19 ぷはっ!
島暮らしである。たまに奄美大島から出て本州や他の島へ行くと、「ぷはっ!」と水中から顔を出したような気分になる。息苦しさからの解放だろうか。しかし特に普段、息苦しいと思いながら生活しているわけではない。あるいは日常、つまり「ケ」から非日常の「ハレ」への解放感なのかも知れない。島から出るという事は、ちょっとした祭りなのである。
都会生活を送っていた15年ほど前までは、日常の疲労から気持ちが枯れてくると無性に故郷へ帰りたくなった。気持ちの枯れは2〜3年置きにやって来た。そして故郷へ帰るとまた頑張ろうという気持ちになって都会へ戻った。それが奄美で島暮らしを始めてからは、故郷へ帰りたいとの気持ちは起こらなくなった。奄美の山並みが故郷の佐呂間を思わせるからかも知れない。
奄美では日常から解き放たれる祭りが年に何度もある。それでもやはり、島から出ると「ぷはっ!」と息苦しさから解き放たれたような気持ちになるのである。あるいはこの気持ちは、しがらみからの開放感なのかも知れない。しがらみと言っても陰性のジメジメしたものでは無い。犬の散歩をすれば誰かれ構わず声を掛けて来る。今釣ったばかりの魚を持って行けと手渡される。さっき採って来た野菜を手渡される。声を掛けられて知らん顔をしようものなら、「何かすましてるやぁ」と向こうから顔を覗き込んで来る。奄美へ来た都会人は、まず最初に道ゆく人がマジマジと自分の顔を見る事に驚くはずだ。そしてこう聞かれる。「どなたね?」と。どうでも良いじゃないかと都会人なら思うはずだ。関係ないじゃないかと。しかしそれは違う。誰だかわからない人が集落にいると言う事実は、住民にとっては大きなストレスなのである。関係ないじゃないかと知らんぷりをした場合、それだけであなたは集落にとっての脅威になっている。
集落では「その他大勢」として他と関わらずにいる事は難しい。住民は常に、人と人の網の目に捕らわれた当事者である。島から出た時に思わず感じる「ぷはっ!」は、網の目から飛び出して「その他大勢」になり得た、ちょっとした脱力感なのではないだろうか。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?