読者のかたからのご論評におこたえする④——インフレを過熱させないスムーズな景気調節の仕組み

2月12日の投稿から、拙著の、ある読者のかたからいただいたご論評におこたえしています。
詳しい経緯は2月12日の最初の投稿をご覧ください。近況や、最近公開した仕事の紹介もしていますので、未読のかたは、ぜひお目通しください。

おこたえするご疑問全体は、次のとおりです。おこたえをすでに投稿ずみのものにはリンクをつけていますので、ご関心にあわせて確認してください。


・低金利の期限なき継続は弊害を生む。この間の円安から極端な物価上昇の推移を見ればわかる。国際的な金利の格差(日米の差)は一層の円安に拍車をかけ、輸入物価上昇で人々に負担をかけた。
・低金利は設備投資を増加させなかった。



・国債の借り換えは帳消しにすることではない。それに、国債はいくら借り換えても、趨勢としては債務が増え続けることに変わりはないはず。
・国債の日銀保有が半分以上になることの異常さは問題。国債市場の市場効果を歪める。
・松尾氏等は、利払いをほとんど無視されるが「国債費」(利払い)は相当な金額になっていることも批判せざるを得ない。



「経済が成熟した先進国では設備投資のために借金する動きは停滞してしまう。世の中に貨幣が出なくなる。それでは困るので、貨幣を出回らせるためには、政府が借金するか消費者が借金するかしかない」とされるが、こういう論法では、国に限らず、借金まみれを奨励するようになってしまう。


好況時の過熱化と不況時の総需要の落ち込みの加速をコントロールするのは政府・中央銀行だとして、そういう役割を計画的(正確な予見)に行えるのか。景気加熱時やインフレ対応については概して楽観的な見方が支配的で、デフレマインド対応に偏重し過ぎていると思える。


松尾氏が「そういう技術革新というのは『成長戦略』で人為的に引き起こせる類いのものではない」とアッサリと片付けられるのは、問題だ。今後の展望を天に任せるのは良くない。公的プロジェクトとして基礎研究の次の段階レベルに方向性を示すくらいの積極性が必要ではないか。



反緊縮の経済学の考え方は、経済学そのものが根底から立て直さなければ議論できない大転換であり、世界の趨勢はそこまではいっていないのではないか。

今回は、上記の④におこたえします。

景気加熱時のインフレはコントロールできるのか?

ご論評

好況時の過熱化と不況時の総需要の落ち込みの加速をコントロールするのは政府・中央銀行だとして、そういう役割を計画的(正確な予見)に行えるのか。景気加熱時やインフレ対応については概して楽観的な見方が支配的で、デフレマインド対応に偏重し過ぎていると思える。

おこたえ

景気に合わせて機敏に増減できる財政支出のあり方を考える

ご評論の中では、「国債発行は打ち出の小槌ではないはずです」というお言葉もありました。一定の条件のもとでは「打出の小槌」になるのです。問題は、国全体の生産能力を超えてまで振り続けるとインフレが悪化するなどの弊害が出るので、そうはならない仕組みをいかに作るかということになります。
それゆえ、国の生産能力に比べた総需要の過不足状況にあわせて、機敏に増減できる赤字財政支出のあり方を考えることが重要だと思います。
(ちなみにこの文章での「赤字財政支出」には、前回の投稿で提唱した、あからさまにお金を作って支出するシステムも可能性として含むものとします。)

MMT派は就業保障プログラムを提唱

MMT派の人たちの場合は、一般的な政府支出はなるべく増減させず一定にすることを志向します。その上で、就業保障プログラムと称するアイデアにこだわります。
これは、政府が就労意欲のあるすべての無業者を、最低賃金で雇用する仕組みだとされています。この仕組みをとれば、不況のときはたくさんの人がこのプログラムに雇われて政府支出が増えて景気を下支えし、好況のときは最低賃金で雇われていた人たちが民間部門に移って景気の加熱を防ぐとされています。
私は、景気が良くなった時に事業が縮小してもいいような政府の仕事ってどんなものだろうと疑問に思いますが、ともかく、景気を自動調整するような政府支出の仕組みを志向しているわけです。

MMT派以外の反緊縮派の提唱する調整の仕組み

他方、MMT派以外の反緊縮派は、景気調整のための赤字財政支出としては、一律給付金が好まれる傾向にあるようです。これは景気の状況にあわせて機敏に増減させることができます。
そのほか、英国コービン労働党が出していた経済マニフェストでは、福祉や教育などへの経常的支出は画期的に増やすことになっていますが、それらには富裕層や大企業への増税で財源をつけています。他方で旺盛な公共建設投資をすることになっていて、それらは国債を発行して財源にすることになっています。このマニフェストが本当はどう考えているかわかりませんが、私見では、公共建設投資の場合も福祉などと違い、景気が加熱してインフレになってきたら、やろうと思えば進捗を遅らせて支出を絞ることができるので、これは合理的な振り分けではあると思います。

私のアイデア

一律給付金と設備投資補助金を増減して調整
ご評論の中で「実現可能」とご評価いただいている私のアイデアでは、一律給付金のほか、設備投資補助金も、赤字財政支出で出すことになっています。これは、介護部門やエネルギー転換部門など、社会的、環境的に望ましい分野への設備投資を誘導するためのものですが、やはりインフレの進行とともに、一律給付金の金額を減らすのと同様、こちらの方も補助金額や採択数などを絞り、景気を調整することを想定しています。

経常的支出には富裕層や大企業に負担をかける税制を対応させる
コービンマニフェスト同様、福祉や教育などへの経常的支出は画期的に増やしますが、これらの経常的支出にともなうインフレ圧力を十分に吸収するだけの、富裕層や大企業に主たる負担をかける税制をあらかじめ対応させておく想定をしています。
不況の間はこの税制の景気減退効果を乗り越えるだけの、十分大きな給付金や設備投資補助金を赤字財政支出で出し、景気がよくなればこれらを縮小させて、富裕層や大企業への課税の景気減退効果が直接現れるようにする。特に累進性を強化して、この冷却効果が景気加熱時には強くでるようにするということです。

インフレ抑制には金融引き締めも併用
完全雇用下では、必要な人手が増えるような生産設備拡張は国全体で見て本来不可能ですので、金融政策で銀行貸付を抑制することによってもインフレを抑えるべきです。

縮小モードに入る基準が周知されていることが重要
大事なことは、総需要が生産能力を超過しすぎたことを判断する基準を、ルールとして民意に基づいて民主的に決め、それが守られることをみんなの共通認識としていることです。(例えば、コアコアインフレ率2%など)
その場になったらズルズルと基準のインフレ率が引き上げられていくと見透かされると、インフレが止まらなくなったりしますので、総選挙の公約にするとか、国会でその都度法律にするとか、何かかっちりとした民主的ルールにする必要があります。
(その意味では、2%インフレ基準では、将来本当に総需要が国全体の供給能力を超過する時期になったとき、円高が持続しすぎて国全体の供給能力をかえって損なっていくので、そうなってから追い込まれる前に、3%とか4%とかにあらかじめ緩めたほうがいいという気がするのですが、それを言い出すのはまだ時期尚早とは思います。また機会があれば詳しく述べます。)

これはずいぶん前から言っている
なお、このアイデアは、ご紹介いただいている『資本主義から脱却せよ』の中だけではなく、お読みいただいている本では、『左派・リベラル派が勝つための経済政策作戦会議』や『そろそろ左派は<経済>を語ろう』など、ずいぶん以前からいろいろなところで述べているものです。
(講演でも以前からお話ししてきました。例えば、2020年の3月に守山市で行った講演のスライドの82ページ目から、イラスト入りで説明しています。)

インフレが起こる頃には対富裕層・大企業増税が実現するという薔薇マーク案

ご論評の中では、私たちの薔薇マークキャンペーンの2019年統一地方選挙・参議院選挙に向けた政策要求については、好意的にご評価いただきました。
これは、安倍政権の持続と10%への消費税率引き上げを阻止するために、安倍自民党に負けない景気政策を掲げる野党候補を認定し、応援しようというキャンペーンでした。

この中では、消費税の5%への減税や福祉などへの大胆な政府支出をまず先行して国債発行で行い、富裕層・大企業への課税強化をすることを提唱していました。
先行しての支出増で景気が拡大する一方で、税制の変更は国会を通すのに時間がかかり、ちょうど景気が加熱してインフレが進んだころに実施されて景気加熱を冷やすことができるというタイミング計算で設計されているという点で、本質的には同じような発想のスキームになっています。

ただ、当時はまもなくれいわ新選組ができることを知らずにこのキャンペーンを始めたこともあって、いわゆる立憲野党の議員候補に党派横断的にこの政策を受け入れてもらうために、「借金をあとで返済する」というストーリーで解釈してもらっても大いに結構という形で打ち出しています。どんな解釈がされようが、実質的に同じ効果が得られればいいのですから、今後も、野党共闘のために必要であれば、このようなスキームをとるのはいいことだと思っています。

財政投融資復活のご提案について

ところで、ご論評の中では、「財政投融資」の復活をご提案されています。もちろん財政投融資と称するもの自体は今でもあるのですが、国営時代の郵便貯金を原資とする仕組みを復活させようとのご提案です。
実は、昔の国営時代の郵便貯金による財政投融資は、事実上、信用創造ではなくて「又貸し」でした。というのは、昔の郵便貯金は決済性がなくて、あまりお金としての機能を果たしていなかったからです(だからマネーサプライ統計には含まれていませんでした)。たしかに、財政投融資を利用した支出がなされたとき、民間の銀行の預金が創造されはするのですが、他方、人々が自分のお金を郵便貯金に預けたとき、事実上世の中からお金が消えることになるので、結局結論から言うと「又貸し」と同じになっているわけです。
このような仕組みで、高度成長時代当時の民間設備投資がバンバンなされている時代にも、インフレを過度に促進させずにインフラ投資することができていたわけです。
将来、景気加熱のインフレの心配をする時代がきたとしても、しばらくは、労働人口減少時代に不相応な分の設備投資需要を優先的に削るべきで、長年我慢させられてきた大衆消費はまだまだ増えるべきでしょう。なので、需要を冷やすのに消費税を使うのはまだ避けるべきだと言えます。
しかし、やがて大衆が十分に豊かになり、消費需要の過剰を抑えることが主たるインフレ対策になる日がくるかもしれません。そのときにはいよいよ消費税の出番なのでしょうか。
たしかにそれも定石です。しかし、ほかの方法として、昔の郵便貯金のようなものを復活させて、貯金してもらうという手もあるかもしれません。(もっともこれは、無期限、途中解約可能、売却・譲渡不可の個人向け国債を買ってもらうことと全く同じことなのですけど。また、この件とは別に、給付金と課税の機敏な運営のために郵政の再国営化は有用だと思います。)

上述の設備投資補助金方式はマクロ経済学的には現在の財投とほぼ同じ

コービン労働党や欧州左翼党のスキームは現在の日本の財投と類似
ところで、郵貯の又貸しではない、現在の財政投融資は、他の国債と実際には区別されない財投債を発行して調達した資金を、公的な政策銀行を通じて政策的に貸し付ける仕組みになっています。公的な信用創造による支出なので、又貸しではなくて、政府支出一般と全く同じです。
先述のコービン労働党の公共投資スキームはほぼこの今の日本の財政投融資に類似しています。欧州左翼党(EUの共産党などの連合)が掲げている公共投資計画も同様です(欧州左翼党の場合はあからさまに欧州中央銀行が資金を作ることを求めている)。

設備投資補助金方式は財投でも同じ
実は、上述の私のアイデアの設備投資補助金の方式も、マクロ経済学的には、現在の日本の財政投融資の仕組みをそのまま利用して、景気にあわせて拡大縮小させることと同じことになります。
すなわち、不況の時は、国の作ったお金で民間企業の設備投資の一部を実施して総需要を拡大するという点で同じです。景気がよくなってインフレを抑えるべき時期になったら、私のアイデアでは高率の法人税を徴税して民間から購買力を吸収するところを、財投の場合は元利の返済によって民間から購買力を吸収するというわけです。

財投方式の場合インフレのタイミングで元利返済になる保証はない
それゆえ、補助金方式並みに国会のコントロールが効くならば、財投の仕組みを使ってもいいのですが、両者に違いもあります。
補助金・徴税のスキームの場合は、本当に景気が十分によくなってインフレ抑制が必要になってから、利潤も高まり、ネットの購買力吸収が大きくなる仕組みになっていますが、貸付・元利返済のスキームの場合は、返済期限とマクロ経済の景気状況がうまく一致する保証はありません。まだ不況が続いているときに返済が始まるかもしれません。

リスクに応じて振り分けるのがよい
それに、徴税の場合は、もうからず利潤がゼロなら法人税は払わなくていいですが、貸付・元利返済のスキームではもうけが出なかったからといってむやみに猶予すると公平性の問題が起こってきます。なので補助金方式のほうが望ましい気もしますが、逆に言えば、貸付方式ならば、人々のニーズにあわない事業に生産資源配分がさかれてしまうリスクに歯止めがかかるのに、補助金方式ではその歯止めがかからないという問題もあります。
なので、大枠での拡大させる分野、縮小させる分野の枠組みは、民意に基づいて共通のものとして民主的に決めた上で、その枠内で、リスクの少ないもの、あるいは逆に、収入にならなくて上等と民主的に合意されたものについては設備投資補助金で、ある程度リスクのあるものは財投融資で対応するというのがいいでしょう。
もっとリスクが高く、具体的な個々の事業ごとにリスクを見極める必要があって、担当者によって判断が分かれるようなものは、完全に民間に委ねることにすべきだと思います。

「市場はコントロールできない」と言ったのは新自由主義

さて、いずれにせよ、新自由主義の側の経済学は、70年代、80年代に、社会主義やケインズ経済学を向こうにまわして、「経済はコントロールできない。市場にまかせろ」と批判して台頭し、学界を支配してきました。そうして、一部の大資本にだけ一方的に都合のいい世の中を作ってきたわけです。
この現実を打ち破るには、「いや市場はコントロール可能だ」と言わないといけません。これを諦めることは、新自由主義に屈服することでしかありません。
そもそも、資本主義経済体制が出来上がって大量の労働者階級が生み出されて以降、この体制のもとでおいしい思いをしているブルジョワ階級の側は「経済はコントロールできない」という経済学を提唱し、それに対して労働者階級の側は「経済はコントロールできる」という経済学を提唱し、今日まで連綿と闘争してきたわけです。そのことは、私のような世代の者よりも、よくご存知のことのはずだと思います。

株を国の機関が持つことの歴史的意義

ついでに言えば、ご評論では、年金基金や日銀が株を買うことについての批判的ご記述のあと、「株式も国債も国が持つことになれば、前者は企業の国有化、後者は自己循環等ということになるのでしょうか。日本の社会主義化、それでもいいのですが、どうでしょうか」とあります。
すでに述べたように、国債を実質的に国の機関である日銀が持つことの方は、国債の本質が通貨発行であるという事実に、あからさまな現象形態を与える方向への変化です。それは経済の公共的コントロールをこれまでよりも容易にするでしょう。
他方、株を実質的に国の機関が持っていくことは、年金基金の場合は、自腹で責任をとらない者がリスクのあることに手を出すことであり、日銀の場合はブルジョワ優遇策であり、それ自体は反対すべきことです。ただし、では私たちのサイドが政権についたらどうするかということになると、売ってしまったら株価が下落して経済的被害が大きいです。
むしろ、法人税増税に対抗して工場を海外移転しようとするとか、大規模リストラしようとするとか、私たちのサイドの政権の政策に対する資本家階級からの闘争に直面したときに、最終的には(投信なら生株に転換して)大株主としての議決権の力や、株大量売却で株価を暴落させる脅しなどによって屈服させるための手段としてキープしておくべきものだと思います。
だから、「社会主義化」とか「それでもいい」とかのご感想は、将来の萌芽という意味ではそのとおりだと思います。自由な民意によって民主的に経済をコントロールできるようになる潜在力が、現実の社会の胎内に育っている現れなのだと思います。