アクションゲーム
昔からアクションゲームが上手ではない。
子どもの頃、ファミコンという昔のゲーム機がある、と自慢してきた友人の家で『ロックマン』を遊ばせてもらったことがある。麦茶を飲む傍らで、数あるステージの中から土方作業ロボット「ガッツマン」のステージを見繕ってもらった。
そのステージは作中でも短めで、ボスのガッツマンも比較的倒しやすい部類だったと記憶している。友人も気を遣ってのチョイスだったのだろう。
しかし私は、ステージ序盤にある、リフトを乗り継いで進むシーンでつまずいた。そこでは緑のリフトが乗れる状態か乗れない状態か、タイミングを見計らって適切にジャンプする操作が求められるのだが、どうしても私のロックマンは足場の無い所へ、何度も自由落下していってしまうのである。結局日は暮れかけ、友人に泣きついてプレーを代わってもらった。
最近になって『ロックマン11』を遊ぶ機会があった。ステージやキャラクターは立体的になっているが、ゲーム性は昔遊んだソレとほとんど変わらないらしい。
そして最初の「ブロックマン」ステージを進んでいくのだが……。
このザマである。
結局、45分ほどかけてブロックマンステージは突破できた。子どもの頃よりは、進歩したのだろうか。(その後セーブを忘れてやり直すハメになるのはまた別のお話)
↑自分がアクションゲーム上手い人間だったらスマブラもっともっと強かったんじゃねーの?という卑屈な心、惰弱さ、愚かさを丸めて自虐にしてヘラヘラ笑っている。あわよくば誰か救ってくれないか、とチラチラ目配せをしてくるようで、本当に、本当に見るに耐えない。
アクションゲームのセンスというものが存在したとして、自分に「ない」と思い込んでいる人間が、どうして最後の撃墜レースで技をねじ込めるだろうか。そもコイツはそんな場面においてたかだか「センス」という、細分化もされていない、ぼんやりとした、掴み所の無い概念を頼ろうというのか。
こんなくだらないことよりかは、もっと勝ち方に苦悩しろ。コンボ練習で苦悩しろ。負けたなら詳細な原因を探して苦悩しろ。確かな根拠を積み上げろ。
経験と知識を瞬間的に発揮し続けた結果得られる達成感こそが、アクションゲームそのものの醍醐味ではないか。
私がやってきたこと、学んだことを根拠に、私流の攻略で勝つ事が、私にとって、一番楽しいゲーム体験になるに決まっている。
センスが無いと悩むな。それは攻略に寄与しない絶望でしかない。ひたすら勝つために苦悩しろ。
何を言いたいかも分からなくなる具合の丁度良い眠気が来たため、寝る。ぽやしみ