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可逆性脳血管攣縮症候群と診断された記録

発症から集中治療室まで

1.始まりは雷鳴頭痛と吐気

2024年2月16日、この日は会社へある団体の女性会が視察にいらっしゃいました。
その1週間前にタイから帰国し、1週間後にはカンボジア・ベトナムという海外視察が組まれていて、日程的に非常にタイトな状況の中、視察受け入れ計画、説明用のパワーポイント作り…

考えたら多忙を極めていたのですね。

視察会で会社説明を終了した直後、ものすごい頭痛に襲われ、立っていられない。薬を飲もうと階下へ降りたものの、気持ち悪くて吐き気がする。
何とか皆をお見送りしようとしても体が動かず…
心配して後をついてきてくれた母に、産業医の先生の所に連れて行って欲しいと伝え、息子の車で産業医の病院へ。
そこでものすごい吐気と頭痛、血圧もかなり高かったと思います。
即座に緊急対応が始まり、病院の先生が受け入れ先を確保、救急車を呼び、日赤を指定して救急搬送されました。
救急車のことは全く覚えていません。でも名前は言えたかな?しかし視野が暗くて何も見えていなかった気がします。

2.くも膜下出血を発症しているが?

後から息子がサインした治療承諾書をみると、搬送されてからすべての検査が終わるまで、かなりの時間がかかったようです。
救急搬送されたのが多分午後5時半ごろ、承諾書の時間は午後9時となっていました。
救急搬送されたとき、すぐにCTの撮影になったと思います。
はい、わたくし覚えておりません。
救命救急での画像診断で微細な「くも膜下出血」が発見され、即座に処置が始まったと思います。
右手に3本、左手に2本の点滴が挿管され、手術用の衣服に着替えることに。
しかし、画像から動脈瘤が見つからない、脳神経外科、脳神経内科の先生が招集され、詳細な脳血管撮影をすることに。
アンギオと呼ばれるカテーテルを鼠径部の動脈から入れての撮影になりました。
「カテーテル入れますが、やったことありますか?」と問いかけがあったと思います。「はい、一度あります」と答えたような…
「まな板の上の鯉」状態です。すべてが終わり、止血されている間も、今後の方針を相談しているようで、結局絶対安静、集中治療室で様子を見るになったみたいです。この画像は1週間後に説明されました。
集中治療室に入り、家族と面会できたのは夜10時半ごろ。
渡された携帯電話の時間表示で確認ができました。
この時点で私の意識はしっかりしていて、なんか落ち着いたという感じ。
自分自身より、「くも膜下出血です」と言われた家族のほうが大きな不安に襲われていたことを感じました。

つづく



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