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21 答えるのは自分

志賀直哉の小説に『清兵衛と瓢箪』というのがある。瓢箪磨きに熱中する子供がいる。周囲の大人はその価値観が分からない。とうとう学校にまで瓢箪を持ち込んで磨いているところを教師に見つかり取り上げられる。父親は激怒し、それまで清兵衛がコレクションした瓢箪をすべて割ってしまう。一方、教師に取り上げられた瓢箪は小使いの手に渡り、小使いは骨董屋に持ち込むと小使いの給料4ヶ月分にあたる50円で買い取られた。その瓢箪は金持ちに600円(現代価格で120万円)の値で売れた。
瓢箪を禁じられた清兵衛は次に絵を描くことに熱中するが、父親はそれにも文句をつけ始める。

高校時代、初めてこれを読んだ時は清兵衛の気持ちで父親を憎んだ。しかし今は父親の気持ちも良くわかる。モノゴトの意味というのは後から見れば明らかな道筋として見渡すことが出来るが、今この時にわかるものではない。
 
アップルの創業者であるスティーブ・ジョブズは大学を中退したにも関わらず、カリグラフィー(西洋書道)の講義を聴講しに通った。将来アップルコンピューターを創業しマッキントッシュというコンピューターに搭載しようと計画を立ててカリグラフィーの講義を聴講したわけではない。しかしその知識はマッキントッシュの流麗なフォントとなってアップルを象徴するアイコンとなった。

人生に意味を問うてはいけない、とV・E・フランクルは言う。フランクルはナチス強制収容所での体験を元に『夜と霧』を記した精神科医・心理学者だ。「私たちは、生きる意味を問うてはならないのです」と。
また、精神科医のエリザベス・キューブラー・ロスは別の言い方をしている。
「人生に保証はない。だれもが難問に直面する。直面することによって学ぶようにできているのだ。」
 
つまるところ、人生は解答用紙であり、それをいくら眺めたところで答えは書いていない。
「人生こそが問いを出し私たちに問いを提起しているからです」とフランクルは言う。
意味を知りたい、と思うのは、あらかじめすべてを知っておいて間違いを侵したくないという、人間の臆病な欲求なのだろう。しかし、自分自身が知恵と勇気を振り絞って懸命に答えをすべて書き込んだ先に、100点満点と言う「意味」がやって来るのだ。だから「意味」探しはやめよう。自分自身の解答を書き込み続けよう。
 
ーー以下引用
 
こう考えるとまた、おそれるものはもうなにもありません。どのような未来もこわくはありません。未来がないように思われても、こわくはありません。もう、現在がすベてであり、その現在は、人生が私たちに出すいつまでも新しい問いを含んでいるからです。すべてはもう、そのつど私たちにどんなことが期待されているかにかかっているのです。その際、どんな未来が私たちを待ちうけているかは、知るよしもありませんし、また知る必要もないのです。
〜中略〜 私たちは、人生が出した問いに答えることによって、その瞬間の意味を実現することができます。
V・E・フランクル
 
ーー引用おわり
 
*今週の参考図書
・『人生は廻る輪のように』エリザベス・キューブラー・ロス  2003年/KADOKAWA
・『それでも人生にイエスと言う』ヴィクトール・エミール・フランクル  1993年/春秋社

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