2 島の人の優しさと、ヨソモノの直球と
奄美大島で新型コロナウィルスの感染者が爆発的に増えている。1月2日に1名が確認されてから倍々ゲームのように増え、8日には119名の新規感染者が確認された。感染者数の人口比を東京都に置き換えれば1日で3万9千人と、猛烈な数である。それを受けて鹿児島県では奄美大島の5市町村に対し、独自の「緊急事態宣言」を発令した。各市町村の職員にも感染者が確認された。市の中央郵便局にも局員の感染が確認され、窓口業務とATMが休止された。
昨年の秋口、町内会の役員会で、集落の3大行事である豊年祭の打ち上げをすべきか、すべきでは無いか、との議題になった。コロナの感染が収束つつあるように見えた時期である。男性役員たちにとってイベント後の酒は何よりの楽しみである。しかし誰もそれを言い出そうとしない。第6波の可能性がワイドショーでも取り沙汰され始めていて、誰もが判断しかねていたのだ。そこで私が口火を切った。「もし他の集落で豊年祭後の打ち上げをやり、感染者が出たとしたら、私なら『コロナ禍のこんな時に飲み会などするからだ』と非難します。わが小湊集落をそのような立場にしたくはありません」と。男性役員たちは渋々と、そして打ち上げの準備を担わなければならない女性役員たちは喜んで、賛意を示した。打ち上げはおこなわない運びとなった。他の男性役員から私は少し恨まれたかも知れない。
自分の眼前でみすみす失敗が為される事には堪えられない。そのために人の評価を気にして何も言わないのでは、自分が今ここにいる意味がない。島の人たちは優しいので、断定的な物言いを嫌う。何重にもオブラートにくるんだ上で、さらに遠回しに相手の前にそっと置く。私のように裸の言葉を直球で相手の顔面めがけて投げる者は「アンタ島の人じゃないね?」と、すぐにバレてしまう。
島には「テゲテゲ」という言葉があって、「アイツはテゲテゲだから」と言えば「アイツはいい加減なヤツだ」との否定的な意味になり、「テゲテゲで良いよ」と言えば「細かいことを気にするな」と相手を思いやる言葉になる。テゲテゲはある意味で島の人情を象徴している。しかしこのテゲテゲが今回の感染拡大のひとつの要因になったのではないか、との思いもある。ヨソモノとして、島の優しい人たちに危険が迫っている時には直球を投げる役割があるのではないかと、大阪から移住して7年になる友人と話し合ったことがある。
世界自然遺産の島を目当てに、これからも観光客は増える傾向にある。島の人たちはこれまで通り、のんびりと車を走らせ、後ろから来る車には左ウィンカーを出して先に行けと道を譲る。しかしそれはカーブの途中であったり対向車の多い道だったりと、とても追い抜きが出来る状態ではない場合が多い。後続車に事故を起こさせる原因になる。しかし彼らはそれに気がついていない。冗談ではなく頻繁にこんな事がある。テゲテゲな気持ちは優しさである反面、ヘタをすれば内地からの旅行人を苛立たせてしまうかも知れない。
旅行者として奄美へ来た人は、「島の人の優しさが良かった」と言う。島の人は優しいのだ。しかし諸手を挙げてそれを賛美する気持ちにはなれない、と言うのが移住して12年を経た私の本心だ。奄美で20年を過ごした作家の島尾敏雄は、『ヤポネシアと琉球弧』というエッセイの中で、島の緩さ加減が、大陸との緊張感の中でピンと張り詰めた弓のような、日本という堅苦しさの中に多様性をもたらし、安心感を与えているのだと言う。緩さと緊張感のバランス。一連の寄稿の中で繰り返し書いて来たことではあるが、もう一度記しておく。バランスがいちばん大切だ。
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