8 人が手を掛けることの価値
昨年から続けて来た、集落の砂浜再生事業が終了した。終了といっても完成したわけではなく、この事業は住民による砂浜整備が延々と継続されてこそ完成なのだ。つまり、終了したと言うのは砂浜整備が継続されるためのルーティンの形成が終了したという意味である。
10年間、雑草が茫々と生えて壊れたボートが放置された、荒れた砂浜を見る度にどうにかならないかと思っていた。そんな時、仕事で出かけた喜界島の小野津海岸を見た。わが小湊集落の海岸と同じく、コンクリートの岸壁で囲まれた小さな砂浜である。ゴミひとつ落ちていない白い砂浜に透明な波がさらさらと寄せていた。若いお母さんが足元の覚束ない1歳ほどの子を遊ばせていた。小湊の砂浜もこんな感じに整備をすれば、小さな子どもを安心して遊ばせる事のできるビーチになるのではないかと思った。3年前の事だ。
帰島してすぐに区長に話を持ち掛け、役員会でも了承を得た。しかし翌春の町内会総会までは話が動かない。翌春、無事に町内会総会で承認を得る事が出来た。これが2年前だ。さらに市の助成事業の公募は翌春である。集落の活性化委員会が立ち上げられ、私は事務局長になった。委員長には集落の重鎮に就て頂いた。そこからプランを練り、助成事業の申請書作りからプレゼンテーションまで区長と共におこない、それは最高の評価で採択された。昨年の春の事である。市の農林水産課に届けを出して許可を得、業者を交えて何度も打ち合わせをした。そうして夏には砂浜に重機が入り、繁茂した雑草を除去、風波により打ち上げられた砂を海側へ押し戻し、砂浜も最大で5mほど拡張した。荒地の中から約6,000平米の砂浜が顔を現した。
そこで完成では無い。雑草は次から次へと生えて来た。後を追うように区長と私で雑草を根っこから引き抜いて行く。課題は除草とゴミ拾いと砂の押し戻し作業であった。私がたまにSNSへ除草作業の様子をアップすると、集落単位のシルバー人材センター的なものを作って、集落のオジイ、オバアにやって貰えば良いじゃないかとアドバイスをくれる人もいた。しかしお金を払ってやって貰う市場規範の適用には慎重にならざるを得ない。なぜなら「お金は欲しくないのでやりません」と言うような、社会規範の損減をともなうからだ。集落の運営には生活空間の整備を自分事として捉えて力を貸すボランティア、つまり社会規範が基底になければ、いくらお金があっても足りなくなる。
そのうち砂浜に、島内の高校のビーチバレー部が練習にやって来るようになった。今までは遠くのビーチへ行っていたが、こちらの方が近いのだそうだ。練習のためにゴミ拾いもしてくれ、その上、彼らが練習する場所には雑草が生えない。新たな砂浜の活用方法も展望できる気がした。
数ヶ月間、私が一人で除草作業をおこなった。それによって、約2時間でどのくらいの除草が出来るのかという実感とデータを得た。そのデータを持って役員会へ働きかけ、月に一度の町内会の清掃作業の項目に砂浜の除草作業を加えて貰う事が出来た。砂浜は、だんだんと良くなって行くループに入ったのだった。
そうして先日、町内会の清掃作業で初めて除草作業が行われた。子どもたちも大勢参加した。一人でやっていた時、気になってはいたが手が回らなかった箇所が、一気にキレイになった。「教科書に書いてある事だけじゃわからない 大切な物がきっとここにあるはずさ」と、子どもたちがBEGINの「島人ぬ宝」を口ずさみながら作業をしていた。
https://youtu.be/5PT67qw3V-4
これまで、古くから島に暮らす人たちにとって白い砂浜や透き通った海は当たり前のものであり、わざわざ人が手を掛けるべきものでは無かったのだった。しかし北海道からやって来た私にとって、それは宝物が磨かれずに放置されているように見えた。一旦磨いてみようじゃないかと言うのが今回の事業であった。子どもたちは素直に宝物の存在に気づいたのかも知れない。枕詞として「手つかずの自然」と形容されてしまいがちな奄美大島だが、人が手を掛けて宝物を磨くこともまた、価値なのである。