誰かひとりでも味方がいること
家や、学校や、職場など、
どこにも自分の居場所がなかったとしても、
自分自身が信じられなくなったとしても、
誰かひとり、自分の味方になってくれる人がいれば、
自分のことを信じてくれる人がいれば、
それだけでも心は軽くなると思う。
学校でも職場でも町の中でも、
人が集まるところには集団心理というものがあるのか、
平均から外れてしまった人に対して、
風当りは強くなる。
誰からも認められない、
自分を受け入れてもらえない、
1人で何とかしないといけない。
そう思って糸を張り詰めていると、
いつかプツンと切れてしまう時が来る。
そうなる前に、誰か一人でも、
あなたは大丈夫だ、
きっとできる、
何があったも私が支える、
そう言ってくれる味方がいれば、
糸は緩めてもいいんだと思える。
そう言ってくれる味方が見つかりにくい、
社会になっている気がする。
「そうなる前に話せる人はいなかったのか」
とニュースを見て思うことがある。
そして、きっといなかったんだろうな…と思う。
人に困っていることや悩んでいることは言いにくい。
どうしても気を使ってしまうから。
だからこそ、話を聴く専門家が職業としてあるのだと思う。
自分がコーチの勉強をしているのもそれが理由。
コーチという職業は、
相手の可能性を心から信じて、
相手の見たい景色を一緒に見て、
どんな時も常に味方でいるものだと思う。
とても素晴らしい役割だと感じる。
一方、見知らぬ人に味方でいられても、
あんまり安心感は得られない。
「この人なら何とかしてくれる」
そう思ってもらえる"実力"も、
信頼のために必要なのだと思う。
それが例えば、
会社経営経験のあるコーチや、
マネジメント経験のあるコーチが、
頼られている理由なのだと思う。
(あくまで推測)
経験以外に立場もあると思う。
上司やパートナーが味方になってくれれば、
とても心強い。
コーチはただコーチングができるだけではだめなのだ。
自分が味方になって安心してもらえるように、
頼れる経験・知識や助けられる実力がなければ、
孤独を感じる人の支えにはなれない。
それが今の自分の課題。
私は、泣いている人を見れば絶対に放っておけない。
1人で困っている人がいたら絶対に声をかける。
おせっかいな時もあるだろうが、
望まない孤独はつらいことの方が多いから。
つらい状況にあったとしても、
「松岡さんが味方でいてくれてよかった」と、
思ってもらえるようなコーチでありたい。
そんな人間として頼ってもらえる存在でありたい。
居場所がないと感じる人にとって、
せめて自分が味方になれれば、
味方だと感じてもらえれば、
それはとても嬉しいこと。