なぜ長文を書く人に万年筆は必要とされたのか。それは筆圧をほぼ必要としないため、疲れにくいのだ。
ボールペンは筆圧をかけてボールを回転させる事でインクが溶け出る仕組みになっている。しかし万年筆は、毛細管現象で吸い上げたインクがイリジウム製のペンポイントまで届き、それを紙にあてるだけで筆記が出来る。筆圧はほぼゼロである。ボールペンの中でも最近はゲルインクやエマルジョンインクの登場によって軽い筆圧で済むものもあるが、構造的に筆圧を必要とすることに変わりはない。逆に滑りの良いインクの登場によって、ボールペンにはペン先が走り過ぎるという問題が発生している。
昨今の万年筆ブームは、こうした書き味に魅せられた人たちの盛り上がりである。扱いにくさから日常のレギュラーポジションからは外されたが、ホビーとして楽しむ人たちによって万年筆は再発見されたのだった。メンテナンスの手間さえ厭わなければ万年筆は最高の筆記具なのである。
万年筆の手間のひとつにキャップがある。万年筆はその構造上、使えるインクは水性インクのみである。水性インクは放置すると水分が蒸発して固まってしまう。だから水性ペンには必ずキャップがある。万年筆も同じだ。昨今の安価な万年筆にはカチッとはめる嵌合式のキャップのものもあるが、価格にして1万円を超えたあたりから、キャップはねじ込み式になる。何かを書こうと思い立ち、ねじねじとキャップを外して、それから書く。嵌合式のキャップにしても、思い立ってから書き出すまでにひと手間かかる。ノック式のボールペンの台頭と比例して万年筆が衰退した理由のひとつとして、この「ひと手間」がある。
今から60年ちかく前の1963(昭和38)年、衰退著しい万年筆産業の中で、そんな「ひと手間」に立ち向かった製品が生み出された。パイロット社のキャップレスである。発売当時は回転繰り出し式であったが、のちに改良されてノック式になった。現在もさらなる人気を得て販売され続けている。このペンの特異な点は、クリップ側からニブ(ペン先)が出てくることだ。つまり、クリップを握り込むようにして筆記する。さぞクリップが邪魔になるだろうと思いきや、逆にクリップがペンを持つ補助具のような働きをし、またニブの上下を知る目印ともなって非常に使いやすい。万年筆は構造上、ペン先を下にしておくとインクが漏れる。なのでポケットなどに差す時はペン先を上にしておかなければいけない。そのため、クリップ側からニブが出る形状となったのだ。
キャップレスはその特異な形状から最初は取っ付きにくいが、使ってみるとその書きやすさに手離せなくなってしまう。通常の万年筆より細身のニブを使用しているため適度なしなりも生まれ、それが、えも言われぬ書き心地となる。ボールペンのようにワンノックで書き出すことが出来、万年筆特有の書き心地も得られる。インクの補充にコンバーターを使えばプラスチックゴミの削減にも貢献出来てSDGs的にも良い。
私も、他の万年筆愛好家の仲間によるキャップレスへの賛辞を数多く聞きながら、何年もの間、あえてその声を無視していた。やはりクリップ側からペン先が出てくるという通常とは違う形態に馴染めなかったのだ。しかしバレットジャーナル用に試してみたペンがことごとく使い勝手が悪く、ついに観念する形でキャップレスを購入した。最高だった。もうこれ以外には無いといった気持ちだった。長い時間を無駄にしてしまったと思った。
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