"I want it all." - Queen が追い求めたキセキ -|雑感
テレビをつけっぱなしにしていたら、深夜の報道番組のスポーツコーナーで田中将大投手のピッチングの映像が映って、そのBGMとしていきなりこの曲が流れた。
"I want it all. I want it all. I want it all."
Queen フレディ・マーキュリーのヴォーカルだ。
この曲は耳にしたことがあったからすぐわかった。Queen の 1989年リリースのシングルで、その後、同年に発売されたアルバム "The Miracle" に収められた。
シングルは、イギリスのチャートで3位になるなど各国でヒットしたそう。
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"I want it all." - Queen が追い求めたキセキ -|雑感
Here: https://note.com/matsunoya_note/n/nb121c5571913
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Wikipedhia |
I want it all.
アルバム "The Miracle" に収載された一連の楽曲は、耳にしたことはあってもじっくり聴いたことがなかった。
田中将大投手に、なにかゆかりのある曲なのだろうか。
重厚に刻まれていくリズムと、超高音で奏でられるハードなエレキギターの艶歌チックなメロディ。
シリアスでドラマティコな歌とフレディのシャウトが印象的。
この曲調は、その後、最後のアルバムでも見られることになる暗さと熱病のような情熱と絶望と運命としての死を暗示させる巨大なメタファーに対して、まったく絶対にあきらめずに果敢に立ち向かうドン・キホーテのような無鉄砲で一途な「ピーターパン」たちの面々の冒険の道のりで流れるBGMにしかふさわしくない重厚かつ広大なファンタジーサウンドトラックのような一連のドラマティコな Queen の楽曲の一つとなります。
ネットサーチしてみたら、リスナーのきき方としては、Queenから若者たちへと授けられた「応援歌」という解釈がちらほら検索エンジンに引っ掛かってきました。「元気づけられた。励まされた。」という感想がほとんど(統計的には症例3くらいに相当しますが。)でした。
どんなことを表現した歌詞なのか気になり、書きとってじっくり読みました。
もちろん、英語とかけ離れた生活を送っている生粋の日本人なので、意味を正確に知るために共起表現や例文なども調べました。
そうして詩を読み取ってから YouTube の Queen Official チャンネルで動画をじっくり見、やっとフレディが歌っている言葉の意味を汲み取れそうなところまで行ったので、感想から申しますと、
「正解は一つじゃない。」
様々な風景が浮かんでくるメタファーに富む詩です。
自分への「応援歌」として聴けば、まるで今の自分の気分にそのまま当てはめられるような気もする。
そこが、Queen 、そしてフレディの作詞作曲する楽曲が世界中でヒットし大勢の大衆に受け入れられる所以だと思います。
ただ、この曲が作曲された時点での、フレディ・マーキュリーの体調などと彼が死に至る病と闘っていたという事実から考えれば、これは、フレディと Queen の「自分史」的な「私小説」らしさのある楽曲なのだろう。
当時の彼らの気持ちを謳ったものなのだろうと推測します。
せっかく詩をじっくり読んで楽曲を何度か繰り返し聴いたので、翻訳してみようかなと思います。
冒頭、テーマ "I want it all."のコーラスから始まります。
これは、たぶん、
It is all that I want.
もしくは
All that I want is it.
と同じ意味かと思います。
フレディが情熱的に歌っているので、皆さんはもしかしたらこのフレーズを、貪欲で果てしない野望に満ちた言葉だと(そして、今の自分のタガが外れた欲望まみれな強欲な気分とジャストフィットすると)思うかもしれません。
わたしには、こう聴こえるんです。
「他には何も望まない。これで全部なんです。神様。これだけしか望まない。他はいらない。望むことはこれで全てです。だから、神様。」
フレディの望みは、そして Queen の望みは、ただ一つだけだから、たった一つだから、どうか叶えてください、そういった祈りのような、激しく情熱的だけれど、小高い丘の上で代表者が激しい動作で祈祷しているような神への祈りのような言葉に聴こえます。
そして、この曲の中では数少ない情景描写で楽曲が始まります。
ジョン・ディーコン作曲の "Spread your wings" や "Another bites the dust" にみられるサスペンスドラマやフィルム・ノワールを彷彿させる冒頭の情景描写と共通する入り方です。
でも、詩に使われている言葉で韻を踏んでいたり、複数のイメージを想起させるメタファーを含んでいたりするファンタジー風の詩の特徴は、フレディ・マーキュリー的でもあるといえます。
Adventure seeker | 冒険を探すもの(冒険者・探検家・無鉄砲)
just an alley creeper | 路地を這いずり回るもの(娼婦)
light on his feet | 軽々しい女々しいヤツ(ゲイ・オカマ)
A young fighter screaming | 悲鳴を上げている若き闘士
これは、この楽曲の主人公である人物の描写ですが、フレディが自分自身を(もしかしたら Queen の作詞を担当した誰かがフレディを)彼ら独特の彼らだから許される苦々しい毒を含んだアイロニーをもって表現していると取ることもできます。
そのアイロニーの毒舌さとそのメタファーが意味するところの気弱な絶望感の漂う捨て鉢な弱弱しいネガティブな負け犬を想起させるイメージとはかけ離れた、勇猛果敢な騎士のような歌い方で、フレディはドラマティックにファンタジーの冒険の旅に出るキャラクターのBGMに流れるようなメロディでこの冒頭の人物描写を歌い上げていきます。
"With no time for doubt, with the pain and anger, (I) can't see a way out."
「疑う間もなく、痛みと怒りを伴いながら、自分は解決策を見出すことができない。」
これは、その若き闘士が叫んでいる言葉です。負けを認めたくなっているようにも見えます。
フレディは語り部として客観的に「若き闘士」のセリフを「わたし」という主語で聴き手に回って聴いています。
「多くのことは望んでいないんだ。厚かましい願いじゃない。」と彼が言いました。私はそれを聴いていました。
「わたしは、自分の未来を発見しなければいけない。(わたしをさえぎり遮蔽するものよ。)わたしの行くべき道からどいてくれ。」
フレディは主人公の「若き闘士」のセリフを情熱的に叫ぶように歌い上げていきます。
「それで全部なんだ。望むものは。そして、わたしは、今、その望むものを手に入れる必要がある。(時間が残されていないから。)」
とフレディは歌います。
フレディの(主人公の若き闘士の)望みとは何なのでしょうか。この歌の聴き手は、フレディの心に寄り添っていきます。
「聴いてくれ、みんな。周りに集まって。」
フレディは、仲間に語り始めます。
「わたしは戦略をこの手に掴む必要がある。君たちを、そして地面までも揺り動かす義務がある。」
I gotta (動詞) ~. は、わたしは~を (動詞) しなければならない。という構文です。
彼は(主人公の若き闘士は)闘う意思を見せています。でも…。
But just give me, huh, what I know is mine.
これは、Give me that I know what is mine. と同じ意味だと思います。
「自分のものであると自分ではわかっているものが今、どこかへいってしまってないんだ。それだけをわたしに授けてくれ。」
「みんな、聴こえるか?」
「聴こえたら合図だけでいいからしてくれ。」
gimme は、give me の正式ではない言い方です。
フレディは誰に語りかけているのでしょう。
「若き闘士」は、まるで誰もいない、人通りも車の行き来もない、静寂が支配する何も聞こえない空っぽな街角にいるようです。
そうです。冒頭の情景描写ででてきた "on an empty street" です。
(その若き闘士にしてみれば、)何も見えない誰もいる気配が感じられない空虚な空間に向かって、フレディはさらにみんなに聴いてほしい言葉を語りはじめます。
ain't は否定に用いる慣用句です。
It ain't much I'm asking.
これは、It is not much what I'm asking. という意味でしょう。
What I'm asking is not much. でも同じ意味になると思います。
「多くは望んでいないんだ。厚かましい願いじゃない。」
「もしも、あなたが本当のところを知りたいのなら。。」
と、フレディは、彼が仲間だと思っているコミュニティのみんなに向けて語り始めます。空虚な何もない街角で。
それはまるで、現在の新型コロナウイルス感染症のパンデミックにおいては、ロックダウンになって廃墟に見える大都会の大通りのようです。
あるいは、インターネット上のSNSで、Twitter からつぶやいてみたけれど、誰の反応も戻ってこないときのような感じ。
いったい誰に向かって自分が話しているのか、自分でもわからない。
その空虚な場での寂寥感のある何の前進もないインセンティブもない虚しさ。
そして、フレディは片手を高く上にあげて、パーティーの冒頭の乾杯のあいさつをするように言います。
「若人のその夢の向かう先に幸あれ!」
これは、「若き闘士」へのエールです。空っぽな空虚な場所でコミュニティにいるはずの彼の仲間に向けて(若干の弱音を含む彼のささやかな願いを)語り始めているあの若き闘士に、語り部のフレディがエールを送る。
これは、フレディのフレディ自身への励ましの言葉でしょう。
彼はもう若くはない。でも、病に侵されて死んでいくにはあまりにも若すぎる。
闘いに敗れるにはあまりにも若すぎる若き闘士です。
フレディは良く自覚していたのだと思います。そして、Queen の他のメンバーも事実を受け止めがたい気持ちに苛まれながら、彼の情熱と彼の絶望と彼の生きようとする意志を受け止めていたのだと思います。
彼は、フレディは、死んでしまうにはまだ若すぎる。誰が、フレディ・マーキュリーの40代前半での死を望むでしょうか。
それは、彼自身にとって残酷で深刻なことだったけれど、彼は、「若き闘士」という登場人物に自分を置き換えて、冷静に客観的に、そして、彼がコミュニティの仲間だと思っている "all you people" に彼の生来の思いやり深さと他人と自分との距離を置かない共感力を示しながら、果敢に力強く今の自分の考えていることと自分の気持ちをファンタジーの物語のメタファーの中で歌い上げていきます。
それが、フレディらしさだと思う。彼はいつでもどこでもどんな状況下でも、フレディらしさを失わない。彼の音楽を愛する大勢の人たちと自分の気持ちを共有しようとする。それも、彼独特の勇敢でまっすぐでみんなに勇気と昂揚を与えるような方法で。
そして、彼が欲しくて欲しくてどれだけ望んでも手に入らないと思い始めた「健康な人生と表現者として過ごす一生の(必要十分に長い)時間」について、その気持ちを、まるで決して得られないものへの激しい憧憬のように情熱的にそして果敢にスタイリッシュに歌い上げていきます。
最初の "I want it all" の直後、歌ではなくて早口のセリフです。
フレディが
"Give it all. I want it all"
と高めのハスキーな声でシャウトしますが、この言い方と声が、"Don't stop me now." の頃のフレディとそっくりなんです。
早口の高音でハスキーな声でぶっきらぼうにがなっているように聞こえるのですが、ドルチェなんです。
「💕あっま~~~いっ💕」
というか、「若き闘士」は時を駆ける何かなんですねー。
この後、フレディに変わって、ブライアン・メイがヴォーカルとなって、登場人物のセリフを唄います。
「わたしは一途な人間です。一度の人生の中、すべきことがあまりにたくさんある。」
これは「若き闘士」の独白です。
その直後にフレディのセリフが挟まります。この切り替えでなおさら、「若き闘士」がフレディ自身であるような気がしてきます。そして、ブライアン・メイとフレディ・マーキュリーが、同じ闘士である、共に戦う同志であるようにも見えてきます。
さらに、ブライアンが被さるように歌います。
「妥協するやつじゃない。どんな場所でも、どんな理由でも。うそをつかないで生きるやつです。だから、わたしは、今生きていることが全てなんだ。」
その詩に重ねるように、フレディが同じセリフを歌います。
「そう。今、生きていることが全て。」
ブライアンがさらに重ねて歌います。
これは、「そして、(今、生きている時間を)仲間のみんなに全て捧げます。」という意味でしょうか。ブライアンらしいスパルタなセリフです。
ブライアンらしさが顕著に出ています。体育会系です。
一歩間違うと、大学アメフトサークルのコーチだったりすると大学生へのパワハラになりかねません。
フレディは思いやり深く周りに気を遣う方なので、実際、彼の理知的な性格から冒頭、かなり敗戦色が強い態度になっているのですが、ここは気力を振り絞って「若き闘士」になりきって歌います。
フレディ、無理しないで。っていうか、適度に休んでね。
やる気は生きがいに通じるし、アウシュビッツ収容所などに強制送還されて生き残った人たちの特性を調べた研究からも、有意味性が見出せる能力があると免疫力があがり、失意と暴力の中でも生き残る場合があるので、適度にモティベーションを上げて生きがいを見出せる状態になるのはいいのだけれど、限界がすぐそこにあるので、ペース配分と周りのスタッフの配慮が欲しいところです。
フレディはさらに情熱的にシャウトします。
「それで願いは全部なんだ。実のところ、高望みはしない。厚かましいお願いじゃない。」
「その未来に幸あれ!」
「若人(若き闘士)のその泣き叫ぶ声を聴け」
リフレインの最後は、"all" ではなくて、"Ooooh, ha!" という静かな吐息のような、息切れのような、空手の気合のような、オオカミの遠吠えのような言葉にならない歌で終わります。
若き闘士の闘いはこれからなのです。
あるいは、フレディの親しい若い友人は、HIV感染の重症化によってAIDSになってもうすでにいなくなってしまっていたのかもしれない。
悲しき若い闘士の叫びにも似た歌は、彼だけではなく同じ病と闘う全ての若者へ向けたメッセージ性の高い歌としてのステータスが、当時としては時代背景から明らかにはできなくても、優しいフレディの気持ちからは、そんな応援歌としてのレクイエムとしての意味合いがあったのかもしれない。
1989年は、HIVとAIDSが新興感染症として、一部の国や地域でエピデミックをおこし始めたことが検査によって明らかになってきた年だった。
フレディは、誰もいない誰からの反応も戻ってこない寂寥感と孤独が感じられる空間の中、自分のたった一つの望みに手が届かないもどかしさと、それでも今生きていることが全てで、与えられるすべてのものを(表現者として、今生きている、そのもがき苦しみ痛みに叫び声をあげながら独り戦い続ける生き様として)すべて与える若き闘士となって、激しい感情と情緒の深い振幅を、明瞭で複数のメタファーを想起させる言葉を繰り返す美しく短いドラマティックな4分間の歌で表現しました。
まるで長編もののシネマを見た後のような余韻が残る楽曲。
YouTube Queen Official に Lyric 付きの動画が掲載されていて視聴できます。
リンクを貼っておきます。
Queen - I Want It All (Official Lyric Video)
https://youtu.be/7JB8xizXnT0 YouTube Queen Official
歌詞が入っていないオリジナルの動画はこちらです。
Queen - I Want It All (Official Video)
https://youtu.be/hFDcoX7s6rE YouTube Queen Official
終わりに、若き闘士の短い早口の言葉、セリフが、まるでその場で若いフレディがタイムカプセルから現れたかのような、時をさかのぼったかのような一瞬を彷彿とさせた "Queen - Don't Stop Me Now (Official Video) https://youtu.be/HgzGwKwLmgM YouTube Queen Official " をリンクしまおきます。
そして、アルバム "The miracle" の1年と数か月後、1991年1月に、Queen はフレディをヴォーカルとした(フレディの生前最後の)アルバムである "Innuendo" をローンチする。
雑記
"I want it all." - Queen が追い求めたキセキ -|雑感
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あとがき...
深夜、なんとなくクイーンの "I want it all." のメロディラインを頭の中で追っていたら、
「これって、ララバイ(子守歌)のメロディラインじゃないか。」
と思い始めた。民族的な、どこかの地方に特有な古くからある子守歌のモティーフを感じるメロディライン。
ハードロックなインストゥルメントのアレンジとフレディ・マーキュリーのシャウトで聴くと間違いなくブリティッシュロック、クイーンの楽曲にしか聞こえないけれど。。
夜更けに何の伴奏もなく頭の中でメロディラインを追うと、これは、母親が赤子をあやしながら歌う哀調を帯びた(どこかの土俗的な古くから歌い継がれてきたような)子守歌のメロディに聴こえてくる。
フィレディは、もしかしたら誰かの静かな寝顔を見つめながら、この子守歌を心の中で口ずさんだのかもしれないな、って気づきました。
もしもそうだったらメロディラインのモティーフはフレディの作曲かもしれない。
そのフレディが歌う「子守歌」がさっきわたしの頭の中でストリーミングしていたのだ。
悲しい響きがあるけれど美しく素敵なララバイです。
そして、クイーンのスタイリッシュで情熱的なロック調のアレンジによって、今を生きる全ての人たちには勇気を与えてくれる力強い応援歌になっている。
すごいな!フレディ。。
と、今日も、「フレディ・マーキュリーを尊敬する」素敵な気づきの時間を持ったのでした。
フレディの音楽的才能の素晴らしいところ、それは、彼の音楽の中に100%人間らしさを表現する定理を包摂していることだ。
フレディの音楽での着想は、もしかしたら強烈に個人的な私的な自分史的な実体験と彼個人の空想による創作過程の中から生まれてくるのかもしれない。けれど、それが完成された音楽となった時、全ての聴き手の人間らしさを包摂して多くの大衆の共感とシナジーを生み、巨大なエネルギーを生むひとつの現象となり得る。
そんな普遍的な定理の存在を表現できる音楽をつくり得る、その拡張性の高さが彼の音楽の天才性だろう、と思う。
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Ave Maria が聴きたくなった。
YouTube|Ave Maria - André Rieu & Mirusia
https://youtu.be/3d4xXvF2ukY
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最近、よく聴いている 2CELLOS のふたり、それぞれ、Luka Sulic と Hauser の演奏。こちらの Ave Maria も。。
YouTube|Ave Maria (Bach/Gounod) - Luka Sulic ft. Evgeny Genchev https://youtu.be/8aTfxfPlec4 LUKA SULIC ♪ Official
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YouTube|Ave Maria (J.S. Bach) - HAUSER
https://youtu.be/zBllzkGzpsw Hauser ♪ Official
Hauser の Ave Maria は他にも。。
YouTube|Ave Maria (Franz Schubert) - HAUSER
https://youtu.be/bgv_AHQN7Wg Hauser ♪ Official
YouTube|Ave Maria (Astor Piazzolla) - HAUSER
Stjepan Hauser - Ave Maria (Astor Piazzolla)
https://youtu.be/Tq5EoquAIyU Hauser ♪ Official
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フレディ・マーキュリーと彼ら、Queen をわたしが発見したのは、昨年(2020)の1月だった。フレディと Queen のファンになって1年と2か月くらい経つ。
ワタシにしては興味が継続しているほうだ。音楽は、だれだれの作曲した曲をだれだれの演奏で聴く、というそこに曲と演奏があればそれでいい聴き方をするから、情報は、その曲を聴きとるためのヒントになればいい程度なのだけれど、さすがに1年以上ファンをしていると、(ヲタクほどではないが)ちょっと詳しくなる。
でも、まぁ。。いい曲やいい演奏との出会いの瞬間があって、そのとき気分が乗ればいい。そんなものだ、音楽って。
たまに、(もしかしたら、一般的な水準よりは多めかもしれないけれど)セレンディピティがある。セレンディピティ好きなワタシにとって、フレディと Queen はセレンディピティの宝庫だ。
フレディ・マーキュリーは、動画で動いて自作の曲を演奏している映像が残っている「20世紀のアマデウス・モーツァルト」だと思う。凄いことだ。
モーツァルトが自作の曲を演奏して動いている映像が残っていたら凄いことでしょ。
他方、ワタシの感覚で言うと、彼は「隣に住んでいる昭和のおっちゃん」なのだ。そんなロックミュージシャンはいない。
多くの大衆がフレディ・マーキュリーを愛する。高度に音楽を専門にしている人たちもそうだ。不思議な現象を見たように思う。なぜ、彼らはフレディをそこまで愛しているのだろう。映像に残っているように、あんなにもそのライブに熱狂して。そしてなぜフレディをそこまでリスペクトするのだろう、今でも。
ワタシには不思議でしょうがない。彼は不可思議な存在であって、まだ、ワタシが逢ったことがないセレンディピティを隠し持っているのではないだろうか。そこが、未だにフレディ・マーキュリーというキーワードに、ピンっとアンテナが反応する所以かもしれない。
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Queen と Freddie Mercury の Twitter アカウントで Royal Albert Hall の素敵なフィルム "newly released film, Your Room Will be Ready" を見た。
Mick Jagger がナレーションを担当している。Rolling Stones はよく知らないのだけれど、Mick Jagger が生きていてくれてよかったと心から思った💦
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ナラティブって、知っていますか。
最近、「ナラティブに話す」というキーワードが気になって仕方がない。
ワタシが大学生から20代の終わりまでの頃は、自分の専門領域である「薬物動態学」の分野では、「ストーリーテリングとトレーサビリティ」を重要視するという教育を受けたように思う。それは、科学に携わるものであれば、今の2020年代であってもマストであることは間違いないけれど、悪名高きネットメディア(大手新聞社やテレビなどのマスメディアを含む)のSNSからリンクするイマイチなウェブコンテンツを見て、最近、思う。ナラティブに語るっていうことは大事だなーと。
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特に、今の大学生の人たち、皆さんには、学生のうちに「ナラティブ」を身につけてねって思う。ただし、それは、あくまで「ストーリーテリングとトレーサビリティ」を土台にしたうえでのことで、基盤なきところにナラティブなしであることは言うまでもないのだけれど。
すこしサーチしてみたら、3年前(2017)のフォーブスの記事に「ナラティブ」と「ストーリー」とマーケティングに関するわかりやすいアーティクルがあった。
フォーブスの記事から一部引用すると、
全文はこちら
2017年は「ストーリー」型マーケティング終焉の年に
Forbes 2017/12/20
https://forbesjapan.com/articles/detail/19051
もうひとつ。Eleminist という情報サイトから。
「ナラティブ」とは語り手自信が紡ぐ物語 ストーリーとは意味の異なる新たな概念
eleminist 2020.11.30
https://eleminist.com/article/788
分かりやすく言うと、RPG(ロールプレイングゲーム)と概念が似ているのかもしれない。要するに、オルタナティブなストーリーがあるという前提で、課題解決に向けてベストな「ストーリーテリング」を主体的にコミュニケーションの中から探索して見つけ出していくための「今どきな手法」ってところでしょうか。
RPG との違いは、要するにファンタジーの世界でやる事か、現実に、課題解決のために主体的に現実の社会の中の一員として実践することかの違いかなー。
とりとめがないけれど、今、気になるキーワードなんだよね。
ナラティブって。
逆に言うと、ノーマルに考えれば、ナラティブに語る能力、そのリテラシーがインセンティブと正の相関をすることが顕在化していく時代になるのだろうと思うし、一流の国ならそうあるべきだろうと思う。
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暗くなったから、最後は最近見つけたカワ(・∀・)イイ!!アルパカの動画に、つけたリプライをご紹介。
いい曲だから...(^^♪
仔パカちゃん
長野市茶臼山動物園【公式】@chausuyamazoo
3月10日
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Spotify | Copacabana Remastered Barry Manilow
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一種の「ナラティブ」なんだけれど。。
分かる人だけ、わかってくれたらいい...😖(爆)
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今日はこの辺で。。
ここまで、この雑記を読んでくれた皆さま、どうもありがとう。
それではまた、
お会いしましょう。
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