公益通報者保護法を読んだことがありますか 松廼屋|論点解説 番外編
こんにちは!
matsunoya です。
今回は薬剤師国家試験問題の論点解説ではない番外編です。論点は法規・制度・倫理で、関連する法規は主に以下の2つの法律です。
医薬品の製造販売承認をテーマとした実務での経験をお話して、そこから皆さんが、以下に示す物語の中で体験したことから、自分ならその時何を考えどういった行動の選択をとるか考えるきっかけにしていただけたらと思います。
そしてその行動をとるためには、今大学で何を学ぶべきか社会にどうかかわるべきかそんなヒントになればと思います。
Here: https://note.com/matsunoya_note/n/n62facb0f4b05
https://note.com/matsunoya_note
関連する法律|
医薬品、医療機器等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律 / 医薬品の製造販売承認
e-Gov 法令検索 https://elaws.e-gov.go.jp/search/elawsSearch/elaws_search/lsg0500/detail?lawId=335AC0000000145
公益通報者保護法
e-Gov 法令検索 https://elaws.e-gov.go.jp/search/elawsSearch/elaws_search/lsg0500/detail?lawId=416AC0000000122
製薬企業での思い出を語ろうと思います|
製薬企業のR&D部門にいて、その後配置転換になった時期のエピソードを雑文にして、不定期にFacebookプロフィール(滝沢幸穂) https://www.facebook.com/Yukiho.Takizawa にpostしていました。
軽く書いた雑文なのでなにかファクトに対して主張や考察をするものではないのですが、大学で薬学を学んでいて、将来薬剤師や製薬企業での医薬品の開発などの研究職となる若い人たちにとってはめったにない体験を追体験して何かを考える機会になるかもしれないと思います。
よかったら参考になさってください。
この eラーニングの 文字数と学習時間|
81577 文字|163分(500文字/min)- 233分(350文字/min)
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公益通報者保護法を読んだことがありますか 松廼屋|論点解説 番外編
企業に就職すると、人事教育プログラムの中で教わるので、それからでもいいのですが、薬学生の皆さんも、医師や薬剤師の皆さんも知っておいていい知識です。
時事ドットコムニュース https://twitter.com/jijicom/status/1269926167668232192?s=20 によれば、
企業などの不正を内部告発した人への保護を拡充した改正公益通報者保護法が8日、参院本会議で可決、成立しました。
事業者に内部通報の体制整備を義務付け、違反すると行政指導などの対象となる等の改正点があるそうです。2004年の同法制定以来、改正は初めてです。
改正法では、従業員300人超の事業者に通報窓口設置などを義務付け、300人以下の事業者は努力義務とし、内部調査の担当者が通報者を特定できる情報を漏えいすると、刑事罰が科されます。役員や1年以内の退職者も保護されるようになり、通報に伴う損害賠償責任も免除されるよう改正されたそうです。
若干の改正であって、まだ、ザル法ではあるのですが、内部通報者への不利益取り扱いが少しでも減る方向にベクトルが向くことを願いたいです。
公益通報者保護法を読んだことがありますか?
実際に、不幸にも企業での不正に巻き込まれ、不正や逸脱を是正するために内部通報という手段を使わざるを得ない立場に追い込まれたら、この法律を読む必要があります。薄い法律なので、数分で読めます。
でも、法律を読んでもイメージできないことは多いのです。具体的なイメージが可能なように、あくまで私見ではありますが、少し、マニュアル的な寓話的なお話をしたいと思います。
_____
もしも上司が薬機法違反の指示命令をあなたに対して出したら、
指示命令には従わずに指示を無視して
「安全なところ」に逃げて(会社をやめる、配置転換を願い出るなど)
自分の命と健康を守ることを最優先してください
と書きました。その通りでよいです。
そして、「公益通報者保護法」に準じた企業内のコンプライアンスシステムを確認して、通報の準備を始めてください。
でも、そのシステムへの通報の前に、例えば社内で信頼できる管理職や、所属する学会の理事や卒業した大学の信頼しうる教授など、その違反行為に対して利益相反関係のない、専門的なディシジョンメイキングが可能な客観的に考えられる立場の人、外部のひとにあらかじめ相談することをお勧めします。
社外秘の内容を社外の人に言うのは、基本的には「就業規則」において守秘義務があるので禁止事項とされています。
ですが、自分が受けた教育の背景から、例えば、国立大学で教わった範囲では薬機法違反である可能性が推察される不正があったと判断した場合、また、上司からハラスメントを受けて対立しているという悩みがある場合は、外部に相談することを優先してください。
外部に相談する際に一番気を付けなければいけないことは、自分と相談相手がインサイダー取引の規制に抵触するかどうかです。
インサイダー取引とは、その重要事実が公表される前に特定有価証券等の売買を行うことをいいます。金融商品取引法で規制されています。ですから、外部で相談するときは、相談の前にインサイダー取引に抵触することはしないよう同意を取っておいて下さい。
情報提供者と株の売買を行った人は共犯とみなされます。
※インサイダー取引 引用元:カブドットコム証券株式会社|インサイダー取引 https://kabu.com/rule/insider_trading.html
いきなり公益通報の相談(内部告発ととらえられる場合があります)に来られると、先生方も驚かれると思います。
日ごろから季節のあいさつや近況を伝えるメールなどとともに、ご指導ご鞭撻のほどをよろしくお願いいたします、などの定型文の入ったメールで、一往復半のあいさつはしておくと、リスクコミュニケーションが必要となった場合、比較的、コミュニケーションがうまくいくと思います。
助言を求める場合、国家資格の有無、事案に対して利益相反関係があるかないかの確認は事前にしておいたほうが良いです。
相談相手が、紛争中の「上司(共同研究やその他、取引先だったりします)」や「製薬企業(その株式を持っていたり、寄付講座だったり、患者に投与する薬の大部分がその製薬企業の💊だったとしたらアウトです)」との付き合いのほうが深い場合、アドバイスと思って聞いていても、不利益取り扱いをされる場合があります。
そして、複数の人と相談して、その人たちから、会社へのステークホルダーを通した企業ガバナンスにおける法令遵守に関する圧力がかけられる見通しが立ってから、社内のコンプライアンスシステムに公益通報(原則、コンプライアンスの外部窓口業務を行っている会社契約の弁護士宛て / 内部では利益相反関係があるのでシステムが動きません。)、書面での証拠提供などの手続きをとります。
社内公益通報の順番について説明します。
1|
あなたの契約弁護士を通じて会社契約のコンプライアンス社外窓口の弁護士宛てに、社内公益通報をしますので受け付けてくださいという、法的に要件を満たした「様式」での比較的簡潔な書面を、弁護士の判断した書類提出方法で提出します。これで、あなたは、公益通報者保護法に定められた不利益取り扱いを受けないなどの公益通報者としての候補者となります。
2|
最初の内部通報の受理を確認したら、コンプライアンス細則に準じたイベントの日程や参加メンバーや目的等の予定表の提出を、弁護士を通して企業側に要求します。
3|
コンプライアンス細則に準じた計画書が提出されたら、それが法的な要件を満たした計画書か確認します。
特に参加メンバーの利益相反関係が細則の要件を満たしているかを確認し、法に抵触する場合、また、イベントが要件を満たしていない場合、企業側に修正を要求して、修正をしてもらいます。
4|
この間、自分と契約した弁護士を通じて社外窓口の担当者である企業契約側の弁護士とだけコンタクトを取ります。
まだ、会社をやめていない時期でしたら、社内の他のひととは、なるべく距離をとって、無言で過ごします。上司やコンプライアンス推進委員会や人事部のひととは口をきいてはダメです。
企業契約側の弁護士との直接の会話を要請されても、受けてはいけません。自分が契約した弁護士を通します。
社内公益通報は、利益相反関係のある会社の人間との紛争です。会社の人間である相手方とは、和解するまでは、相手方の出方によって指示命令を受けないことが基本です。会社の人間が、あなたに指示命令できる立場であった時、明らかに不利益取り扱いにあたる状態へと持っていくための指示命令をしますから、口をきかないことは大事です。
5|
コンプライアンスの是正措置の計画書に納得したら、計画書にそって、争点を整理して、書面で、明確に伝えます。
_____
大変だなー、と思うでしょうが、ここまではあらかじめ予定します。
企業と契約している弁護士は、その会社と契約しているのであって、労働者と契約しているわけではないので、会社の都合ファーストで動きます。
ただし、弁護士は、弁護士と職業上話す場合は、合法的な行動をとります。
直接に話すと、あなたの会話から、会社に有利になる内容を抜き取って、不利益取り扱いを合理化する場合があります。弁護士の先生が使う言葉では、「言質を取られる。」などということなのですが、そういったことでしゃべってはダメです。
コミュニケーションの見込みがついてから主に書面を作成して書面通りに話してください。
その時、社内で、法律に定められたコンプライアンスシステムが始動し始めるかどうかは保証はないです。もともと、不正を働く社風や土壌や組織でのマネージメントラインの構造がある場合が多いからです。
外部での「公益通報」での改善提案には、外圧によって実効の可能性がありますが、内部では、利益相反関係から大げさな単位での争いになり、盗みや殺人の衝動をむき出しにされます。それは、企業理念や社会でのその企業の存在理由、存在価値にとって不幸なことですし、あなたの人生にとっては、壊滅的な被害となります。
消費者庁にも、法に準じた「公益通報」の電話窓口があります。
けれど、こと医薬品製造販売承認関連の内容になると、所轄が厚生労働省になるので、ダイアル窓口では、公益通報事案の争点に関する「民事訴訟の必要性」のみが説明されて、あなたが身を守るための実効性はないと思います。
不正が社内ガバナンスの不備のレベルになると、社内統制の是正措置なので、民事訴訟の争点とはならないです。
会社の所轄が厚生労働省なら、事案を提示して、必要なら、厚生労働省での受付窓口について聞いたほうがいいです。
一方、たとえば、上司個人に対して、ハラスメントに対する被害や労働契約・労働環境を失いそうな被害など何か争点があれば、民事訴訟手続きをとるため、そのハラスメントや労働環境に関する争点に実績がある弁護士と契約して、手続きに関する助言や民事訴訟または和解のための準備をします。
厚生労働省は、薬事審査関係と、労働関係に部署が分かれていて、労働契約について争うなら、厚生労働省の労働関係の部署、その企業所在地の労働局の下部組織(労働基準監督署)に相談窓口があるので、個人で労働契約やハラスメントの相談をする場合は、労働基準監督署に行きます。
例えば、その企業の所在地が赤坂だったら、港区芝にある三田労働基準監督署がその対象の窓口です。施設の登録によっては、施設のある都道府県の労働基準監督署に相談窓口があります。同じ厚生労働省の中でも薬事審査は労働関係ではないので、内容を労働関係と薬事審査関係とに明確に分けて、窓口で説明します。
わたしの経験では、大変横柄な態度で否定的なことを窓口で言われたり、あまり、労働局が労働問題の課題解決に機能すること、とくにコーポレートガバナンスのレベルでの不利益取り扱いには機能しないので、あなたが身を守ることに対しては期待しないほうが良い印象を受けました。
電話やメールや電子記録等送付に対して、窓口の労働基準監督官から「敵・サイバーテロ??」に対する場合に取る態度に近い態度をとられることは覚悟したほうがいいです。
ワタシの場合は、医薬品製造販売承認の一部変更承認申請のプロジェクトが動いている最中だったので、もしかしたら、薬事審査関係からの労働局側への忖度があったのかもしれないけれど、そこまでは知る由もないです。
公益通報者保護法の順守の観点からは、労働法に規定された役職である労働基準監督官が公益通報者に対してとる態度としては、定められた通りの望ましい態度ではなかったけれど、単にヤな態度をとられた、否定的で侮蔑的な笑い方と犯罪者へのような疑いのまなざしを向けられた気がしただけなので、努力義務違反な程度です。
ワタシは気が弱いほうなので、アサーションとヒアリングに望ましい環境形成に限界がありました。
厚生労働大臣の指導によって劇的に変わる部分だと思います。市役所の窓口業務の人の笑顔が、市長の交代によって大きく変わる現象と同じような現象です。
できたら、労働側の話は、民事訴訟にしたほうが、厚生労働省内での利益相反関係がないので、そっちをお勧めします。薬事審査の調整やモメンタムにめどがついてから、労働局に相談する必要があれば労働局に行きます。
上司が違反行為をすると、そして、医薬品の開発に関する執行役員のコンピテンシーが欠けていて法律をいっさい守らないスタンスをとった場合、被害を受けたあなたが、個人的に大量の書類作成や手続きをとる手間が必要になります。
公益性を順守する一般市民の観点からは、いろいろな手続きはしたほうが良いです。時間とお金はかかります。その賠償請求は無理です。
公益通報は、いわゆる手弁当でのボランティアのようなものです。
なお、医師、薬剤師であれば、法令順守の立場からは、ほぼ努力義務があります。他人事ではないです。罰則規定はあるかどうかは事案によります。
国立大学で教育を受けていて、キャリアがある場合は、よく考えてから、逸脱のない行動をとらないと、社会的な制裁を受けるという痛しかゆしな状態になるかもしれません。
でも、どっちでもいいことです。逃げること、再出発をすることにエネルギーを集中します。公益通報は、そのあとでいいです。
法律への違反行為、不正の質によりますが、報道関係の新聞社やテレビ局に、いきなり外部通報することも効果があるかもしれません。今の時代なら、SNSに投稿することも世間の雰囲気では認められています。
ただし、法令で定められた公益通報の範囲にはならないので、自分が就業規則や公益通報の法律の範囲外のことをしている自覚が必要です。
あらかじめ、契約した(経験値のある)弁護士と話して、やってよいと判断されたら、メディアでいきなり告発するのも、世論を味方につけ、企業に法令順守を促すひとつの選択肢です。
企業を管理する所轄の省庁、厚生労働省に公益通報する場合は、国家公務員に関する法令などによって、窓口が決められたりするので、それに従います。その場合、薬事審査に関する窓口が対応すると思います。
あなたが、厚生労働省の薬事審査に関する部門に知り合いがいない場合、相手のコンピテンシーは未知の領域です。コミュニケーション可能かどうかは、話してみないとわかりません。
薬事審査の場合は、窓口担当者のリテラシーを事前に確認させてもらうと話やすいかもしれないです。
出身大学と職歴、国家資格の有無、薬剤師かどうか、名前と薬剤師免許を確認します。組織での役職(守備範囲、キャリアの年月など)を確認します。電話とメールでの書面と同時並行で(電話に出てもらったら、メール内容を電話口で確認するなど)、十分なコミュニケーションをとることをお勧めします。
あくまで、手弁当でのボランティア活動である公益通報のスタンスを取ってください。
事案の性質によっては、(あなたは努力義務での善意でやっているとしても)利益相反関係がある場合があるので、不利益取り扱いされないという保証は、ないです。
弁護士とは常に連絡を取って、できれば、契約した後は、弁護士も入れたリスクコミュニケーションをします。
なるべく、単純な介入で終わるように、上司の指示命令には従うことなく、会社をやめるとかしたあとで、公益通報を行います。
無理にやる必要のないことではあると思います。あなたの責任にはならないからです。
患者さんたちの命のために命がけで、という矜持があればやるべきです。
事案によっては厚生労働省のリスクへの対応が、世の中を悪くしないための、無差別大量殺戮に対する最後の砦にはなります。
あなたが地球を守れるかどうか。個人ではできないです。
厚生労働省が日本の国民の健康を国家として守る義務があるだけで、「アドバイスしてあげる」くらいの気持ちで公益通報したほうがいいです。
Twitterへのスパム報告とよく似ています。やったほうが良い行動ですが見返りはないです。
厚生労働省の思惑によっては、敵方、相手方という態度をとられます。良いことではないので、厚生労働省においての公益通報者保護法を順守したマニュアルの整備などは、ちゃんとしたほうがイイとは思います。
わたしにはいい経験になったのですが、経験を生かす機会がありません。
自分の命と健康と再出発へのエネルギーを優先しましょう。
厚生労働省は、あなたの健康保持には関心はないです。
社内人事の末端までは、厚生労働省は干渉しません。わたしの関わった事案は企業統制へ影響しなかったと思います。仕組みや規制を作って、もう少し、社内人事の適合性に関しては、例えば、監督省庁が干渉しないといけないのではないかと思います。
大学生の皆さんや、企業への内定が決まった皆さん、将来の夢として医薬品の開発を目指す皆さん、薬局にお勤めになる皆さんは、公益通報の仕組みは知っていたほうがいいです。興味があったら、以下のリンクから学んでおくとよいです。参考になさってください。
公益通報や民事訴訟は面倒だと思う人は、コーポレートガバナンスがしっかりしていて、マネージメント組織がコンピテンシーのある人材で選別され占められている会社を選んで就職しよう!
お薬の製造販売卸などを業とする企業の場合は、国立大学薬学部出身のマネージャーが要にいる企業を選ぶとよいでしょう。
また、数年で国立大学薬学部出身者がいなくなってしまうとか、人材の補充や育成に不備があるところは避けたほうが良いです。
予想は難しいですが、ブラック企業、風土が悪い会社に就職すると人生がある意味終わってしまう場合があります。
役員・部門のマネージャーのプロフィールはその会社のホームページで全て確認できます。少なくとも、先にFacebook に post したT取締役が開発部門の執行役員をやっていたりする会社は、就職しないほうが無難です。
国立大学薬学部で教育を受けていることや教育のレベル、所有する国家資格(薬剤師かどうかは、残念ながら、現在は、コンピテンシーの目安になりません。)、キャリアでの対外的評価のある(学会での講演や受賞、ファーストオーサーでの論文の質など)実績は、そのコンピテンシーの根本の要件であると、経験からは、思います。
薬剤師免許を持っていても、教育を受けた背景で、法令遵守に関するコンピテンシーは残念ながら異なります。時間があったら、就職する前にそこまでは確認するといいです。
会社に数十年いると、社内の様相は時々刻々と変わっていきますが、その時は、転職などのキャリア形成を想定しましょう。
お薬の製造販売卸を業とする企業に就職した場合、広いレンジで人材を確保するため、薬剤師の国家資格を持っていても、仕事上必要とされるスキルが少し欠けているだけで、事件性のある行動をとる人は多いです。まして、大学での単位が、理学部、工学部のカリキュラムの単位だけという人は、最初からスキルやリテラシーの面で大きな欠落があるので、仕事上必要とされるスキルが少し欠けているだけで、事件性のある行動をとる人は多いです。
適材適所ならそういった多様性を有する人たちが「悪性新生物に転換してがん化する」ようなことはしないのですが、人事は高度な技術のいる作業なので、適材適所の人事を間違うことは多々あるのです。
これからお薬の製造販売卸関連の企業に就職する予定がある薬学生に、公益通報者保護法に興味を持ってもらいたいと思い、 note の記事にしました。
公益通報関連リンク|
消費者庁|公益通報者保護法と制度の概要
https://www.caa.go.jp/policies/policy/consumer_system/whisleblower_protection_system/overview/
公益通報者保護法
https://elaws.e-gov.go.jp/search/elawsSearch/elaws_search/lsg0500/detail?lawId=416AC0000000122
法規・制度・倫理、コンプライアンスの違反についての「公益通報」の対象となる法律の一覧は、消費者庁のホームページにリンクがあります。
製薬企業の医薬品の開発における医薬品等製造販売承認申請に関してのコンプライアンス違反に関連する法律は、以下の通りです。
公益通報の対象|
医薬品、医療機器等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律
薬剤師法
医師法
医療法
就業規則
会社法
など
通報対象となる法律一覧(470本)
https://www.caa.go.jp/policies/policy/consumer_system/whisleblower_protection_system/overview/subject/pdf/overview_subject_190709_0001.pdf
追記|
わたしが関わることになった事案では、後で振り返ると、T取締役は、製薬企業の1000億円の売り上げの大本となっている製造販売承認書を、いわば、人質にとって、
「オレσ(゚∀゚ )オレ、薬事法違反行為してるんだぜ!」
「オレが、仕切って、不正を隠蔽して、担当者が悪かったことにしないと、オレが悪いことをしたってことになるんだぜ。」
「取締役執行役員のσ(゚∀゚ )オレが薬事法違反行為をしているから、会社は、製造販売承認を停止させられるよ。」
と脅していたのだと何となく推測します。
わたしのシナリオでは、わたしに対して(当時の)薬事法違反に当たるような指示命令を出した同じ年齢の上司2人を、部門長の上司が叱責などで指導し修正指示すれば、必要なら不正をした当事者である彼ら違反者を配置転換でプロジェクトから異動してもらえば、申請資料の事務手続き違反におけるグループ内での誤記訂正で修正できる、それで承認申請は通るという事を推測していて、何度も何度もメールによる書面で、その医薬品等総括製造販売責任者であるT取締役に、「社内での正しい修正の仕方を選択する様に」お願いをし続けました。
まごころから、嘆願書を送付し続けました。
取締役なら、部門長に正しい指示命令をすることができるからです。
医薬品等総括製造販売責任者は、そういう権限と職責なのです。
それを拒んで、医薬品等総括製造販売責任者レベルで違反者という行為をディスプレーしていた。する必要のない仕草なのです。(当時の)薬事法に規定された役職としては、やってはいけない仕草です。
でもT取締役は、わたしから送付された嘆願書を無視し続けて、
「σ(゚∀゚ )オレが薬事法違反者だとばれたら、医薬品の製造販売承認書は取り消されるぞ。医薬品の製造は取り消されるんだぞ。」
と、取締役会の役員と社長と全てのマネージャーを脅し続けた。
まさに、医療用医薬品製造販売承認書を人質にした、立てこもり事件の様相を呈していました。
お薬の安心・安全・安定供給をミッションとし、患者さんたちの命のために命がけでミッションを遂行するはずの「薬剤師」のコンピテンシーが欠けています。ただ、自分と配下の管理職へのお金の供給を止めたくなかったことと、「国立大学」での教育がバックグラウンドにある長年の部下であるわたしに対して、盗みの衝動での暴行と恐怖を与えたがっていました。
わたしをスケープゴートとして、法規制での手続き違反の手法を使って、わたしを懲戒処分とし、担当者レベルでの違反のように見せかけた。わたしが配置転換された部署をフロアごと解体し、わたしをR&D部門の人事下に戻した。
不正のあった3人の上司に「社長賞」という褒章を与えて、圧倒的な人事評定の格差をつけた。
取締役権限でしかできないことだけをしていましたが、経営陣の職責としては経営のことは配慮していない職権乱用です。今、時を経て思えば、「製薬企業の製造販売承認書を人質に、大金の自動振り込み金を、会社との契約の間は保証される身分となった、大ペテン師としての腕前を見せた」稀代の薬剤師、薬事法(現、薬機法 第17条)に規定された医薬品等総括製造販売責任者のひとりであったのだろうなと思います。
コンピテンシーの欠けた人は、マネージメントの権利、人事権、裁量権を絶対に渡してはいけないです。
社長と取締役会は、温和な話し合いで、この機能していない医薬品等総括製造販売責任者から職責を、社内法や関連法規制を理由に、暫定的に、他の薬剤師に移動することはできたのです。一時的な体調不良で職責を全うできないから暫定的に他の薬剤師が職責を代行するという理由でいいのです。
役職にふさわしい薬剤師がいれば、できる。薬剤師は大勢いる会社なのですから。
T取締役程度のプロフィールでできるのなら、東京大学で教育を受けたバックグラウンドがある薬剤師にだってできる職責です。東京大学でも九州大学でも北海道大学でもいいんです。いるのですから。なんだっていいのです。薬剤師だったらなれる職責です。
ワタシが一部の科学的根拠の取得に関わったプロジェクトに関連した厚生労働省への製造販売承認申請一部変更承認申請の「社内での書類整備の修正に関する」青写真は、外部の会社契約の弁護士を通じてコンプライアンス委員会に渡してありました。わかっているのは、結局、わたしだけでした。
会社契約の弁護士は、嘆願書や関連書類をメールの宛先に転送してくれていました。読んでいれば書いてあることはわかるけれど、彼は社外の弁護士です。
残りのすべての(かどうかは知る由もないことですが)社員は、
「コイツ(つまりワタシのことです...)を凌辱しちゃってすめば、僕らが幸せならそのほうがいい。」
というのんびりとした「何もしない」態度をとりました。バカです。
バカは、言い過ぎだとは思わないけれど、2000人の人材が企業の中にいても初めてのチャレンジに一歩を踏み出すことができるコンピテンシーが備わっている人間は、1人くらいしかいないという事はよくわかった。
残念なことにしばしば見かけるようになりましたが、本来、尊敬し憧れ、支えなければいけないレイヤーの希少なコンピテンシーを持った人間に対して残りの大多数のバカモノが盗癖から乱暴をはたらき、恐喝・恫喝をし、ダメもとで支離滅裂な誹謗中傷をし、間違った自己肯定感に浸りながら、だましとったような形の豊かな暮らしを送る一方で、著しい侮辱や人権侵害を受けた人間は、それ相応の人権の逸脱によるあまりに悲惨な苦しみの中で、そんなに急がなくてもいいのにという速さで生涯を終える運命を背負う。
あってはいけないことです。社会にとって大事な人材を失うことになる。オルタナティブはそんなに残ってない。
みんなで守って支えていかなければいけない。
社会的な機能を果たしているそれぞれのコミュニティから排除する必要があるのは、社会に対して負のベクトルを持った逸脱した盗癖や犯罪嗜好性がある無能で悪意だけがある反社会的な人間です。
社会に貢献する人間のほうがむしろコミュニティから排除され行き場を失う状況を残念に思います。社会や人のコミュニティを安定化させるベクトルとは真逆のシチュエーションのほうがよく起こりうるのは望ましいことではない。
公益通報者保護法を読んだことがありますか。あらかじめ法律を読んで、この note を読み、シミュレーションしておくと、もしかしたら、ベストな行動選択をとることができるかもしれない。後悔を抱えながら、人生を送らないでいい行動の選択ができるかもしれない。そう思いませんか。
若干、残念な仕上がりのヒヤリ・ハット事例のようなあとがきになってしまいました。
皆さん、読んでくれてありがとう。
_____
エピソード #4 地球を救うのだ⁉
本社ビルの最上階の下の階であるコーポレートガバナンスのフロアで、人事部への直出直帰扱いの半年間の逗留を指示命令されていた時期、わたしが自主的に仕事の時間を使っていたのは、その時、自分が所属していたR&D部門の1部署で動いていた比較的大きなプロジェクトである複数の医療用医薬品の製造販売承認申請の一部変更承認申請業務での、一般的には、「厚生労働大臣が定めた」といわれる書面整備における事務手続きに間違いがあったことを、その製薬企業の社長が厚生労働大臣に対して各品目の製造販売承認の一部変更承認申請を行うという手紙を提出する申請イベントの前に、社内で事務手続き違反の修正を行う、申請用書類の書面整備における事務手続きの間違いの修正の手順、いわゆる「誤記訂正」の手続きをどう科学的に薬事法とその細則であるGxPに適合して正しく行うかという、科学的根拠資料を取得した担当者からの提案として、最終的には法律のバックグラウンドがある人事課長に理解できるように話し、上層部に伝えてもらうという仕事でした。
普通は、直接の上司と話せば、科学的な日常業務の範囲での報告・連絡・相談とアサーションとヒアリングのレベルで済む、単純なことです。
それが、上司、当時は、「医薬品等総括製造販売責任者」であるR&D部門の管掌執行役員のT取締役まで、間に3人の管理職が挟まる組織構造になっていたのですが、その3人とわたしとの間で、申請書類における科学的考察と書面整備での事務手続きの仕方、製造販売承認申請の仕方について、まったく見解の一致が見られなかったため、社内調整を、コンプライアンスに関する就業規則関連の指針や細則に基づいて法的に、組織を跨いで行わなければいけなくなったからなのです。
部門を跨がなくても、3人の上司の上には、T取締役がいるので、T取締役と話せたら、それで通常は済む話でした。
今、振り返ると、わかりやすく言うと、○○商事の経理課長が、会計書類の書面整備の際に、部下の担当者の提出したレポートに対して、一度、承認印を押した後、締め切り直前に、その国へ提出するはずの決算書の根拠となるレポートの一部を破棄して、このままでは、「わが社にとって不都合な見方をされる可能性があるので」集計を一からやり直せ、と粉飾決算のための圧力をかけたようなものです。
そこで、担当者だったら、皆さんは「忖度」しますか。
皆さんは、どういった行動をとるでしょうか。
経理の正式な手続きの仕方とプロトコールに沿って作られたレポートを破棄されて、「対外的なインプレッション」のために、と、圧力をかけられたら。
実際には、医療用医薬品の製造販売承認申請における安全性や品質に関する根拠資料は、科学的な事実と考察に基づき、また、GxPに定められたデータ取得手法などが、完全に規定されていますから、経理課長の決算レポートの一部を書き換えろというのとは、また、別の要素は、多々あります。
でも、原理原則は一緒です。
わたしは、担当者として、3人の上司を説得しようとして、理解が得られないという、生涯一度のせっぱつまった状態に置かれました。しかも、関わっている業務が、製造販売承認申請の承認という、その企業の、各製品の製造販売の「免許証の書き換え」という、薬事法(現、薬機法)に抵触するかどうかの事務手続きに関する、主張の違いだったのです。
わたしのキャリア上、自分の教育訓練で取得している正しいことをする以外の行動の選択は、客観的にも全く、選択の余地がない状態です。
わたしは、薬物動態学のバックグラウンドがあるし、製造販売承認申請の経験があって、また、基本的には国立大学でその正しい科学的データの取得の手技と書面整備の各論は実習で取得できています。実習の成績はAでした。
わたしは、3人の上司、そして、T取締役とは、同じ、教育訓練とリテラシーのバックグラウンドを持っていると、そのときまでは何の疑問もなく、なんとなくですが、そう思っていました。T取締役は、わたしが入社6年目くらいで薬物動態の部署に配置転換になった時の直属の上司で、その後、間に1人、2人、色々なプロジェクトで色々な上司が挟まりましたが、ずっと、ほぼプロジェクトを丸投げされて自由裁量でプロジェクトを成功させてきた身分でもあり、コミュニケーションはとることができる見込みがありました。
でも、皆さんもわかるように、どうしても忖度できない局面はあります。
上司には上司の、思惑がある。そして、かれらは、多分、スキルが少し足りない分、「悪だくみ」で、事を解決しようとした。
「部下が事務手続きを逸脱した」から、部下を懲戒処分にして、何らかの製造販売承認申請書類を、その部下を介在させずに、自分たち独自の「策略」で、誰からも、瑕疵を見つけられたりしないやり方で厚生労働大臣に社長から提出させて、解決しようとした、という事なんだと思います。
GxPの書類は、科学的根拠のデータ取得から、生データ☑、クオリティコントロール(QC)、クオリティアシュアランス(QA)、試験責任者の査読、担当者の署名と日付記入など、すべてが時系列で追跡できる記録があって、行われたことがトレーサビリティがとれていることが要件です。当然、整備された科学的根拠資料にはすべてのトレーサビリティがとれる状態で記録がありました。
わたしは、トレーサビリティを、切ることはしなかった。
上司の失敗は、製造販売承認申請の一部変更の申請の際に、書面として、すべてが提出される。それが当然の申請のやり方です。でも、3人の上司は、自分たちのスキルが足りないための「悪さをした記録」を隠蔽しようとした。
それでは、申請資料は成立しない。
当時は、わたしは社内でどこまで理不尽に憎悪や盗みの衝動からの脅しとか、そういったものを自分に向けられているのか、まったく、予想もしていませんでした。最終的に、配置転換先の部署が、解体されるまで、わたしがキーパーソンであるとは、思っていなかった。自分をスケープゴートにするつもりなのだとは、うすうす、思っていたけれど、関係者である上司らが、ワタシに対してどれほどの破壊衝動をもっているのか、わかっていなかった。
人事部にいた半年間、わたしはR&D部門にいる人間として、会社経営陣へ、人事課長を通して、現状と課題解決の模範解答について話し続けました。たぶん、そのアサーションに対するディシジョンメイキングは、当然ながら、「医薬品等総括製造販売責任者」であるR&D部門の管掌執行役員のT取締役に、役員の中で一任されていたと思います。
わたしは人事部から、T取締役にメールで(コンプライアンスシステムの外部窓口業務を担当していた企業契約の弁護士を通して)書面を提出し、製造販売承認の一変に対してどこにも瑕疵のない事務手続きの「社内での修正の仕方がある」ことを説明し続けました。
そこは、全く無視されていたので、理解が不十分なのかと、なんどもわかりやすい言葉で、逸脱の是正措置について説明した。
内容はわかっていたのだと思います。ただ、T取締役は、自分が自身の裁量で構築したマネージメントラインを、是正やカイゼンに向かう方向で、微動だに改正したくなかったのだと思います。そして、社内での逸脱が、担当者レベルだったと納得させる、その事実隠ぺいと合理化を実行するために、社内外で、無難な落としどころを、機会を見ながら狙っていた。そこにどうしようもない、論点と争点のギャップがありました。
クリティカルポイントは、わたしにとっては、「患者さんたちの命を守るため、命がけで」ということと、「医薬品の安心・安全・安定供給」という企業理念への従属意識だったけれど、そのためには製造販売承認申請の一部変更承認申請手続きに正しさが必要です。
そうしなければ、最悪の場合、工場の生産ラインが一時的に停止に追い込まれ、お薬の供給が安定しない事態になるかもしれない。また、事務手続きの違反は、お薬の品質の逸脱を容認するベクトル、大量無差別殺人のベクトルを持っています。
機構の見解で、最悪、製造販売承認の一時停止、もしくは、承認の撤回があった場合、たぶん、その医薬品の製造の権利は、長いこと戻ることはない。機構が立ち入りを行った時点で、立ち入りの原因について、社内外で報道される可能性がある。それは、企業の経営に悪影響を及ぼす。とくに、医師、薬剤師からは、違反の当事者や企業が、社会的な制裁を受けることは予測される。
別のクリティカルポイントが、会社にいる様々な人たちにはある。自己保身、権力の保持、成功の可能性があるなら、その成功の横取り、仲間内での申し合わせでの間違いの隠ぺいと利益の独占的なばらまき、図式化すると、皆さんには、見えてくると思います。権力欲と虚言癖がある人物像の群像劇では、よくあるパターンです。
愚かなこと、と思います。ビョーキかとも思う。そして、生活習慣病にしても、がんにしても、企業の体質にしても、国家の趨勢にしても、それは、重みをもっていてゆっくりゆっくりと動くので、どんな反社会的な国民の人権侵害のベクトルを持った、実効性の機能性を失っていくベクトルを持った、生命を失うベクトルを持ったモメンタムが存在するのか、それは、だれもが自覚を持ちにくい。自分のこととは思わないかもしれない。
従属意識が、その場で小あじをお口に放り込んでくれる飼育員さんだけにむいてしまって、国家の理念や企業の理念や、社会全体への従属意識とは違ったものになってしまう。
わたしは、その時、自分の経験とリテラシーによってできるすべてのことを、自分が使命だと思う事のために実行して、たぶん、それで、会社の年間1000億円を超える売り上げの、おおもとの製造販売承認申請の承認を守ることができた。お薬の品質と安全と安定供給を維持することができた。
3人の上司とその上の執行役員にとっても、そのわたしの実効性は予想外ではなかったと思います。わたしにはできることです。でも、わたしが予測できなかったことは、わたし以外の人が、同じ行動をとることを全くしない。よく考えれば、わかることなのにな、と思う。少し考えている時間が長いだけです。そして、教え導くエデュケーションがあってはじめて彼らには、正解にたどり着く術ができる。
予想外で驚いたことは、彼らは、わたしができたことを、彼らができたことにしたかった。社内でも対外的にも、わたしが逸脱をしたということにして、彼らのスキルが足りなくて、彼らが「ちょっと残念なドジを踏んだ」ことを、合理化しようとしました。それも、権力があることを利用して、残酷で大きすぎる動作、犠牲が大きい、大変不義のあるやり方と恐怖と「見返りのばらまき」で支配しようとする動き方で、合理化しようとしました。
そういったことは、コンピテンシーのない、社会性や人としての何かが欠けた人が、人事権や裁量権やマネージメントの権利を持った組織が存在する世の中には、多数ある。悪夢の独裁政治です。法律や理念は、そこに存在しないかのような惨状になる。
けれど、皆さんは、皆さんの役割を明確に認知して、そして、ひとの命と向き合い、社会に適合性のある人として、精いっぱい、その正しい行動ができる人生を歩んでほしいです。
よく、何かの課題に直面したときは、「逃げろ」とアドバイスする人がいます。それは、名案だと思います。わたしが、「逃げて」いたら、その製薬企業は、永遠に、合格ラインの模範解答を用意できなかった。
それで、よかったのかもしれないと思います。世の中が転覆するわけでもないから。
ただ、人事部での半年の逗留を経て、配置転換で自分の使命が事実上、終わりを告げたとき、わたしは、「地球を救った」と思い、それを、「お別れの言葉」として、コーポレートガバナンスのフロアの人たちへの感謝状にしたためて、人事部の掲示板へ貼って、その長居した悪夢のような赤坂の高層ビル群の眺めがいいフロアを後にしたのでした。
配置転換で業務推進部門に移って、その夏ごろだったでしょうか、「医薬品等総括製造販売責任者」であるR&D部門の管掌執行役員のT取締役(薬剤師)と、コンプライアンス推進委員会の委員長を務めるX取締役(理系、営業職出身)がお二人で、わたしの職場にわざわざ、お見えになり、小会議室で承認申請の結果を伝えてくださいました。
「機構からの照会事項に関する回答を提出して、それで、問題ないとの回答を得た。」という事です。
そして、T取締役は、「誰も、悪くはない。誰の責任でもなかったんだ。何も問題はなかった。わかってほしい。」と、わたしに言い聞かせるように言いました。
その翌日、長いことお世話になった特命課長の(福利厚生担当の課長ではなく、人事考査、配置転換、懲戒処分担当の)人事課長が、わざわざ、わたしの職場を訪れ、小会議室で、二人での面会がありました。人事課長は、わたしに対して、取締役会の懲戒処分に関する委員会によって「懲戒処分、譴責」という判定が下された、と私に告げました。そして、その理由は、わたしが、自分の職場から人事部に逗留になっていたとき、上司と意思疎通する必要があると判断して、朝、久しぶりに現場に戻り、話をして説得する中で、上司に対して「変態か」と「恫喝」したことが、上司を著しく侮辱する行為であり、周りにいた部署の現場の職員たちを非常に動揺させる、会社にとっては譴責にふさわしい暴言であったということでした。
懲戒処分の事務局としての立場で、これを伝えるといった彼の顔は、人事部で話し合いをしていたころの涙もろい、プレッシャーを抱えた、筑波大学で法律を学んで、会社に入ってからは法務畑で成長した、その特命課長の顔ではなかった。能面のような無表情で冷酷な顔つきで、わたしへの懲戒処分の手続きの報告をして、人事課長は暗い冷酷な表情のまま本社へと戻っていきました。
わたしは、反省文を書いて人事部に提出するという、懲戒処分を受けた人の通常の書類提出をするよう言われ、反省文を書きました。何を書いたかは、よく覚えてはいないけれど、「何も反省することはないです。わたしは、会社に貢献しました。」ということを丁寧に文章としてしたためたことを覚えています。そして、その反省文を、新たに上司になったK部長に、手渡しました。K部長は、そのA4判OA用紙 1枚くらいの「全然反省していない」書類をその場で読み、真面目な顔で、対面に座ったわたしの目を数秒間みつめて、「そうか、これは、おれが部門長に渡しておく。」と静かに特に感情を見せずに言いました。書類は、部門長に手渡され、たぶん、社内手続き通り、人事課長を経て人事部長が保管するものとなったのだと思います。
その後、誰からも何も言われずに、わたしは、新しい部署で、その部署での仕事に、働いている時間を使って平常心で過ごしていました。自分がどれだけ企業理念に対して従属心を持ち、どれだけの会社の売り上げに貢献してきたか、よくわかっている。キャリアは、キズモノにされてしまったけれど、その時には、わたしには、この流れがよくわかっていなかったのです。
予想できなかった。そうして、対外的、また、部門を跨いで社内的には、その「わたしが地球を救った」事案は、わたしより上の4人の上司が製造販売承認申請の一部変更承認申請において功績をあげたということで終わったのです。
申請した医療用医薬品の製造販売承認書の上に、その承認の一部変更承認のハンコが当時の厚生労働大臣によって、押されました。
製造販売承認書は改訂され、そして、新たな製造販売承認書として、会社のかえがたい貴重な財産となりました。
そして、配置転換の約1年後、配置転換先の業務推進部門が、フロアごと解体されるという組織改革と新人事があって、その後、一連の一部変更承認のプロジェクトのマネージャーである上司4人は、創業記念日の全社表彰で、「社長賞」を受賞しました。
本社で行われたその儀式は、R&D部門の大会議室で、集まったR&D職員全員の前で生中継され、わたしもR&D職員に交じってその「社長賞」の表彰を見ていました。
わたしと同期入社のたぶん年齢が同じ当時の上司が、組織の改革で新しく社長に就任した、これまた同期入社のたぶん年齢が同じ新社長と握手を交わし、撮影中のカメラに向かって笑顔でガッツポーズをしました。
そのときの社長賞では、その前のプロジェクトの食品安全衛生法改正に伴うポジティブリスト制度への対応プロジェクトの際の別の少し年下の年齢が近い上司もまた、「社長賞」として表彰され喜びの笑顔を見せ社長と握手を交わし、さらに、組織改革で新たにR&D部門の管掌取締役となった元営業出身の同期入社のたぶん年齢が同じ薬剤師である新たな組織でのR&D部門の上司が、営業時代の今では売れ筋になった代表的な医薬品の売り上げに、当時の臨床試験プロジェクトでのエビデンスの構築によって貢献した功績で「社長賞」となっていました。
その3つのプロジェクトに、わたしは参加していた。
このタイミングで、R&Dプロジェクトが連続でお祭り騒ぎのように「社長賞」をとって喜びの表情をカメラに向ける表彰場面を、わたしはその他のR&D職員とともに、生中継でぼんやりとみていました。まわりで、あまり熱心ではない白けた拍手が上がる。そんな雰囲気の中、静かに、わたしはうれしく思っていました。
「すべて、わたしが達成した仕事だった。」
わたしに、その表彰の(報酬の)話は、まったく来ませんでした。
同期の社長、同期の取締役、そして年齢の近い元の職場の上司たちは、その「盗みの腕前」を、カメラの前で、興奮してアピールしていた。あまりにおかしな空騒ぎです。何も自慢できることはない。プロジェクトにかかわった人は、全員覚えていると思います、そのプロジェクトのクリティカルポイントで、みんな、わたしとしか話した記憶がないってことを。わたし以外と話したことがある人はいないのです。
わたしが作業をし、わたしが話したことで、全てのプロジェクトは成功した。あくどく趣味の悪い生中継を見ながら、わたしは、自分が数十年間やってきた仕事をあらためて、誇りに思いました。
組織改革後の創業記念日に、年の近い大勢のマネージャーがその社内キャリアの賞罰の履歴の欄に「社長賞」のラベルを貼られました。かれらは、これから「社長賞」をとったマネージャーとして残りの人生を生きていく。
そして、一方、わたしは、上司へ「変態か」とただしたことで、取締役会の懲戒処分の委員会によって、懲戒処分の譴責を受けたというラベルを、その賞罰欄に貼られた人生を生きる。
人事権と裁量権、そのマネージメントの権利は、コンピテンシーの欠けた人材には、絶対に渡してはいけない。
リスクコントロールが不可能になるからです。水際はすぐ近くにあった。わたし以外には、できない。どうも、そう簡単じゃないらしい。そして、簡単にできないことを、その業務目標に掲げたひとたちは、人を騙し、ものを盗むことに強い衝動をもって、何のためらいもない。
トレーサビリティとストーリーテリングが必要だと思うのは、「国立大学」の選抜称号がある人で、スキルが欠けていない人だけです。エビデンスに基づくトレーサビリティとストーリーテリングがない世界には、意味がない。それは、虚構というのです。虚構の世界で、実際に自動振り込みのお金で成金を気取ることに、かえがたい価値を見る輩は、意外と近いところにいる。
それでは、理念は実行できないのですけれど。
限界は「国立大学」「薬学部」「医学部」「国家資格」でした。
同期入社の人たちとは、付き合いはほとんどなかったけれど、管理職としての称号と変わった褒章の分配の仕方によって、完全に分断された気がしていました。わたしは、同期の彼らとは、もう、争いたくはなかった。人格崩壊にシフトしているみじめな人たちに見え、自分の同期だという親和性を持っていた同期入社のコミュニティ意識に、ひどく傷つき、耐えられないと思った。
哀れで、みじめな人たちだ。しかも不義をはたらいて、盗みを成功させて、成金になって喜んでいる。悲しい。
スキルの見極めは、誤ってはいけません。そう思います。
皆さんなら、どんな気持ちになりますか。皆さんなら、どうしますか。
追記|
これは、気候変動によって大型台風が何度も日本を横切り、豪雨が続く、今の時代、「豪雨がひどくなる前に、逃げてください。自分の命は、自分で守ってください。」という気象庁の記者会見での物言いと同じことでしょうか。
一部は同じで一部は違う。
気候変動は、人が作りだした問題行動によってCO2が毎年増えていることで温室効果ガスによる気温の上昇があって起こっている。CO2を削減する必要がある。では、企業ではどうでしょうか。これは、お天気の成り行きを見守るだけで、逃げるか、安全な場所にいれば、何もしないで、流れていく家々を眺めていくか、なにが、「命と向き合う」ミッションに沿った行動か。考えてみるといいと思います。
そして、「自分の命が自分だけで守れないこと」、命を救うという事は、コミュニティが同じベクトルで考える必要があることを、ちょっと、想像してみてください。
ひとならできる。ヒトがヒトをケアする。そして、日本には、残念ながら、ひととしての要件が欠けている人がいます。それが顕在化するのは、人事権と裁量権を持った時です。スキルが足りない人は、教育訓練が必要なひとで、人事権と裁量権を持たせてはいけない。そういうことだと思います。
スマートな国にしていきませんか。それで、みんなが笑顔でいられる。幸せになれる。
もう一つのエピソード|
プロジェクトの科学的根拠資料の書面整備において、上司3人との対立が始まったのは、東関東大震災がこの辺りを襲った3.11の4日前でした。
その後、3.11と余震、また、福島第一原子力発電所でのメルトダウンによる爆発で、工場とR&D部門の施設は、大きな被害を受けました。工場での医薬品製造のラインに、地震によって亀裂が入るなど、復旧までにはかなりの時間と労力がかかり、工場GMPで働く人たちは休日返上の激しいシフト制で必死で医療用医薬品の安心・安全・安定供給を復旧させ、患者へのお薬の供給が止まらないように、一途にそのミッションの遂行をしていました。
一方、医師や病院の施設には、MR職の営業の担当者が、まわって、医療用医薬品の在庫や、供給の見通しを、丁寧に説明し、どうか、患者への供給が滞らないよう、処方を短期にしてほしいと、頭を下げて頼んで回っていました。
営業部門と工場製造部門は、手に手を取って、医療用医薬品の安心・安全・安定供給のために、気力・体力の続く限り、そのミッションの達成に一斉に取り組んでいました。
工場の廊下には、営業職と工場製造ラインの職員たちの寄せ書きが入った大きな旗が飾られていました。お互いを尊敬し、感謝し、頑張ろうと、その寄せ書きには書いてありました。
今、振り返りながら、「わたしは逃げてもよかったのかな。」と考えます。
その時は、迷いなく、課題解決のため、逸脱の是正のため、プロトコールを作り、実行していく、やったことはないけれど、たいていやったことはない仕事しかしてきていなかったので、わたしは迷いなく自分のミッションを遂行しました。プロジェクトにかかわった人間のうち、わたしだけが迷いがなかった。
皆さんは、どう思いますか。「逃げろ。」それは正しいです。「自分の命は自分で守れ。」それも正しいです。
でも、日本人は、大部分の日本人は、わたしと同じ行動をとります。それが、自分の周りで、起こらなかった。予想ができないことでした。
ここまで、エピソードを読んだ皆さんは、きっと、その局面を避けることができる。そして、日本人として、平凡で、笑っちゃうような、素敵な行動の選択をするでしょう。そうするだろうと思っています🙂
正解についての、あなたへの示唆|
ここからは、ここまでのストーリーについて考えてきたひとへのサジェスチョンです。
100%の正解ではないけれど、一連の騒動の顛末を経験してみると、このシチュエーションでは、わたしは、上司3人が不正をしようとして法令に反した間違った指示命令を出したところで、3.09の時点で、指示に従わない、つまり、指示に従わない方法は、会社をやめるか、配置転換を願い出る、つまり、逃げる、自分の命を守ることを優先する行動を選択することが正解だったと思います。
法律を逸脱することは、普通の人は自然にふるまっていれば、まずすることはないです。法律を逸脱する人は、盗みや人殺しを平気でする人です。
逸脱個体と話をしてはいけない。話しても、コミュニケーションは取れる見込みはありません。殺人鬼に殺意を持たれるだけです。
皆さんは、こういう局面で、自分の教育の背景やリテラシーから法令に触れるようなこととわかることを上司から指示命令されることがあったら、不正な指示命令には従わないで無視すること、暴力を振るわれたりしないような安全な場所に逃げて、自分の命と健康と再出発の機会(その再出発までのエネルギー)を守ることを第一優先としてください。
地球🌍を守るのは、ひとりでやることではないです。
できるようになったら、みんなでやりましょ😄
コミュニケーションスキル(その1)一往復半のあいさつ♫
本社ビルの最上階の下の階であるコーポレートガバナンスのフロアで、人事部への直出直帰扱いの半年間の逗留を指示命令されていた時期、帰宅のためにそのフロアの下りのエレベーターをエレベーターホールで待っていたとき、たまたま、ひとりで待っていたのですが、上の階から降りてきたエレベーターに1人だけで、知らない「おじさん」が乗っていました。
わたしは、その下りのエレベーターに乗り、その見知らぬ「おじさん」と二人きりで1階まで下りていくことになりました。
「誰かなー、このひと。」
「寒いね。」とそのおじさんが話しかけてきました。その時、わたしは、環境問題に取り組む姿勢から、靴下は3枚重ね履き、インナーは、2枚重ねて、その上にさらにウールのタートルネックを着て、さらに、素敵なコートを着るという重装備をしていたので、その相当厚着をしているために帰宅して家の中に入るまで外気温は一切感じないという完ぺきに環境に配慮した装備でした。そのため、わたしは、反射的に、「いいえ、ぜんぜん寒くないです。厚着しているので。」と答えました。
「見知らぬおじさん」は、その後、親和的な雰囲気を示しながらずっと黙っていて、わたしも、黙っていました。
エレベーターが、1階に到着し、会釈してエレベーターを降り、正面玄関のほうに歩いていくとそこには、ピカピカの大きなレクサスがドーンと止まっていて、運転手がドアを開け待っていました。エレベーターに乗っていた「おじさん」は、そのまま、レクサスに乗り、そのレクサスは本社ビルの正面玄関からぶーんと立ち去っていきました。
「誰だったのかな。」
後で調べたら、記憶が定かではないのですが、わたしが半年間逗留されていたコーポレートガバナンスのフロアの上の最上階にいる役員の中の専務取締役でした。
「寒いね。」って言われたのに、共感の姿勢を示すことができなかったー💦
頷けばよかったー。
きっと、「こいつは、俺に共感しない。」って思われたー💦
ただのお天気の話なのに。。「頷けなかったよ…」
その後、ある日、自分が逗留されているフロアの廊下で、その専務とすれ違うことがありました。軽く会釈すると、専務は、笑顔で「ごめんねー。」といってすれ違っていきました。
「ご・め・ん・ね・???」
会社の取締役と廊下ですれ違って、まったく意思疎通ができなかった💦
一往復半のあいさつができなかった。「あの時、頷いていたら…OZ」
その専務が取締役会の中からいなくなったのは、いつだったか、記憶にないのですが。いわゆる「慶応ボーイ」の素敵なナイスなおじさまでした。会社の取締役会からいなくなりました。
頷くって、シチュエーションによっては、とっても大事だよ。
そして、一往復半のあいさつを心がけることがコミュニケーションを円滑にします♫
できたこと、ないけどねー。
🎤 ♪ 少しも、寒く、ないわ~ ♪
当時、記憶が曖昧なのですが、わたしに配転命令が出る前後に、その製薬会社で、何人かの専務、取締役が、取締役会からいなくなりました。経営陣が、直接R&D部門の「リサーチャー」と直接話をしないという基本姿勢は、リスク管理上、間違ってはいないと思うのですが、科学的な考察や書面整備での逸脱のリスクの程度と、その是正が必要な組織体のレイヤーの把握は、直接のヒヤリングでの確認があれば、ディシジョンメイキングのリテラシーがある経営陣であれば、数10分の間に判断はできます。そのために複数の頭脳がある。
就業規則やその中でのコンプライアンス関係の指針、細則には、利益相反関係に関わる規制の記述があります。
その時のわたしが関わった製造販売承認申請の一部変更承認申請での社内での必要な修正では、開発のプロジェクトにかかわるT取締役以下、その配下の管理職すべてが共謀して、(今まで一緒に仕事をしてきた顔見知りで、しかも、一緒にプロジェクトのミッションを遂行中である仲間である)わたしに対して、相当の不利益取り扱いと脅しや情報の封鎖そしてわたしにわからないところでの不正の隠ぺいとスケープゴートとして対外的に見せるための工作などを行いました。
利益相反関係があり過ぎました。
その修正は、最善の場合は、ほんのわずかなことで済むはずでした。
直接の不正の指示命令にあたった「2名の同い年の上司」が、その上司から、叱責と再教育と明確な修正の指示を受ければ、それで済む事案でした。
経営陣全ての取締役へのスケーラブルなリスクの情報提供ができていれば、大げさな職権乱用やばからしい大騒ぎにはならないですんだように思います。
リサーチャー、研究員への、「コミュニケーションが出来そうもない」といった偏見は、ある程度は、リサーチャー、研究員の努力によって改善するところがあるとは思います。
が、ヒヤリングなど目的が限ったリスクコミュニケーションでは、プレゼンテーション能力やデータ解析や視覚化の能力があるので、お互いに win-winの関係を築くための有意義な時間を持てる可能性は当然ある。課題を共有し、問題がある場所と程度を把握することが可能だったのではと思います。
経営陣の全員が強盗・山賊の類で法律は何も守らない殺意の塊というわけではないのはわかるのです。法規制を概念として理解できる人と人の間の正しいリスクコミュニケーションは、組織体の中では必要なことです。
ただし、その製薬企業では、残念なことに、就業規則も薬事法(現、薬機法)関連の規則も、なにも、実効性がない空白の時間が長く無駄に過ぎました。
わたしは、法治国家における法人の中で仕事として、法規・制度・倫理を把握していれば、課題解決は容易だと思っていました。でも、それは、無理だった。結果的に、誰も法律を守る努力をしなかった。
指示命令にあたるマネージャーは、全社、全員、コンプライアンス違反である内容の指示命令を部下に対して出していたという事になります。
上司の指示命令に従う義務と法規制の教育のバックグラウンドによっての理解による自分自身の人間としての存在の間での葛藤で、涙を流す人が何人かいました。
上司が指示命令を法規制の理解の中でしていれば、誰も心の葛藤で涙を流したりはしないですんだのです。
そして、わたしが企業の中で多くの人から、殺意を持たれたり脅されたりして苦しむ長い時間を過ごすことはなかった。
わたしは、その時、法規制に反してわたしを苦しめた人たちを、許さない、逸脱個体とみなさざるを得なかった。
自分として、許さない人が、日本で大勢できてしまいました。不幸なことです。見える化されているという点では、幸運なことかもしれないけれど。
誰とでも信頼しあって仲良く仲間として過ごしたかった。
たとえ、その中に、スキルが少し足りないために、潜在的に、ものを盗んだり、人を殺したりする可能性がある人がいたとしても、事件性のある行動をとる可能性は、リスクコントロールによってリスクが許容できる範囲に入っていれば、わたしは、何とか課題解決ができた。
法律に配慮をした行動をしたのは、法規制で資格と行動が縛られた国家資格所持者である産業医と会社契約の弁護士だけで、しかも、その医師と弁護士には「国立大学」での法規制遵守についての教育のバックグラウンドがあった。
そんな限界なのでしょうか。そんな限界なのです。でも、可能性はあったのだろうと思うのです。
ただし、防災訓練のように、コンプライアンスの逸脱があった場合の一連のスキームは、毎年、動作として実習の形式で全社的に、経営陣も含めて、行動の仕方を覚えさせておかなければいけない。
わたしは、社内の就業規則や関連法規制、細則を読めば、枠内で動くまでの理解ができるけれど、経験からすると、わたし以外のすべての人は、動作で何回か動かして覚えさせないと無理です。
企業の経営陣と言っても、お金は膨大にはあっても、頭蓋骨の中の脳みそは、鯨ほどは大きくはない。一人のヒューマンスケールの人間です。コンピテンシーとリテラシーがあれば、数分の間に、情報とベクトル(目的とその対策として必要なモノ)だけ示せば、ディシジョンメイキングの方向性を探る行動をとるはずです。
実は、その方法で、この事案の前のプロジェクトのクリティカルポイントでは、社長とイレギュラーな場面でディシジョンメイキングに必要な情報とあるべきベクトル(目的とその対策として必要なモノ)について直接話しました。
同業他社の同じような職種のマネージャークラスの知り合いとの雑談の中で、「社長とイレギュラーな場面で直接話した。」と言ったら、「セキュリティー管理の甘い会社だな。」と笑ってバカにされましたが、善意と誠意とミッションへの従属意識が強ければ、たまには、やっていいことです。
まず、好感と共感への可能性を持ってもらうコミュニケーションスキルは、リサーチャーにも必要かもしれないです。悪いことには使っちゃダメだけどね。
※国立大学で優秀な成績をおさめた人で、キャリアのある人だけね。ほかの人は真似しないでねー🙀
長い文章の羅列を読んで、プロトコールをその枠内での具体的な動作に収めるというクリエイティブな作業は、できるひとにしか、できないです。それは、確認しておく必要があるリテラシーです。
わたしの法規制理解のなかでは情報封鎖はあり得なかったし、わたしは、リスクコミュニケーション委員会での複数の経営陣や関連部門長などのいる中で、ヒヤリングを持たれることは常識としてあるだろうとイメージしていました。
それは、なかったのです。
誰もが覚えておくべき教訓であるように思います。
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科学的根拠資料作成における薬機法違反行為|その「罪の重さ」について
わたしは、国立大学で教育を受けたバックグラウンドがあるので、科学的根拠資料作成における薬機法違反行為に関しては、「罪の重さ」というところから発想します。
その罪の重さについては、細かく論点解説するとロジカルな複数の理屈が連なっていかなければ理解できないので、これから例えで話すことと多少違うことは事前に言っておかなければいけません。
でも、科学的根拠資料作成において薬機法違反行為をするという事は、少なくとも「医療用医薬品の開発における製造販売承認申請」という観点からは、わたしの法律の解釈の範囲では、「無差別大量殺戮」をする行為と同レベルです。
教育のバックグラウンドがそういったものなので、さらに、製薬企業では医薬品の開発という分野でキャリアを積んでその実践の中でレギュラトリーサイエンスについてより深く理解することが仕事の範囲だったこともあって、申請用科学的根拠資料に関しての、不都合な事実の隠ぺいおよび事実と異なる虚偽の記載に関しては、わたしは、それを「人殺しと同じ行為だ」と感覚的に感じます。
わたしの経験した事案において、製造販売承認申請の一部変更承認申請(当時、薬事法第14条9項に規定された業務)では、上司2名が、担当者であるわたしから提出済の、上司の署名も含めたすべての書面整備の完了した申請用科学的根拠資料を、「不都合な事実の隠ぺい」を目的として、締め切りギリギリで一方的に棄却してきました。
承認申請用の資料であるので棄却理由の記載が必要です。上司は棄却理由を生データの一部に書き込みましたが、それは事実とは異なる虚偽の記述にあたりました。
その科学的根拠資料は4月から5月にかけて予定されていた承認申請のためのデータのパッケージの一部で、3月末には本社の薬制部門で申請業務を担うグループへと送付されるはずのものです。
上司は、「このクロマトグラムでの現象を、審査にあたるPMDA(機構)が見たら、審査担当官のインプレッションが悪くなって、承認までのスピードが予定している開発スケジュールよりも遅くなるから、不都合な見方をされないように」データを取り直すよう指示命令をしたのです。
それも、その試験には、「PMDAの審査官のインプレッションがよくなるようなクロマトグラムを得られる」選別を経た、ある特定のロットの分析カラムを使用するようにと指示命令したのです。それは、やってはいけないことだと、誰でも判断できます。製造販売承認書を守るためには、やる意味のないことです。それがわかっていたのは、わたしだけでした。
それは、東関東大震災のあった3.11の4日前でしたが、皆さんはお分かりになると思うけれど、「わが社の利益(お金)のために、無差別大量殺戮をしろ!」と指示命令されたことと同等の恐怖心をわたしは持ちました。そして、その指示命令に従った場合の罪の重さについて考えました。
それと同時に、自分と同期入社で年齢が同じの、四半世紀以上、同じR&D施設内で仕事をしてきたはずの上司に対して、人としての見方の変容(なんだ、こいつ?)と教育のバックグラウンドから生じる「法に従う」ことに無自覚なスキルの劣悪さに、「(国立大学での薬学教育と薬物動態学という教育的バックグラウンドから生じる)正常な憤り」を覚えました。
自分と同期入社で年齢が同じ上司Mは、早稲田大学理学部出身で、製薬企業では、新薬開発における品質管理法の設計からキャリアを始めた人間でした。ほぼ新薬R&Dの品質管理法設計と製造販売承認申請をキャリアとしていた。一方、わたしは、入社当時は、もう一つの部署の医療用医薬品の製造販売承認申請にかかわる製剤品質設計を担う部署に配属されて、その後は、薬理に関する研究所を経て、入社6年ころに薬物動態の部署に配属が変わっているので、一緒の部署では働いたことがないけれど、同じR&D部門の施設内で、R&D職として働いてきていました。
だから、彼は、わたしとは同じ教育レベルであると、なんとなくは思っていました。
彼とわたしは、時期が被らない部分もあるのですが、T取締役がR&D部門の中のマネージャーであった時期に、長年、その部下だったという共通の組織でのキャリアを持っていました。
その上司Mの上司の部門長は、東京理科大学理学部出身で、キャリアは遺伝学の基礎研究所から始まり、本社での学術営業支援などを経て、再びR&D部門へマネージャーとして戻ってきたキャリアでした。入社はわたしより1年早いくらいだと思います。かれらは、その時動いていたプロジェクトでの要件となるリテラシーにおいては、ある部分は理解できるレベルだった。だから、マネージャーとして機能はしていました。
そして、科学的根拠資料における不都合な事実の隠ぺいと虚偽記載に関して、また、申請書類の棄却とデータの取り直しの手順に関して、わたしが、上司3人と見解の一致をみることが不可能となった時、わたしは、驚きとそれまでの彼らに対する見方からの「誤解」へ気づき、意外性を禁じえなかったのです。
「えぇ~⤴」って感じです。
振り返ってみれば、結局そこに限界がありました。上司と部門長は、薬学教育をまったく受けていない人たちで、薬事法第14条における科学的根拠資料の正しい取得の手技と、彼らの判断で行った薬事法違反行為の社内事務手続き違反の不正に関しての「罪の重さ」に対して、まったく、自覚がなかったのです。
少なくとも国立大学で薬学を学んでいる人で、薬事審査関係のキャリアがあると、その不正は、「殺人に等しい」という背筋が凍るような憤りを反射的に覚える違反行為なのです。
彼らには、薬学教育をバックグラウンドにした、その不正が殺人へ至るという複雑で正しいロジックが、大学教育を受けていた時期から会社に入ってずっとのキャリアの中でまったく育成されていなかったのでした。
殺人をしてはいけない。そこに、決定的なギャップがありました。
かれらは、その不正に関する指示の際に、まるで、おふざけのような態度をとっていました。
「承認までの期間が延長されると都合が悪い。」
「わが社のプロジェクト成功と自分らのボーナスや様々な報酬のためだから」と。
わたしが、コンプライアンス推進委員会への社内公益通報システムを使った法的な手順によって、その医療用医薬品の総括製造販売責任者のT取締役に対して、報告・連絡・相談を試み始めました。
そして、社内コンプライアンス細則で定められたリスクアセスメントのためのシステムが、まったく始動しないまま、その年の夏が過ぎ、前半が終わり、後半の始まりでは、まだ、わたしは上司2人と、同じ認識に至っていませんでした。
その年の後半が始まり、(わたしからの法的手続きを通した報告・連絡・相談に一切の回答をしないまま)、医療用医薬品総括製造販売責任者のT取締役(薬剤師)は、執行役員として、具体的には本社薬制部門の申請業務を担うグループの長(薬剤師)Rに、社長から厚生労働大臣への「製造販売承認申請の一部変更承認申請を行います」という申請の手紙を出す作業を始めるよう指示しました。私が担当した一連の品目の申請手続きが、わたしとわたし以外の関係者との見解の一致や、コミュニケーションがないまま、始まってしまいました。
社内で申請の前に、上司2人の違反行為に関する修正を部門長が上司2人に指示して、誤記訂正が行われれば、社内での薬事法違反行為に対する事務手続き違反の修正、誤記訂正で済むところを、T取締役以下、わたしの上の4名の上司と申請業務のグループの長は、修正に対する提案を無視して、わたしには一切申請の具体的なやり取りは知らせないまま、不正を隠蔽したまま、厚生労働大臣への承認申請を始めてしまったのです。
いまのSNSで飛び交うわかりやすい言葉で言うと、
「まじかぁ~、やべぇー。まじ卍。」
といった気分です。なお、実際には、わたしはこういう言葉を使いません。
その時点でわたしはコンプライアンスの外部窓口業務を行う会社契約の社外の弁護士に連絡を取り、その弁護士へ書類を送付し始めました。
社内コンプライアンスシステムが動かないことに気づいたからです。
その後、R&D部門の当時の総務マネージャーが人事部長の指示代行という事で、わたしに接触し、R&D部門の施設内の、震災後の電力の制限で省エネのためにエアコンが完全に切られて照明も完全に落とされた図書館の一角に、わたしのための机と椅子を用意すると言い出し、そこで、主にその人事部長代行であるR&D部門の当時の総務マネージャーに「今後の進路」についての希望などを書いて渡す作業をするよう、大変普段通りの優しい笑顔で言ってきたので、比較的困ったことになったと思いながら、産業医に、「その職場環境の提示と話し合いの手順」は、コンプライアンスシステムの手順と違うという事を、当時、メンタルヘルスケアのR&D部門事務局の責任者であったK部長へのメールで、「上記内容につき、産業医に転送してくださいますようお願いします。」と依頼しました。
そして、本社人事部の人事部長から、本社で面談の時間を持つという提案がなされ、わたしは、その年の後半を人事部がある本社ビルのコーポレートガバナンスのフロアで、人事部長から特命課長に任命された人事課長との話し合いと、社外の会社契約の弁護士を通した、その申請の最高責任者である医療用医薬品総括製造販売責任者T取締役(薬剤師)への「社内での正しい修正の仕方」に関する説得で過ごすことになったのです。
その一方で、厚生労働省に公益通報する場合は、国家公務員に関する法令などによって、窓口が決められたりするので、それに従うのですが、薬事審査に関する窓口が対応してくれました。
当時の薬事法と公益通報者保護法に関する、厚生労働省の(公益通報を受け付けるはずの)窓口でのやりとりからは、何となくは、学んだのですが、窓口で主に私からの電話を受けて、内容を確認してくださった担当者のKさんは、北海道大学工学部出身で、厚生労働省ではレギュラトリーサイエンスに関する部署でのキャリアを取られた方でした。話をする中で、彼は、社内での事務手続き違反であると考えるいう事と、修正済であれば、事務手続き違反は、薬事法違反にあたらないということと、薬事法対象外の事案であるため、公益通報者保護法の適用範囲ではないという事をおっしゃっていました。
彼は、薬事法はわかってはいなかった。一番驚いたことは、薬剤師かどうか尋ねたときに、「薬剤師です。」と答えられたことです。工学部出身では、薬剤師国家試験は受けられません。インターネットで調べた限りでは、彼が薬剤師であるという事実は確認はできませんでした。
窓口業務のひととは話しても限界があるとは思ったので、PMDAのそのプロジェクトの書面調査にあたっている最高責任者Sさんと電話で話す機会があって、国家公務員法の規定があって本来は科学的根拠資料の取得者である担当者が直接話すことは無理なのですが、規定の範囲内で短く話せる機会があって、薬事法違反であることと公益通報者保護法の適用された公益通報として話していること、Kさんから見識が違うことを言われたことをその責任者に短く問いただしたところ、「窓口業務のKには、彼なりの考え方があると思います。」とだけ言われました。
Kさんに薬事法と公益通報者保護法の「判決」を下されたくはない、Kさんにはそのリテラシーはない。そういった限界は、厚生労働省での公益通報のやり取りにおいてもありました。
わたしが、失意の中で電話を切る前、PMDAでのその一連の品目の書面調査の最高責任者Sさんは、最後に、少しそれまでの事務的な口調から声を変えて、照れたような少し震えた声で、こう言いました。「がんばってください。」
「なにをがんばれば、いいんだよー。」(わたしの心の声)
T取締役以下の配下のマネージャーの間では、不正をした当時者は「科学的根拠資料を作成した担当者(つまり、わたし)」という口裏合わせで一致していたので、厚生労働省側の審査にあたる様々な人の中でも、おそらく、わたしは「敵方」、相手方、不正をした当時者とみなされ、そこにバイアスがかかっていることによって、また、何らかの忖度があったことによって、わたしの善意と、致し方がない「罪の重さ」に関する認知からの尽力は、窓口での虚しい長いやり取りによって、終了しました。
北海道大学工学部での教育バックグラウンドがある人は、薬事法違反行為の「罪の重さ」がわからない。工学部と理学部は、今の時代、命と向き合う際のレギュレーションの講義を数単位取得はさせるべきです。必要最低限の教育が無ければ、人が死ぬ事態になる。
罪の重さの理由、みなさんはわかるでしょうか。
科学的根拠資料の取得において、不都合な事実を隠蔽すること、事実とは異なる虚偽記載をすること、それは、殺人罪に当たるという、その罪の重さ。
なぜか、わかりませんか。なぜ、殺人罪に相当する罪の重さが、そこにあるのか。
それを、わたしは国立大学で、教わりました。
長年の上司であったT取締役(薬剤師)が、薬剤師になるための教育をどこで受けたか、わたしは知りません。知っていたのは、学歴に大阪大学理学部と書いていたことだけです。
そして、本社での申請業務を行うグループの長R、実際に申請資料を厚生労働省に提出したRは、現静岡大学(当時、静岡薬科大学)薬学部で薬学を学んだはずです。Rは、わたしやわたしの上司Mより1年早く会社に入社し、一時期は薬物動態の部署でわたしの直属の上長だった経歴もあるので、製造販売承認申請に関しては、知識があるはずでした。でも、R(薬剤師)は、医薬品の製造販売承認申請をする本社の社長の事実上の代行である医療用医薬品総括製造販売責任者である執行役員のT取締役(薬剤師)の代行として、不正行為を隠蔽したまま、製造販売承認申請の一部変更承認申請手続きを通そうとし始めたのでした。薬事法違反行為です。
T取締役と実際の不正の隠ぺいをして(担当者の不正という事にして社内で修正済と言っていたのだと推測します。)申請を始めたRは、薬剤師なのです。
彼らはわかっていたはずです。患者の命を守るために、命がけで、ということと企業理念への従属という事の実践は、お薬の安心・安全・安定供給であるという事は。
その年の後半、情報を封鎖されていた私は、人事部にいて、知りませんでしたが、おそらくT取締役と不正の隠ぺいをして申請を始めたRは、不正は担当者がしたことだとして、わたしをスケープゴートとして、厚生労働省に対して、データの提出を行っていたのだと思います。
わたしが作成した科学的根拠資料が、実際、どのような形で、MからRにわたり、厚生労働省にパッケージとして送られたか、実際には、今でもわかりません。
PMDA(機構)における書面の審査の間、PMDAが何を彼らに照会事項として提示し、彼らが、それに対して、何を回答し、それに、PMDAの審査の担当官がどう反応していたか、わたしは、人事部にいながら全く知らずに過ごしていました。ただ、ひたすら、そのPMDAの書面調査の間、正しい申請の方法について、T取締役に対して、外部の会社契約の弁護士から、詳細な手順や科学的根拠やその科学科学的根拠の考察の仕方について、何度も何度もすべての書類を提出して説得していました。
結局、T取締役は一度も私に返信をしなかった。
そして、その申請業務が行われている最中、わたしは、自分に会社から配給されていたPCを人事部にもってきてメールや書類作成をしていたのですが、直出・直帰扱いで、所属部署の申請関係のサーバーに対してアクセス権限があったので、申請が始まってからのPMDAの照会事項とその回答作成状況と、回答に対するPMDAの反応までを、その時申請が進んでいたプロジェクトの全品目について確認ができました。
PMDAからの回答は、わたしが科学的根拠資料を作成した品目(その秋に申請)を含めて全品目において、3.11があった年の4月からその年末まで、一度も来ていませんでした。プロジェクトの申請業務は、PMDAの回答という応答に関しては、少なくともその年の後半にT取締役とRが申請してしまった紛争中の品目を含むプロジェクトで申請中の全品目に関して、事実上、フリーズして一切進行していなかったのです。
理由について知りたかったわたしは、サーバーの中の申請業務関連資料をすべて読みました。わたしは、当時、その部署の所属でプロジェクトの担当者だったので、全部、読んで、その申請業務の動向を解析し分析して考察することができました。
それを、人事課長との話し合いの機会に、一覧表にしてすべて説明しました。主に、社長や上層部に、プロジェクトの動向がわかる人間として、打開策を探るために、そのプロジェクトがどうやら順調ではなくて、PMDAは、回答を控えていることを知らせたかったのです。
その後、わたしの所属部署のサーバーのアクセス権を調整できるアドミニストレーター権限を所持していた上司が、わたしのアクセス権を停止し、本社の申請業務のグループの長であるRから、人事課長を通して、激しい恫喝の書類が私へと届きました。
人事考課と配置転換と懲戒処分が担当業務である人事課長が、その恫喝と恐喝に満ちた悪夢のような書類を、対面に座ったわたしに、代読しました。
「申請資料を不正にダウンロードした」と、「ハッカー扱いして怒る内容」に、わたしは、「ダウンロードボタンがついていないけど、どうやってダウンロードするんだよ。」と内心思っていました。
人事課長へ提出した申請動向に関するまとめの書類は、T取締役の配下のマネージャーへと手渡されていたのでした。サーバーへのアクセス権をオフにされたことで、その申請の進捗と照会事項に対する回答の内容は、わたしからは見ることができなくなりました。
半年の人事部での逗留後、わたしに対して、人事執行役員の取締役である人事部長から、業務推進部門への配置転換命令書が手渡され、わたしは、四半世紀以上過ごしたR&D部門から初めて出て、部門を跨いで人事部長が管掌する間接部門である業務推進部門へと移動したのです。
罪の重さについて、わたしは国立大学に入学した年に、はじめて学ぶ講義で、「お薬には、作用と副作用があります。」という教授の一言から学び始めました。
「へぇ~、お薬には、効果だけではなく副作用があるんだ!」
それは、18歳のわたしにとって、驚きでした。
その後、「サリドマイド事件」などの薬害について学ぶ中で、過去に、製造販売承認申請の科学的根拠資料において、承認されるにあたっての書面調査で、承認に不都合と思われる可能性がある事実の隠ぺいがあったことで、書類審査が通ってしまってお薬としての製造販売が承認され、市場に出たそのお薬を飲んだことによって、奇形児の誕生や、副作用による患者の死亡があったという事を、大学の講義の中で理解していきました。
また、その後の、失敗に学ぶ規制の改正によって、GxPの手順の整備が行われ、FDAのレギュレーションに水準を合わせる形で、厚生労働省関係の法規制やGxPの制定が行われたことを、公衆衛生や法律・制度・倫理の中で学びました。
卒業の前の実習の中では、科学的根拠データの正しい取得の手技や書面整備の仕方を、大学での研究レベルでそのロジックと必然性について、各論的に覚えました。
その中で、科学的根拠資料の取得と整備にあたって、GxP規制を逸脱するような、不都合な事実の隠ぺいや、事実と異なる虚偽記載は、「薬事法(現、薬機法)違反行為」であること、万が一、違反行為にかかわった時は、処罰されること、処罰が軽くても、その違反行為が公開されれば、研究者、科学者、薬剤師、医師などは、社会的な制裁を受けることを学びました。
また、大学生に対して、こうしたことを教えるとき、東京大学出身の教授や、その教育背景がある先生方は、誤謬のある言い方をすると、実際には言われた記憶はないですが、「そんな殺人鬼のようなことをする前に、おまえは死ね。トレーサビリティの切れたデータシートは、燃えるゴミにしかならない。」と言われたような、そういった教育を受けていました。そして、多くの学んだことでつながっているロジカルシンキングのピラミッド構造の中で、わたしは、おっしゃるとおりのことでロジックは成り立っていると疑うことなく覚えたのです。
それは、国立大学を卒業し、製薬企業でキャリアや経験を積む中でも自分の基盤でした。なんとなくは、製薬企業に勤める薬剤師は、みんな、そこまでの理解はできると思って仕事をしていました。実際には、理解できていたのは、わたしだけだった。
そんな教育のバックグラウンドがあるので、科学的な不正については、気分的には、「『おまえ死ね。』に相当する行為だぞ。」くらいの感情と憤りと恐怖は持ちます。理屈がわかって各論を理解していて初めてその合理性が成り立つことですが、感情的には「『おまえ死ね。』に相当する行為だぞ。」に至るまで2秒です。なお、文字通りではないことを申し添えます。言ったこともないです。
罪の重さについて考えることは、本人の自覚以外の、他人からの強制で思うことではありません。
そして、会社での最後の経験の中で、わたしが知ったのは、会社の中でそんな気持ちになる人は、わたし一人だけだったという事でした。そこが水際でした。
専門性が違って、作業分担が明確に分かれていれば、スキルが欠けていることは、特に問題にはならないけれど、製薬企業の製造販売承認申請にかかわるマネージャーの必要最低限のリテラシーは、たぶん、そこにあるのだろうと思います。
わたしは、罪の重さについて、ずっと考えていました。心が震える気持ちを抑えながら、罪の重さはどのくらいだろうか、と。気持ちの面で、わたしが様々な恐怖や障害に対して、最善の策を探り続けた、根本にあったのは、その人間としての自然な仕草、罪の重さを許容してはいけないという、子供の頃、大学で教わり、子供の脳の中に形成されたロジカルシンキングのピラミッド構造による、殺人行為への、いかにも子供のころから教わっていることらしい一瞬で迷いがなくなる「恐怖と憤り」の感覚だったのです。
科学的根拠資料の正しい取得の仕方と不正をした場合の罪の重さは、経験からすると、理学部、工学部では国立大学でも、お薬の安全・安心・安定供給についてのレギュレーションというレベルでは教えられていないことだと思います。
薬剤師であっても、国立大学までが限界であると思いました。
たぶん、命と向き合うということと、患者の命を守ることがミッションである人間になるのだという事、そして、殺人の罪の重さについて、子供の頃に教わって、専門性の高いキャリアを積み上げていないと、「気分的に、笑いながら、殺人をする」ような、あまり、社会では見かけない猟奇的な殺人鬼のような様子を呈し始める。
「それ、やってしまったら、人、死んでしまいます。」
T取締役とその配下のマネージャーは、やってはいけないことを、何のためらいもなく、不正への「恐怖と憤り」に至らずに、自分たちに都合がいいことを優先して、やっていました。
その、わたしが心の震えをもって常に意識の中でアセスメントを行っていた「罪の重さ」の認知を、ほかのだれもが持たないという違いは、残念ですが、圧倒的なものだったのだと、今では考えます。
なぜ、科学的根拠資料の取得において、不都合な事実の隠ぺいと事実と異なる虚偽記載をしてはいけないか。
それは、人の命を守ることを担う役割と責務において、殺人へと至るベクトルを持っているからです。患者の命を守るというミッションに対して命がけで、という中で、大量無差別殺人に至るベクトルを、一切持たせないことのためには、法規制を順守することはその要件です。
お薬には、作用と副作用があるからです。
不正を行った場合の罪は重い。殺人罪と同等の量刑にはなるのです。それが、FDAと厚生労働省が、悲惨な失敗の経験を経ながら作ってきた医薬品の製造販売承認に関する法規制システムです。
マネージメントの権利、人事権、裁量権については、コンピテンシーからの選別が必要です。そのコンピテンシーを形成するのは一部は大学での教育のバックグラウンドで、罪の重さがわからないと、リスクコントロールが破綻します。規制の概念では、死者が出るという事です。
わたしは、本社人事部に逗留されていたある日、大学で教育を受けたある恩師に対して、「わたしの罪の重さは、どのくらいになると思われますか。」と手紙の中で問いました。
返事は、かえっては来ませんでした。
3.11の翌年、わたしが配置転換で業務推進部に異動になって、夏、PMDAの照会事項に対する回答と書面審査が終了し、わたしが一切関わってはいない、申請・書面調査が終了しました。
わたしが科学的根拠資料の取得と書面整備を担当した製造販売承認申請の一部変更承認申請品目は、厚生労働大臣によって承認されました。
その直後、取締役会の懲戒処分の委員会の手続きによって、「懲戒処分|譴責」と決定したと、わたしはいわれたのです。
人事部に留め置かれていた時期、わたしは、久しぶりに戻った現場での上司への説得の中で、上司に対して「変態か」と暴言を吐いたらしいのですが、懲戒処分の理由は、その暴言を吐いた行為に対してでした、その後、反省していないことを反省文の書類に書いて提出し、わたしが関わった開発業務は終わりました。
プロジェクトの進行の中での出来事でわたしは懲戒処分とされ、一方、その翌年の春、創立記念日の行事の中の社内表彰で、違反行為のあった上司Mはプロジェクトの成功の功績として「社長賞」を受賞しました。
上司らは、うわべだけの、違反行為の人事的な是正として、担当者であるわたしを懲戒処分とし、罪と責任転嫁をして、さらに功績を盗むことによって、予定通りのスケジュールでは終わらなかった、無駄に長かった、残念な仕上がりの申請業務を完了しました。
本来なら、そのプロジェクトにおける仕上がりの査定はとても低いはずです。
そして、配置転換された先の間接部門である業務推進部門での、会社の業務効率化を支えるというわたしの会社でのミッションが始まったのです。
罪の重さと、行動の選択について、皆さんだったら、どういうディシジョンメイキングをするでしょうか。どう行動したらよいと思いますか。
製薬企業は、虚構の中で生きる権力欲ばかりの拝金主義の人たちが、天から降ってくるお金にまみれて、不正と間違いとサボタージュの中で過ごす場所としては、適さない。
罪の重さがわかりますか。
追加のエピソード / C専務取締役との面談|
入社当時は、わたしは、医療用医薬品の製造販売承認申請にかかわる製剤品質設計を担う部署に配属されました。
その年、その製薬企業は、一連の品目のかなり大きな製造販売承認申請のプロジェクトを終え、当時の厚生労働大臣の承認により、医療用医薬品としての医薬品の製造販売承認を得ました。それは、その企業にとってのエポックメイキングであり、医療保険適用の医薬品のラインナップを得た売り上げの増大によって、R&D型の製薬企業へと大転換をはかった年でもありました。
その厚生労働大臣(当時、厚生大臣)の承認印の押された製造販売承認書の原本が置かれた部署に、わたしは配属され、企業でのキャリアの第一歩を歩み始めたのでした。
その新人採用面接の際に、わたしの前に座っていた複数のマネージャーのひとりに、当時、その部の部長を務めていて、その製造販売承認申請の科学的根拠資料を準備する責任者を務め、厚生労働大臣の製造販売承認を得るまでに至ったC部長がいました。C部長は、その後、本社の開発部門長を経て、わたしが、製造販売承認申請の一部変更承認申請にかかわった事案の課題解決のため、コーポレートガバナンスのフロアで、特命課長とやり取りをしていた時は、専務取締役となっていて、おそらくは、コーポレートガバナンスのフロアの上の階にいたのだと思います。
ある日、コンプライアンス委員会の執行役員であるX取締役が、C専務取締役と2人で、わたしと面談をするという事になりました。わたしは資料を準備して、書面を読み上げる形で、その面談を始めました。わたしは、当時の開発の歴史から話始めました。
入社時のC専務取締役が製造販売承認を通した品目の、医薬品の品質管理法の一部変更に関する話だからです。
事案の(薬事法違反行為の隠ぺいを抱えたまま承認申請中である)品目の製造販売承認書を、そもそも最初に通したのは、私が入社した当時はまだ30歳代だったC専務取締役だったからです。
事案は、その製造販売承認書の一部変更による「免許書き換え」に相当します。そこに上司の薬事法違反行為があった。その説明をC専務取締役にしました。
質疑応答の後、C専務は、
「言っていることは、正しいよ。まぁ、(わたしに薬事法違反行為に当たる指示命令をだした、同期入社のわたしの上司)Mも承認申請を早く通そうと焦っていたんだろう。」と言いました。
その後、コーポレートガバナンスのフロアでC専務とすれ違ったとき、憔悴した様子でしたが、C専務は、わたしを見て、特に感情を見せずに「がんばって。」と一言言って通り過ぎていきました。
そして間もなく、企業の取締役会からC専務取締役はいなくなったのです。
四半世紀以上前に、30歳半ばで、その一連の品目の製造販売承認を勝ち取った、C専務取締役は、それらの品目の承認申請の一部変更承認申請動向をそれ以上、見ることはなく、取締役会から去ったのです。
いなくなった。わたしへの人事部長(人事管掌取締役)の配置転換命令と前後して、複数の役員がいなくなっていました。
X取締役とT取締役は、まだ、取締役会にいました。
タイムマシーンに乗って|
何にしてもそうだけれど、お薬にはライフサイクルがある。
構想フェーズから始まり、開発フェーズに入り、製造販売承認申請をして、厚生労働大臣の承認を得たら、市場での製造販売と、製造販売承認後の安全性の評価や品質管理によるメンテナンスを継続する。科学技術の進歩によって、製造方法を一部変更するとか、品質管理法を一部変更する場合は、製造販売承認書の一部変更承認申請を行います。
医薬品、医療機器等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律(以下、薬機法)の第14条(医薬品、医薬部外品及び化粧品の製造販売の承認)第9項には次のように書かれています。
以下、引用
第14条第9項|
第一項の承認を受けた者は、当該品目について承認された事項の一部を変更しようとするとき(当該変更が厚生労働省令で定める軽微な変更であるときを除く。)は、その変更について厚生労働大臣の承認を受けなければならない。この場合においては、第二項から前項までの規定を準用する。
以上
ここで、「第二項から前項までの規定を準用する。」との記載がありますが、どういうことかわかりますか。
第1項には次のように書かれています。
以下、引用
第14条第1項|
医薬品(厚生労働大臣が基準を定めて指定する医薬品を除く。)、医薬部外品(厚生労働大臣が基準を定めて指定する医薬部外品を除く。)又は厚生労働大臣の指定する成分を含有する化粧品の製造販売をしようとする者は、品目ごとにその製造販売についての厚生労働大臣の承認を受けなければならない。
以上
第14条の第2項から第8項は、新薬の製造販売承認申請をする際の規定が書かれている部分です。第9項の製造販売承認申請の一部変更承認申請において、「第二項から前項までの規定を準用する。」ということは、つまり、新薬の製造販売承認申請と、その一部変更承認申請の、薬機法上の規定は、同等であるということです。
つまり、医薬品の製造販売承認書の書き換えには、一部変更する部分に関して、新薬の開発での申請データと同じレベルの科学的根拠資料をそろえる必要がある。
そうしないと、医薬品の製造条件や品質管理が、理由なく省略されたり、改悪されたりする可能性があるからです。ですから、一部変更承認申請は、新薬の開発と同等であると規定しておく必要があるのです。
上司Mら、2名から、上司の署名もすでに入った科学的根拠資料を、「不都合なクロマトグラム」であるという理由で棄却されたとき、わたしは、そのクロマトグラムが不都合な状態だとは思わなかったし、PMDAから照会がある可能性は想定していませんでした。しかし、上司から指摘を受けて、全て論破するためには、バックデータを用意しなければいけないので、R&D部門の研究報告書のアーカイブや、図書室にある科学雑誌のバックナンバーなどから、関連する情報を調べて、PMDAから照会事項として問い合わせが来た場合に、回答するための根拠をまとめました。
わたしは、追加試験が必要なら、PMDAから照会されたときに、その論点に対して、追加試験の計画を立てて、追加試験を行って回答することが正しい手順だと思いましたし、その時間によって、承認申請スケジュールが伸びるとは思いませんでした。
そして、バックデータを用意するための文献調査のなかで、キーになる科学的根拠に対して引用文献をさかのぼっていくうちに、自分がその製薬企業に入社したころ、つまり、その一連の品目の製造販売承認申請のプロジェクトと厚生労働大臣の承認があって、さらに品質設計などの戦略的な開発が進んでいた当時の研究報告書までたどり着いたのでした。
社内の研究報告書や学術論文などの文献が残っているので、わたしは、それらを読みました。そこには、まるで、タイムマシーンで四半世紀以上前のR&D部門にもどったような世界が広がっていました。
そこには、当時の躍動感のある医薬品の開発の風景が広がっていました。
研究のアーカイブから、まだ、20歳代から30歳代前半までの若者しかいない研究所で、「この薬を上市するんだ。」という情熱が伝わってくるような科学的データの「熱量」といいますか、開発ロマンと青春の群像が伝わってきたのです。確かに、あの時代、この企業のR&D部門には、アツさがあった。医薬品の開発を可能とする薬学系の企業科学者たちの底力があった。
結局は、それは、基礎科学に従事する薬学系の科学者の底力でした。
その後、わたしが入社したころを境に、医療用医薬品としての製造販売承認を得た品目の売り上げの上昇による資金をバックにその企業はR&D部門を拡大していきました。そして、今、振り返ってみると、その私が関わった事案である一部変更承認申請を行った部署には、あの、製造販売承認を通して、その後、「高邁」という言葉がふさわしいような戦略的な開発をさらに進めていた、あの基礎科学の底力は失われていたのです。
開発に必要な、実力が伴わない部署になっていた。
そこへ、わたしは、その前に担当していたプロジェクトが一旦、ある程度ルーティーンで進められる、GMP管理へ移行しつつある中で、途中から、その製造販売承認の一部変更承認申請のプロジェクトに、同じ年齢の上司2人の下での指示命令で動くルーティーンの仕事をする人員として入ったのでした。
結果的には、そこには、基礎科学の企業系科学者は誰もいなかったし、薬学を学んで、応用科学の試験計画や研究ができる実力はなかった。開発力が足りなかった。
一部変更申請は、新薬開発と同等のレベルの科学的根拠を用意する必要があるのです。
その組織の要件を満たしていないマネージャーの組織体制が、ありえないような、薬事法違反行為と、その不正の隠ぺいという、医薬品の開発において、最悪、製造販売承認の停止に至るような「残念な仕上がりの」事態を招いた。
その水際が、国立大学薬学部までかどうかは、わからない。
けれど、あの、入社当時の開発プロジェクトにかかわった人たちの基礎科学者たちの青春群像のような「熱量」と「高邁」さの大本になったものは、何だったのかなと思うのです。
開発フェーズが終わって、医薬品が上市され、製造販売承認後の安全性と品質の維持管理がメインとなっていく中、組織の作業量としては、ルーティーンが増えていくけれど、開発の実力は残しておかないと、科学の進歩に合わせた開発型の維持管理の部分が破綻するのかな。
ルーティーンの管理はルーティーンの管理としてあるけれど、開発ができる基礎科学者がマネージメントをする、人事権、裁量権を持つことが、お薬のライフサイクルの中の製造販売承認後の維持管理、お薬の品質を劣化させないための要件となってくるように思います。
国立大学というラインが、その組織体のマネージメントのひとつの「閾値」なのです。
まぁ、楽しい職場環境のほうが、いいですしね。😄
資金力が、あがっていくことと、科学的な開発力の底力が比例しなかった。そして、不正という逸脱が始まる。
その製薬企業は、その医薬品分野のリーディングカンパニーでもあったので、その品質管理における組織力の低下、その主にマネージメントを担う人材の選抜の中での人事の失敗による開発の底力の低下は、おそらく、この30年間の、そのお薬の品質設計における品質管理法の抱える逸脱へ、つまり、日本におけるお薬の安全、安心、安定供給において、外からは見えにくい部分である、品質管理の科学的、技術的な水準に、全体的に影響を与え続けているのかもしれないし、それは、適材、適所の人事と、マネージメントの権利、人事権、裁量権の正しい区切り方で、容易に解決できる、つまり、科学技術的な限界点ではなくて、人事がクリティカルになっている課題なのだと思います。
彼らにはできないけれど、わたしにはできる。その程度の差ですから。
わたしは、すでにその業界の人間ではないけれど、業界のその企業人事の失敗に起因する、業界の全体的なお薬の品質管理の科学水準の低迷があるとすれば、医療保険で8割以上の収入を得ている企業体質の世界であるので、外側の一市民としては、残念なことだと思います。
国立大学での教育のバックグラウンドがあって、その「薬機法違反」行為をした人たちを「人殺し」だと認識するから、患者の命を守るために、そして、お薬の安全、安心、安定供給を守るために、許さない、容認できない、という命がけの気持ちになるのですが、だからといって、自分、本人がお巡りさんではないので、「殺人予備罪」を見かけたら、その場で確保して、踏んづけちゃうなど、殺人への防御においての積極的な介入は無理です。
では、職業上、常時、リスク管理をする立場で、そういった現場に遭遇したらどうしたらよいと思いますか。そこが課題だなーと思う。
防衛の任務にあたる人は、お巡りさんなり、軍人なりの装備が必要です。
それは、企業においては、人事権、裁量権、あとは、法令順守なのですが、殺人鬼が法令を自主的に順守するわけがないので、そこで、どう動きを封じ込めるかです。
その殺人鬼を踏んづけちゃうために、自由裁量権や人事権を消滅させるには、どのようなセーフティネットが企業組織運営とガバナンスに必要か、という事だと思います。
丸腰で、殺人鬼に対して、リスク管理を行うことは、至近距離では難しいのです。
皆さんはどう思われますか。
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レギュラトリーサイエンスって知っていますか|分析法バリデーション(実務)
これまでお話ししてきたわたしが経験した事案でのもう一つの論点は、上司Mら2名が却下してきた承認申請用の科学的根拠資料において、上司は、「このクロマトグラムでの現象を、審査にあたるPMDA(機構)が見たら、審査担当官のインプレッションが悪くなって、承認までのスピードが予定している開発スケジュールよりも遅くなるから、不都合な見方をされないように」データを取り直すよう指示命令をしたのですが、上司Mら、2名から、上司の署名もすでに入った科学的根拠資料を、「不都合なクロマトグラム」であるという理由で棄却されたとき、わたしは、そのクロマトグラムが不都合な状態だとは思わなかったし、PMDAから照会がある可能性は想定していなかった点です。
それは、不都合な事実の隠ぺいや事実と異なる虚偽の記載といった薬事法違反の事務手続き違反の不正をしようとする上司を説得するための、もうひとつの論点でした。
わたしの提出した科学的根拠資料は、品質管理の抜き取り検査で、そのお薬の含有成分が、製造販売承認書に記載の成分量の規格範囲に入っていることを検査するための定量分析法のバリデーションに関する科学的根拠資料でした。
上司から「審査担当官のインプレッションが悪くなるから」と言われたクロマトグラムでは、定量分析する成分のピークに、不分離のピークが重なっていました。
そのピークは、カラムの分離度が悪いとテーリングのように見え、さらに、カラムの分離度が悪いと、完全にその成分のピークと重なって一つのピークのように見えました。定量成分ではない不純物の夾雑ピークであることは、あらかじめわかっていたことでした。
わたしは、「このクロマトグラムに見られる現象は公知の事実なので、PMDAからの照会はないと思います。」と上司に言いました。
上司は、「いや、PMDAの審査官は知らないから、照会される。いらないことをつつかれて申請スケジュールが伸びてしまう。不都合なんだ。やぶ蛇になる。」といって、「データを取り直せ。」と威圧的に言ってきます。わたしを明らかに非難している態度が伝わってきます。
わたしはそのクロマトグラムに見られる現象は公知の事実であると知識では知っていましたが、オーソライズされた過程についての科学的根拠や審議でのディシジョンメイキングの根拠資料までは把握していなかったので、文献調査をすることにしました。
そのクロマトグラムにおいては不純物が、分析において定量すべき成分と重なり、その2成分を面積値で合算して定量していました。
それがすべての品目での申請用科学的根拠資料において慣例でした。
不純物は、定量すべき成分のエピマー(構造異性体)でした。定量成分と化学構造式が似通っているので、ほとんど定量成分と物理的に同じ挙動を示します。それで、その分析法バリデーションを行った定量分析法では、そのメーカーのそのシリアルナンバーの分析カラム(製品)で完全分離することはなく、ロットによっては少し分離してピークトップが分かれるので2つのピークに見え、また、別のロットでは、分離が不完全でテーリングに見え、ロットによっては、きれいな1本のピークに見えることもありました。
分析カラムのロット間の差で、クロマトグラムでの成分ピークのクロマトグラムでのピーク形状が変わるのです。
分析法のメソッドバリデーションを取得しなければいけなかったその定量分析法は、細かい実験機器の指定以外は、ほとんどの分析条件が日本薬局方のその品目の規格設定における定量法として、国において定められていました。
実は、その品目の製造販売承認書の一部変更承認申請における品質管理法の変更部分は、自社独自の品質管理試験での定量分析法および成分規格から、その品目が日本薬局方に収載されたことを契機として、国が日本薬局方においてその品目について定めた品質管理試験での定量分析法および成分規格へと、一部変更する書き換えだったのです。
その科学的根拠資料は、国が定めた医薬品の品質検査の分析法のメソッドバリデーションです。
この分析方法を使用して、工場において医療用医薬品の品質管理を行うことが科学的に妥当であることを証明する資料です。
日本薬局方の解説書を読むと、その分析法について、最も古くその分析法が採用された品目での記載において、「エピマーと不分離であることが知られている」という記述があります。
みなさんは、分析法バリデーションについては、もう学びましたか。
本来、医薬品の成分の規格値に関する定量分析法のバリデーションの要件として、特異性という項目があります。しかしながら、この一連の品目では、定量成分のエピマーが医薬品の中に含まれていることは認められていて、定量成分にとっては夾雑ピークであるものの、医薬品の中に含有されるその他の成分のひとつなのです。それでも、一般的には特異性を確保することが分析法のメソッドバリデーションの要件となります。しかしながら、一連の品目のその成分の定量法においては、成分とそのエピマーは、面積値を合算して、規格値とみなしていました。
では、成分とそのエピマーは、面積値を合算して、規格値とみなすことは、どこで、どうやってオーソライズされたのか、また、ロット間のクロマトグラムにおけるピークの分離形状によって、その合算された定量値は、変わる可能性があるのか、わたしは、科学的根拠について調査しました。研究所の研究報告書のアーカイブを調べ、また、科学学術文献のバックナンバーを調べはじめました。
定量値の信頼性に関わる論点としては、ピークの分離度によって、2つのピーク面積値を合算した面積値が変わることがあります。
皆さんは、どのような場合だと思いますか。
それは、成分と不純物が完全分離しているときと、完全に重なっているときの、指標である物性、この時は、それは吸光度でしたが、その吸光度が変わる場合があるのです。分析化学でもう習ったと思いますが、成分の吸光度に対して、不純物が同時にその場所にあることで、クエンチングなどによる吸光度の減少が起こることがあるのです。あるいは、不純物が同時にその場所にあることで、その場での成分と不純物の物性が変化して、吸光度があがる場合もまたあるかもしれません。
その吸光度変化が、不純物と成分とが同時にある場合と分離しているので同時にはない場合とで、変化しないこと、クエンチング等の影響の有無は、科学的データの信頼性を証明するために必要な根拠のひとつです。
上司Mら2名と、意見の対立が始まって数日後には、幸い、わたしは、その根拠資料を社内の研究報告書から見つけていました。その成分のエピマーは、構造が特定されて純度が証明された標準品として社内にあったので、その成分とエピマーとの間で、クエンチングによるシグナルの減弱や吸光度の増強などの現象が起きないという実験結果が、別の部門で取得されていました。
これで、ピークの分離形状によって、2つのピークを合算したことによる吸光度は変化しないことが、科学的根拠をもって考察できると、わたしは考えました。それでも、PMDAから照会されたら、その論点に合わせた試験計画を立てて、追加試験で証明すればよいのです。
もう一つの疑問が残っています。不純物であるエピマーが、その定量分析法では分離しないことは、日本薬局方には解説として掲載されています。本来であれば、不純物と分離した分析法を日本薬局方には収載すべきではないでしょうか。
皆さんは、どう思われますか。
日本薬局方の解説書には、不分離の成分があることに関して、引用文献として書籍が載っていました。わたしは、研究所の図書室へ行ってその「本」を探しました。
「この辺の書架に、あるはずだな。」
わたしは、書架に並んだ本の中から、そのタイトルの本を見つけ、借りて、自分の机まで持ち帰りました。
また、同時並行で、わたしは、そのエピマーが関連する研究所内の研究報告書をたどり、科学学術論文が引用されているところは、図書室へ行って、論文をコピーして持ち帰りました。
そこには、その時動いていた比較的大きなプロジェクトである一連の品目の製造販売承認申請の一部変更承認申請におけるおおもとの製造販売承認を取得するに至った、研究と開発の歴史が詰まっていました。
その最初の一歩が、わたしが図書館で手に取った、書架に地味な雰囲気で置かれていた、その本の内容だったのでした。その本は、厚生労働省の科学的な研究班が主体となり、国立医薬品食品衛生研究所の科学者が統率して、当時の全ての同業他社の製薬企業からの選抜部隊が参加した、巨大プロジェクトの成果をすべて収載した本でした。
わたしがその企業に入社するより数年前に行われたプロジェクトです。
そこには、この品目の製造販売承認書の取得にあたっての科学的根拠の作成の責任者であった当時の入社当初のわたしの所属部署のC部長、一部変更申請のときは専務取締役になっていたC氏の名前も、企業からの参加者一覧の長いリストの中に乗っていました。
わたしは、その本を読むまでは、過去にあった最初の一歩の一大プロジェクトの、科学的に詳細な内容は知りませんでした。
その内容を読んでみると、すでに、その時点で、定量分析法の公定法を作るという構想とその定量分析法開発にあたって、成分とピークが分離しにくいエピマーが同時に存在することが、明らかとなっていました。
わたしが上司2名と対立を始めたのは東関東大震災のあった3.11の4日前でしたが、科学的根拠として、成分と重なる不純物が単離され発見されたのは、実は四半世紀以上前のことだったのです。わたしが入社するよりも前です。
書籍によれば、プロジェクト全体の目的の通り、その成分の分析定量法を開発する最終目的は、公定法、つまり、日本薬局方にその成分の定量分析法を、規格設定のために収載することでした。不純物の存在は、その時点で、問題視されています。
そして、選択肢は、2つありました。不純物を完全分離して、成分を定量分析する方法を開発し、日本薬局方に収載するか、不純物を分離しないまま、定量分析する方法を開発し、日本薬局方に収載するか、そのどちらかです。
皆さんなら、そこで、どうしますか。
推測ですが、関わっている人たち全てで、特に企業側の担当者の中で、意見は分かれたのだと思います。分離して測定できる定量法を開発して品質管理すべきか、そのまま分離しないで、不純物も合算で規格値とするか、各社、それぞれの都合はあります。それぞれ、その成分は、医薬品の原料や販売する医薬品、また、医薬品の製造販売承認申請を予定する医薬品において、品質管理指標とされていく予定となっていたからです。
そして、国立医薬品食品衛生研究所(日本薬局方に関する研究などを行っている厚生労働省所轄の国立研究機関)の科学者で、その本になった厚生労働省の科学研究プロジェクトの最高責任者であったL先生は、不純物を分離しないで合算で規格値とみなす定量法を、「公定書に掲載する予定である規格基準の品質管理のための定量分析法」として選択したのです。
そこには、科学的な分析法の検討の経緯と、ディシジョンメイキングがあったことだけが記載されていました。
一方で、わたしが探し当てた学術論文においては、O製薬(正確な社名は確かめていません)の科学者I氏は、その成分の分析定量において、不純物であるエピマーを完全分離して定量する方法で品質管理を行う事を主張していたように、わたしは読み解きました。また、社内の資料なども併せて文献調査し、当時C部長は、その別企業のI氏と同じ考え方を持っていたことを発見しました。
そのプロジェクトのディシジョンメイキングに関する引用文献をわたしは、調べてみることにしました。そして、いくつかの文献から、そのエピマーが分離しない方法を日本薬局方に収載するという決断に至ったと思われる文献をピックアップすることができたのです。
ここからは、当時、わたしがそこにいたわけではないので推測になりますが、日本薬局方に、当時、不純物を完全分離した分析法を収載することができなかった理由を見つけたように思います。
一番の大きな科学技術的な障害は、たぶん、国が提供可能なその成分の標準品の純度にあった。標準品自体に、そのエピマーである不純物が混在していたのです。化合物の物性が非常に類似しているため、完全に分離して高純度の標準品を精製して市販品として提供することは、当時の技術として、「量産することは無理」という程度だったのだと思います。
日本薬局方に品質管理法が収載されれば、その定量法を使用して品質管理する企業は一気に増えます。純度の高い標準品を、大量に供給していかなければいけない。しかし、それは、わたしが入社する前の、HPLCが普及し始めたばかりの時代には、難しかったのでしょう。
つまり、完全分離して定量する条件では、公定法に使用する標準品が、2つのピークに分かれてしまうのです。厚生労働省は、標準品が2つのピークに分かれては、定量のためには都合が悪いと考えたのでしょう。
純度99%の標準品は、作ろうと思えば当時から作ることはできました。原料と実験用機器と、精製の技術にたけた科学者がいれば、エピマーは完全に除去して、高純度の標準品を提供することはできた。現実には、それが当時可能だったのは、中堅以上の製薬企業で、ノウハウがある企業だけでした。
国立医薬品食品衛生研究所は、日本薬局方への品質管理法収載にあたって、日本薬局方で用いる標準品を、一社の特定の大手試薬メーカーから提供しようとしていました。その必要な提供量から逆算して、その成分の標準品の公定法上の純度は定められたのだと推測します。
わたしは、図書館で、もう一つ、興味のある文献を見つけました。その文献は、日本薬局方へのその成分の品質管理法収載にあたってのパブリックコメントが厚生労働省から求められた際に、富山県の複数の製薬企業が、富山県の保健センターとともに、連名で科学学術論文を作成し、パブリックコメントとして提出したものでした。
わたしが、初めてバイオアナリシスのメソッドバリデーションについての概念を学んだのは、ある科学雑誌に掲載された1本の科学学術論文でした。
その論文には、ファイザーをはじめ、メガファーマと呼ばれる外国の様々な製薬企業に所属する著者が、FDAに所属するラストオーサーと共に名を連ねていました。まだ、FDAのレギュレーションとしてのバイオアナリシスのバリデーションの規定が定まる前のことです。その後、分析法バリデーションに関しては、FDAでのレギュレーションが定められ、後に、それに準じた概念で、日本薬局方に分析法バリデーションの規定が盛り込まれることになります。
富山県の保健センターに所属する科学者をラストオーサーに、富山県の様々な製薬企業に所属する科学者が名を連ねた、その成分の定量分析法に関するディシジョンメイキングの科学的根拠を示す提言は、いわば、その富山県バージョンのようなものです。外国の製薬企業の名前ではなくて、「ケロリン」などの製薬企業の名前が並んでいる。そして、富山県の保健センターが取りまとめの事務局となっていました。
正直、かっこいい。スマートなパブリックコメントです。
その論文で、「富山の薬売り」の皆さんは、不純物のエピマーを分離しない定量分析法を推奨するための考察をしていました。
推測ですが、中堅以上の大手は、そのとき、日本薬局方への分析定量法収載にあたって、共同したパブリックコメントは提出しなかったのではないでしょうか。私が入社した年、わたしが入った製薬企業では、複数の医療用医薬品の製造販売承認申請が認可され、R&D型の医療用医薬品を開発し製造販売する企業としての開発戦略が加速し始めていました。日本薬局方とは、まったく、路線が違う戦略的な開発が始まっていたのです。
その頃の研究報告書を読んでみると、エピマーの構造決定を当時最新のNMRを使って行っていたり、エピマーの標準品を大量に精製して取得したり、成分純度99%以上の定量成分の標準品を必要十分な量、豊富に精製して準備したり、各品目において、その成分を完全分離した品質管理用の定量分析法を開発して、最新の分析カラムを選定して、最新の分析機器を使用して、メソッドバリデーションをしたり、わたしと年齢が近い、同じ研究施設の中にいた、当時20代の若者たちが、どれほど嬉々として、情熱をもって、躍動的な研究成果を積み上げながら、その成分をエピマーと完全分離した定量分析法を開発し続けていたかわかります。
そして、日本薬局方に、エピマーを分離しないで合算して規格値とみなす、その成分の規格基準と品質管理のための定量分析法がはじめて掲載されたのです。
エピマーを分離しないというディシジョンメイキングが日本薬局方においてそこで決定されました。
その後、日本薬局方は定期的に改正を重ねてきましたが、その成分に関する分析定量法にあっては、日本薬局方としての戦略の変更はなく、分析法は四半世紀以上の間、変更されずに、そして、あらたな医薬品の品目が日本薬局方に収載されれば、過去を踏襲する形で、その不純物とは分離しない分析定量法が掲載されて来たのです。
そして、わたしが途中から上司2名の下での担当者として参加することになった、一連の品目の製造販売承認申請の一部変更承認申請のための科学的根拠資料作成が始まったのでした。それは、その製薬企業独自に開発し製造販売承認書に記載された定量分析法から、あらたにその品目が日本薬局方に収載されたことに対応して、日本薬局方に記載された定量分析法に、品質管理方法を書き換え、基準値を変更し、その分析法のメソッドバリデーションを行うという作業を伴うものだったのです。
まとめると、その時点で、わたしは、そのクロマトグラムの形状の変化が、PMDAからの照会事項には当たらないだろうという、文献調査による科学的根拠を得ていました。
唯一、追加する必要がある科学的な根拠としては、その分析法のメソッドバリデーションの生データにおいて、分離して2ピークになっているその成分の夾雑物質が、エピマーそのものであることを、エピマーの標準品を、マトリックスに添加した試料と、添加していない試料とを、連続する1バッチの分析セットで比較して、その標準品の保持時間や添加した際のピークの形状などから、考察することくらいです。1日で追加の科学的な根拠資料を作成することが可能です。エピマーの標準品は、その研究所には保管されているからです。
それを、どの時点で、どの上司に対して報告・連絡・相談したのか、よく覚えていませんが、上司4名からの返信は一切ありませんでした。
そして、その一連の品目が申請作業に入り、最終的には、すべて、コンプライアンス委員会の外部窓口の弁護士経由で、それらすべての科学的根拠を含めて、書類を提出していても、まだ、わたしは人事部に逗留されたまま、半年間、「ピークは一本に見えなければいけない。」などと部門長などから言われ続けたのです。
どういう書面審査の手続きを経て、PMDAからの様々な照会に上司らが回答し、そして、厚生労働大臣が、製造販売承認書の一部変更承認申請書に承認の印を押したのか、わたしは、わからないまま、その承認の1年後に製薬企業を退職しました。
上司らの薬事法(現、薬機法)違反行為に当たる不都合な事実の隠ぺいと虚偽の記載による科学的根拠資料の取り直しは、社内での(上司らの)事務手続き違反という結果に終わったけれど、それに対する上司らの説明責任や是正措置や反省の言葉は、社内では一切ありませんでした。そして、上司へ暴言を吐いたとして、わたしは懲戒処分、譴責を受けた。わたしが何かをして悪かったと誤解させるための行き過ぎた懲戒処分でした。わたしにとっては、キャリアを失うことに等しい残酷で理不尽な上司らの暴挙です。
そして、配置転換先の組織が異動して1年で解体され、わたしは、所属するグループごとR&D部門の1部署の配下に戻されました。その年の創立記念日の社内表彰で、上司Mらは、事案のプロジェクトで会社への功績があったとして「社長賞」を受賞した。取締役の職責から外れた職権の乱用によって、大げさで、バカらしい(事務手続き違反という上司らの失態の)隠ぺいが続いていた。
ただ、わたしは、関わっていない申請業務において、PMDAでの書面審査が、全てのトレーサビリティの取れた科学的根拠資料に対して、十分に正しいやり方で行われたことを祈るだけです。
日付と署名によって、出来事の時系列がすべてわかる科学的根拠のデータセットには、試験責任者である上司の事実とは異なる虚偽記載によるクロマトグラムへの「棄却理由」の記載があった。取り直しの指示命令にあたった上司は、最初の試験の試験計画書と、再試験の試験計画書に、捺印と署名と日付記入をしている。科学的根拠資料の生データのクオリティチェック欄には、試験責任者の署名と捺印と日付の記入がある。上司の事務手続き違反は、全ての科学的根拠資料と生データを全部みなおせば、そこに、時系列にそって、残っている。上司Mらがやったことが薬事法違反行為に当たる事務手続きでの不正であることは、明らかに書面審査の中で判明するはずなのです。
そして、一連の品目の製造販売承認書の一部変更承認申請書に、厚生労働大臣の承認印は押されました。
以上、論点、分析法バリデーション(薬剤師国家試験|物理)について、実務の体験からお話させていただきました。
皆さん、分析法バリデーションのイメージは、掴んでいただけたかな。
ついてきてる?
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エピローグ|
いつもは、学業において専門性の高い教育訓練に邁進して、立派な社会人を目指してハードな勉学の日々を送っている学生の皆さんも、この時期、野外で過ごす時間が心地いい日々は、いつもとは違った視野を持ったり、自由度のある興味や、広い視野をもったりして、少し、心にゆとりの出来た時間だったのではと思います。
そんな学生さんたちに、社会に出る準備の中で、参考となればと思い、大学を卒業してすぐ就職し、四半世紀以上過ごした会社での思い出を、ちょっとだけ、語ってみたいと思います。
個人の名前がアルファベットで出てきますが、この物語は、現実をより鮮明に描写するために書かれたフィクションであるという見地から読んでいただければ幸いです。
エピソード #1 5S大会
人事部長からの配転命令を受けて異動先に移る前に、新しく上司になるK部長と会って、今後のことについて聞いておかなければと、メールでアポイントメントを取ったところ、すぐに打ち合わせの時間を持っていただけた。
「机と椅子は、事前に用意しておくから、当日は、特に、来てくれるだけでいいよ。」とのこと。
打ち合わせの内容がほぼ終わったころ、K部長が唐突に、「S君とW君は、若いのにしっかりしてるね!」と言い、笑顔になった。最近終わったR&D部門の5S大会のことを言っているのだ。S君とW君は私の異動前の所属部署の後輩である。昨年度の年間の5S活動(整理・整頓・清掃・清潔・躾に関する現場からの課題解決のための小集団活動)を総合的に評価して、優秀なチームを表彰するアワードである5S大会で、S君がチームリーダー、W君がサブリーダーを務める(私も所属していた)チームが優勝したのだ。
私は、昨年度の前半は、5Sチームの週に1度の30分間のミーティングや課題解決を模索する活動に参加していたのだが、昨年度後期は、もっぱら、本社のコーポレートガバナンスのフロアに、人事部長が用意した机と椅子にいて作業や、人事部長が「特命課長」に任命した人事部の福利厚生担当の課長ではなくて配置と人事考課制度を担当する課長のほうとの不定期のしばしば開催される2人だけのミーティングに参加している時間が長く、本来の所属部署には戻っていなかったから、昨年度後半の5Sチームの活動の様子はわかっていなかった。
5S大会がどのように執り行われたかも知らなかった。「そうか、優勝したんだ。」、少し意外に思って驚いて、そして、少しうれしく思って、何か得意そうな表情の(5S活動の事務局責任者である)K部長を見た。
「でも…、しっかりしているかなぁ、彼ら…。」
昨年度、前半での彼らとの5S活動を思い出す。その時期には、私と同期の入社の上司や年齢が同じ別の上司が、現場の5Sのチーム活動に参加しなくなっていたので、結果として、私がその小集団活動のチームの最年長者になっていた。週に1度の30分のミーティングでは、話し合いで決まった議題の司会をチームリーダーの若手の中では中堅のS君が努め、入社して間もないW君も推進力となって、各チームメンバーが、話し合いの中で、順番に意見を言いながら、課題解決へのベクトルが、共通の認識や価値観の共有へと進んでいく。
私は、積極的には発言しなかった。自由闊達な話し合いになればいいと思っていた。
ただ、彼らは、R&D部門の中で、入社以来、自己裁量の大きい仕事の進め方をしてきているので、かなり、自由で独自の価値観や、社会の常識とは違った「習慣」を持っていて、そういった面からは、GMPの組織と枠内で工場において働く職員や医療用医薬品の営業職として働く職員と比べると、システマティックに組まれた教育プログラムを受けていないので、「しばしば、常識的なベクトルから遠ざかっていく」局面があるのは否めない。
私も、同じ育ち方をしているので痛感するのだが、自由な発想にはいい面と悪い面がある。そんなこともあって、彼らの発言を聴きながら、良いベクトルに収束する方向に向かった「いい意見を言っている」と判断すれば、若干、うれしそうな表情をし、「意外なことを言い始めている」と思えば、若干、あっけにとられた表情をしたりしていた。
彼らは、たぶん、私の表情を読んでいたと思う。ミーティングの場数を踏むうちに、最終的には、無難で実効性が高く生産性につながる課題解決に収束していく話し合いが効率的に多く持たれるようになっていた。些細な成功経験から本質的なコツと勘所をつかみつつある集団になっていた。現場に則して細部までカスタマイズできるプログラムである5S活動のメリットだと思う。
そんなミーティングの進化の過程を私が見ていたのは、昨年の前半までだった。
K部長の意外な言葉と上機嫌な笑顔を見ても、「まだ、頼りないな。」といった印象しかなかったけれど、思い返せば、昨年の後半の約半年間、私がチームメンバーから外れた5S活動は、どのように進行していたのだろう。その後半の、私が知らない半年間を経て、彼らはR&D部門のあまたある「5Sチーム」の中から、みごと、優勝の評価を掴んだ。
「意思決定、ディシジョンメイキング」という言葉が脳裏に浮かぶ。
たぶん、私は、彼らに、意思決定の基本の型を、あのチーム活動の中で習得してほしかったのだろうと思う。
優勝がどのような経緯で決まり、どんな内容の発表があったか、私は知らない。
まだ、R&D部門に5S活動が導入される前のことだったと思うけれど、こんなエピソードがあった。入社して間もない(W君のすぐ先輩の)G君が研究室の居室に戻ってくるなり、
「K部長と廊下ですれ違いざまに、服装について、怒られた。滝沢さんは大丈夫なのに、どうして僕だけ怒られるんだ。」
と言って憤慨していた。
どうやら、G君は、先日の部門の(本社で当時部門の管掌を担当していた専務取締役も参加する)月例報告会での私の(プロジェクトの進捗と今後の経過に関する)発表の様子を見ていて、その時私が着ていた服装のコーディネートを若干フィーチャリングした服装をしているつもりだったらしい。G君のその場での服装は、ハワイアン風の柄シャツの裾をズボンの外に出して、やや腰履き気味のダボパンの小汚い作業着風のカーゴパンツをはいているというファッション。月例報告会での私のコーディネートと、似ているといえば似ていなくもない。ただし、私がたぶん履いていたと記憶しているボトムは、デザインとして腰骨で止まるヒップハングという形の裁断がされているけれど、ダボダボはしていなかったし、確かに、プリント柄の入ったシャツを着ていたけれど、その辺の洋服屋さんで買ったハワイアン風のシャツではない。きちんとしたアメカジブランドのシャツである。
とはいえ、K部長にしてみれば、来客もある正面玄関付近の廊下を、その格好で歩かれては、という気持ちが強かったのであろうかと思う。K部長は、その役職にふさわしく常に厳格な態度と、厳しい目線での目配りが印象強い、社員とすれ違っても絶対笑ったりはしない強面である。
たまに、事務の人に書類を渡しに行く際、K部長のデスクの前を通り過ぎながら、会釈などしたことがあったが、厳しい表情で鋭い目線を送られた記憶しかない。もしかしたら、私の服装にもチェックがはいっていたのかもしれない。
その後、5S活動がR&D部門にも導入され、「TPOに合わせた身だしなみ」に関する話し合いが小集団活動の中で行われ、小集団の中での価値観や、企業の社員としてのあるべき姿を話し合う中で、微妙な、作業服についてのスタンダードの共有も進んでいった。
K部長から見たら、私が所属していた5Sチームのメンバーたち(R&D部門研究職)は、リスキーなランクが高いほうの部類に入っていたのではないかと思う。誤謬のある形容詞を使えば、「やんちゃな」輩たちである。そんなK部長が、「S君とW君は、若いのにしっかりしてるね!」と、私の前でうれしそうに笑っている。私もちょっと困った顔をしながら、K部長の言っていることを、半分くらいは信じようという気になっていた。
打ち合わせを終わり、席を立とうとしたとき、K部長は、上機嫌な表情を崩さずに、多少、威張った様子で、言った。
「滝沢さんはね、俺が採ったんだ。」
はるか昔、この会社への就職が内定したときの、当時の人事課長が、このK部長だった。反射的に私は、「他にも内定しそうな就職先はあったんだけれどね。」と内心思っていた。
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製薬企業にいた最後の年の前の年、半年くらい、本社ビルの最上階の1階下のコーポレートガバナンスの階に、毎日出張して直出直帰扱いになっていた時期、「ここは、まるで北朝鮮の平壌みたいだ。」と思っていた。
静かで、理知的なオシャレな人たちが、その仕切りのない広いフロアで、平和にゆったりと微笑みながら、上品な仕草で、お互いに必要な時だけ、ほほを寄せ合って、二人だけに聞こえる声で穏やかに短く話す。
廊下ですれ違えば、ゆったりと品の良いほほえみで会釈する。
わたしが、ついこの前までいた場所は、まるで、飼育環境が悪い家畜の置かれた狭い家畜舎のように、後輩たちは「ギャーギャー、ピーピー」と叫んでいるし、どれほどの気持ちとプレッシャーと葛藤と力の及ばなさと無知の恐怖の中で、そんな泥を飲むような状態で外へ出られないでいるのか、ここのコーポレートガバナンスのフロアのまるで殿上人のような、居心地の良い場所で微笑みあっている人たちは、「知りたくないのだろうか。知るための目や耳や脳をもっていないのだろうか。」とあたりを見回しながら、わたしもその雰囲気に全く違和感なく溶け込みながら、思ったのでした。
わたしなら、容易に楽園を創造できたかもしれない。
それは、同じ国立大学で学んだ先輩の皆さんや後輩の皆さんも考えることは同じだと思う。目指す場所は同じ。
私立大学を出た人たちは、何十年も会社にいても、どんな自由裁量権をもっても、本社ビルのほんの2-3枚のフロアを平壌のように維持することしかできない。
ほんの少しの簡単な課題解決をしない。
そこで、わたしは、ヒトの実際のコンピテンシーの限界と、業というモノの際を見たように思います。
わたしがコーポレートガバナンスのフロアにいた半年間、わたしを侮蔑する人はいなかったし、わたしはそこの雰囲気に溶け込んで、誰からも異物扱いをされませんでした。それは、わたしが、わたしの仕事だと思うことを全て生産性高く集中してやるには、合格ラインの場所だった。職場環境としては悪くはなかった。その場の雰囲気になじんで穏やかに過ごしながら、気力と体力の限界まで課題解決のために全てのアイデアや経験を使って全力で仕事をしていました。
時々、不定期に持たれる「君が特任課長をやれ」と人事部長に言われた人事課長との打ち合わせも穏やかに行われました。
わたしより少し若い人事課長は、その打ち合わせの場で涙を流すことがありました。なぜかわからないけれど。
会議室から出て廊下を歩いている間、周りの人からは、人事課長の目が真っ赤なのはよくわかったと思う。人事課長を通して、人事部長は「人事部に残らないか。」と言いました。それでも、残るように言われても「わたしは、現場に戻りたい。戻って課題を解決し、通常の業務に戻したい。」と人事部長に希望を言っていました。
大きな事案ではなかったけれど、課題解決の能力がないという事は、どれだけ、責任を持つ人たちに二の足を踏ませるのか、意外でした。課題はすでに解決できる青写真がある。遠回りする必要はないし、模範解答は私が書いた通りでいいと思う。それでも、一周回って紆余曲折をしながら、結局は、多くの人が苦痛に悲鳴を上げるような行動の選択へとおもねる。
自由裁量権は、人間であることに執着を持ち、課題解決能力があって、楽園を志向する、そのベクトルとモメンタムがあるコンピテンシーで選ぶもので、それ以外ではないと思います。
「国立大学」に入って学んで、高度な教育の中から身につけた判断力や課題解決力や基本的なスキルとリテラシーがあれば、できる。簡単にできているように見えると思う。でも、できるひとは限られている。オルタナティブとして機能しないなら、できるひとが裁量権を持つしかないと思うのです。
合格ラインの仕上がりにならないからです。限界がある。そこに限界があるのか、と意外に思う場所に限界があった。選択肢は意外と狭いです。
経験してみないとわからないことは多い。
その後、七転八倒の恐怖体験が続いたのでしたが、人間がスケーラブルにリスクをとらえないことへの驚きがありました。だれも、死んだりしない解決方法があるのに、圧倒的な権力で、破壊を続ける。止まらない破壊・恐怖が続く。単に、破壊と恐怖で、権力を拡大することだけに盲進しているように見えました。
社員の従属意識が、単純に恐怖と破壊の根源におもねるという、企業理念への従属意識ではないものに向かう。大多数の人が、自分が何に従属し何に帰属しているのか判断が間違ってしまう。
どこにも製薬企業としての経営や存続の危機はないのに。
誰もが幸せに平和に過ごす環境を創造できるのに。
限界がある人に、裁量権を持たせてはいけない。何かを実現したいのではなく、破壊と恐怖の世界しか残らない。「誰も何もしない」世界。恐怖におもねり、おかしな権力への服従と忖度の見返りとして、会社理念や社会への貢献とは相関がない「おこぼれ」をもらう世界。正気のひとだったら、生き地獄です。何人か、人格崩壊にシフトしていく様子を示す人がいました。哀れではありますが、迷惑なのは、理由なき排除の対象となっているわたしです。
それでも、わたしが排除されれば、大勢の人が満足なのだろうか。
最終的には、会社をやめる数か月前から、年の近いほとんどの人と、経営陣とそのラインが、威嚇と排除という、全然、知的な能力とは程遠い雰囲気を出し始めていました。排除されて、排除されて、脅されて、暴行されて、恐怖を常に味わいながら、いったいどこで生きていけばいいのかわからなくなります。
「国立大学」をターゲットにして、暴行や盗難、殺人などをすることは、容認されないことです。やってはいけません。限界がどこにあるかの体験談を、エピソードとして、note にしてみました。
その限界以下は、危険な地帯です。
システム構築ができて課題解決ができる、人権を侵害しないコンピテンシーがある人が、裁量権と人事権を持つ必要があります。もう一つの選択は、生き地獄の世界です。わかったほうがいいと思う。
企業理念への従属意識が、従業員に求められるコンピテンシーです。常識のある会社の重役はそう言っている。これは、日本というスケールで見ると、日本の国民の日本への帰属意識と相似します。日本の理念は、憲法に書かれています。
製薬会社の理念が、コロコロと色々変わることは、製造している商品が医療用医薬品で製造業許可と製造販売承認がいるものなので、あり得ないのですが、それは、日本の国家の理念と国家への帰属意識の関係と同じようなものです。
企業理念ではないものへの従属意識、恐怖と破壊の根源への忖度、おもねりは、社会的に間違っていますし、危ないことです。
本社に行く直前くらいの時期に、その飼育環境が悪い家畜の置かれた狭い家畜舎のような当時の職場で、契約社員として実験補助を始めたばかりの女性がいて、真面目で頑張り屋の、小さなお子さんのいる普通の若い女性でしたが、わたしのいたグループの上司の直轄で指示命令を受けて実験などを手伝っていたのですが、ある日、実験室で、パニック障害のような、呼吸が苦しそうな発作を起こし、常駐の看護師に駆けつけてもらったことがありました。
彼女は、その上司の指示に従って実験をすることに強い緊張と不安と恐怖を持っていたのでしょう。
そんな怖がるほどのことではないし、作業した人に責任はない。
ただ、その時、なんとなく、職場の雰囲気がわかっていた若くて真面目な彼女が、どれほどの不安と恐怖を持ったか、気づいたのです。わたしの仕事とのかかわりはなく、どんな業務の一部だったか、わからないけれど、些細な単純作業の実験だったんでしょう。
人の命と向き合う仕事であることはわかっていたほうがいいのですが、わたしも、仕事上、命がけで働いている自覚がありましたが、わたしは訓練と教育を受けているので、恐怖や不安やリスクの捉え方が違うとその時思った。
わからないこと、ひょっとして人を殺めてしまうことをしてしまうのかもしれない、そのわからない、理解できない、一寸先が闇という感情を、もつのだな、と。
それは、わたし以外のすべての人が支配される感情なのだな、とその時わかったのです。わたしはその時、経験と知識で知っているプロトコールを立てていく、ただそれ以外のことは考えていませんでした。動き方はわかっている。わたしは教育と訓練を受けているし経験がある。自分で考えた通りに動いていくだけでいい。
「特命課長」に任命?された人事課長が、会議室での私との打ち合わせで、涙を流したことがある、なぜかはわからないというエピソードを書きました。
それで、思い出したのですが、本社のコーポレートガバナンスのフロアに、人事部長の提案で直出直帰になる少し前、R&D部門と工場の産業医を務める医師との面談がありました。
その時、わたしは、自分が産業医(医師の国家資格を持つ、労働安全衛生法に規定された産業医)に面談時に話してよいと思うことを、普通に、口頭で、その筑波大学の附属病院から会社契約で定期的に工場に来ている産業医に話しました。当時、わたしが担当していた仕事は、すでに市場で使われている複数の売れ筋の医療用医薬品の製造販売承認申請の一部変更承認申請にかかわるプロジェクトの一部だったので、産業医といえども、具体的な内容を話すことは、就業規則の義務に違反する可能性はあったので、具体的な詳細なことは言わなかったように記憶しているけれど、よくは覚えていないのですが、自分が、就業規則やその他、法規・制度・倫理で定められた手続きにそった行動の選択を始めたと、ある程度、医師ならわかる話し方で話したと思います。
くつろいだ雰囲気の中での、普通の、産業医と会社従業員の二人きりでの(常駐の看護師が少し離れたデスクに座っていましたが)パーティションを切っての面談での、一瞬の出来事です。
その時、わたしよりは少し若いのかもしれない、その先生が、対面で座ったまま、目に涙をためたのです。わたしには、その涙の意味が分からなかった。
「特命課長」の人事課長も数回、涙を目にためて、そのまま涙を流すことがあった。彼は、筑波大学で法律を学んだ人だった。筑波大学と関係があるかどうかは、わからない。
わたしは、よく覚えていないけれど、そういうタイミングで、涙が出たことはなかった。仕事中、突然、泣き出す人は、あまりいない。なぜ、こんな実存心理学の記述みたいな話を書いているか、というと、若い人に、文章から、めったにないけれど、大事な局面での、シチュエーションを、バーチャルに経験して、考えるという機会を持ってほしいと思ったからです。
例えば、若いうちに、Dr. Frankl,V.Eの「夜と霧」を読んでいると、めったに体験できないことを、バーチャルに体験することで、ものの見方、考え方に明るさというか、五里霧中ではない、先の見えるようなそういった成長が得られます。
そういう意味で、文章を読むことで、追体験することは意味があるのかなと思い、書いてみました。
特に、薬剤師を目指す薬学生の皆さんをイメージしながら、会社での思い出をエピソードとして書きました。皆さんは、どう思われましたか。
では、どうしたらいいのか。皆さんは、どう思いますか。
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その時、わたしが本社でしなければいけないと考えていた仕事は、法律を遵守するための具体的なプロトコールを提案し、それを一部上場企業であるその製薬企業の理念に沿って、組織の仕組みにそって、リスクコントロールのシステムにのせることだった。
そして、職場環境に、大きな意味では、労働安全衛生法の規定にある健康な、みんなが笑顔で働くことができて、法令順守される雰囲気のあるごく普通の職場環境と限界のない仕事の進め方を取り戻すというか、構築する、R&D部門の中の一部門の小さなグループに平和をもたらすことでした。
大したことじゃない。大きな課題ではなかった。
会社には明文化された法規制がすべて整っていたし、法律を読んで、各論のプロトコールを作る、ごく自然な仕草をとることは、わたしは、リテラシーがあったので、やったことはなくてもできると思っていました。
経験の中で、多くの人と接して、気が付いたことがあります。
国立大学で教育訓練を受け国家資格を持つ医師と、国立大学で教育訓練を受け国家資格を持つ弁護士以外は、話しても、理解してもらうことが難しかった。
いや、理解はしているのかもしれないけれど、では、彼らがどういった行動の選択をするかというところで、1周回ってさらに紆余曲折した挙句、人を殺す方向のベクトルを示すのです。「それ間違ってるでしょう。地獄に落ちますよ。」と心の中でびっくりするのですが、限界は、そのラインにあった。
国家資格である医師、弁護士、そのバックグラウンドに国立大学出身という、その選抜称号と国家資格のリテラシーがある人とだけ、同じ概念と法規制の下で行動できた。あとは、わけのわからない行動をした。愚かしいとは思ったけれど、そんなもの。
ミッションへの従属意識が、自分がその場で、餌をもらい、かわいい芸をするアザラシより、少し劣るくらいなのです。アザラシは可愛い仕草しかしない。その面で少しリテラシーが高い。それは、誰でもみんながよくわかっていたほうが良い現象です。
盗みや殺人をしなくても、また、「国立大学」という選抜称号を持つ人間を差別し排除しなくても、誰も死なない、みんなが衣食住足りている、平和でストレスのない職場環境は得られる。リテラシーとスキルと、ヒエラルキーに沿った役割分担があれば、無理なく、キャパシティーと役割はあるのです。インクルーシブにインテグレートできる。
ただ、人事権と裁量権は、インクルーシブにインテグレートできるディシジョンメイキングのコンピテンシーがある人しか、渡してはいけない。
たったそれだけのことで、わたしの経験では、国家資格と国立大学での教育のバックグラウンドがその限界の一つのラインだった。
完全にそのコミュニティに共通のルーティーンが存在するある範囲では、大部分の人が社会性のある逸脱しない仕草ができる。日常生活はできる。大学で教育を受け、会社でも通常の仕事はこなしている。でも、ルーティーンが明文化はされていても、具体的な行動として、動作として何度か繰り返すことをしたことがないことは、まったく、変な行動をとり始める。明文化された通りとは真逆の行動をし始める。怖いことで危険な行為です。
筑波大学で教育を受け国家資格として医師の資格を持ち労働安全衛生法でその責務が定義されている会社契約の産業医と、東京大学で教育を受け国家資格として弁護士の資格を持ち、企業との契約でその職務が規定されている会社契約の弁護士(当時、コンプライアンス推進委員会の外部窓口兼任)以外は、わたしの話している(企業のリスクを是正し平和なサステナブルな状態へと向かうための課題解決のための具体的であり理念の実現でもある簡単な実行可能な)内容に対して、反応し、正しい行動の選択をすることはなかった。
「なにもしない」か、わたしに対して「無意味な殺意や盗難」の衝動を持つ仕草をするバケモノのような人たちに「忖度」した行動を選択した。それは、小さな一社員である私への暴力や排除をほう助する行為であったけれど、それ以上に、会社のシステムとして、医療用医薬品の安心・安全・安定供給を担うミッションと、日本の国民すべての命と向き合いお役に立つというミッションに完全に反して、無差別殺人のベクトルを持つ行動の選択だったのだけれど、アザラシ未満の大部分のひとは、普段はもう少し賢そうにふるまうけれど、本当に、アザラシより知能の低いふりをしていた。
限界をどうリスクコントロールするのか。
人がより残酷な行動をとれば得をすると判断して人を殺す方向での行動の選択をとる、そのリスクをコントロールしなければいけない。人殺しや盗みは容認してはいけない、殺人や盗難などの人権侵害は起きてはいけないからです。
キーになることは、教育も大きいけれど、人事権/裁量権を明確に分けることだと思う。
コンピテンシーはないのです。コンピテンシーがない人間に人事権と裁量権を渡すと、ミッションへの帰属意識にものすごいゆがみができてしまう。限界はすぐ近いところにある。そこを見極める必要があるという事を、気づいていない人は多いし、若い人は、クリティカルポイントがわからない。
マネージメントとは、人事権と裁量権を持つという事です。その範囲は、役割によって違う。専務取締役員は、会社では、社長よりも大きな権力を持ちます。社長交代を役員の会議で決済できる。そのような権力、人事権、裁量権は、高度にリテラシーがあって、教育の背景とミッションへの帰属意識を広範にもてるコンピテンシーがないと、道具の使い方がわからない人みたいになってしまいます。
たとえば、お刺身のおつくりを作るための出刃包丁を持たせたとして、それを人殺しのために振り回し始める。
道具は、道具の使い方の訓練が必要です。大部分の人はそうです。教育訓練は大事だけれど、その人事権、裁量権を持つ人は、コンピテンシーがないと、無理なのです。
より高度なことのトップレベルのことに関しては、自己学習能力と適正と才能が必要なそういった役割の担い方はある。その限界が「国立大学」と「国家資格」だった体験が、製薬企業での私の最後の方のキャリアでの経験でした。
追記|
RT @aguhiyori on Twitter アグは頷く事は日和より出来なかったんです。でもずっと練習してたらこんなにキレが良くなりました😏✨
最後はおじぎ〜😌
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エピソード #2 5S活動の思い出
5S活動とは、5Sつまり整理・整頓・清掃・清潔・躾に関する現場からの課題解決のための小集団活動で、工場の生産ラインのコミュニケーションによる課題解決や生産性向上をめざすため、会社が用意したサークル活動の一種だったのですが、職場でのカイゼン効果が大きいという事でR&D部門にも導入されました。
人事部の隅っこに机と椅子を用意されて半年間過ごすことになった年の前半は、わたしも、所属するグループの数名で構成された5Sチームの週に1回30分間のミーティングと課題解決を模索する活動に参加していました。
その時期には、私と同期の入社の上司や年齢が同じ別の上司が、現場の5Sのチーム活動に参加しなくなっていたので、結果として、私がその小集団活動のチームの最年長者になっていました。私は、積極的には発言しないで、良いベクトルに収束する方向に向かった「いい意見を言っている」と判断すれば、若干、うれしそうな表情をし、「意外なことを言い始めている」と思えば、若干、あっけにとられた表情をしたりしていた。
人事部長との面会を控えたある日の5Sミーティングで、少し時間を取ってもらって、わたしは、薬事法(現、薬機法)第14条に関する解説を、後輩たちに話すことにしました。
私がその時所属していたグループは、複数の医療用医薬品の製造販売承認の一部変更承認申請の比較的大きなプロジェクトを一斉に行っている最中でした。
彼らの大部分は、体系的に原文を引きながらの医療用医薬品の製造販売承認申請の法律の解説を聴くのは初めての体験だったようです。解説の終わりに、グループの若手の中では年長のひとりが、「へえー。面白いな。法律に書いてあるの、初めて見た。本当に書いてあるんだ。」と感想を言いながら穏やかに笑いました。
わたしは、薬事法違反の事例と薬事法違反をした場合の量刑についても、薬事法関連法規の原文を引きながら話しました。過激なことは言わなかったし、法規制度倫理の理解のための教育としての話し方をした。
ただ、心の中では、どうか、わたしがいない間、絶対に、薬事法違反に当たる行為を、彼らの個人個人の実験の中で、誰もしないでくれ、という祈るような気持ちがありました。
それは、彼らのキャリアや実際にかかわった場合の罪の重さなど、そういったことに巻き込まれてはいけないという配慮がありましたが、大きかったのは、ふりかえれば、製薬企業の理念(患者の命と向き合うというミッション)へのわたしの従属意識が大きくて、必ずしも、自分の組織における責任の配分とは一致せずに異なるけれど、自分のリテラシーに沿った、課題解決への使命、薬学を学び医薬品の開発と製造販売承認のための研究に従事してきたキャリアからの(患者の命のために命がけで、という)当然の仕草のようなものでした。
その薬事法解説を5S活動で話す時間を取った後、ある日、わたしは、準備した資料をもって、人事部長と面談をし、その後、半年間、自分の所属するグループへと戻ることは、ほとんどなかったのです。
医療用医薬品は、健康保険が適用される医薬品で、普通に誰でも薬局で自費購入できる医薬品とは、区分が違います。
医療用医薬品としての製造販売承認を得ている医薬品を、業として製造販売する製薬企業は、保険適用された医薬品の販売で収入を得るので、医師や病院などの医療施設が医薬品を購入しているとはいえ、その医薬品の販売による売り上げの収入の8割は、結局は国の税金から得ています。医療用医薬品の製造販売承認を得るという事は、大変、巨大な利権を有している企業になることと言えます。
大学に入って薬学を学んで将来の進路を考えている薬学生の皆さんのうち、医薬品の開発に従事したいと考えているひともいるかと思います。おそらく、純粋に、医薬品開発の研究をしたいという意欲からでしょう。患者さんの命と健康に貢献したい気持ちだけだと思います。
ただ、知っておいてほしいことがあります。
医薬品の製造販売は、巨大な利権だということは、わかるひとにはわかる。単なる「利権」だと思うひとも中にはいます。
工場の製造ラインは、ほぼ、自動化されて、マニュアルも固定化されて、安定稼働している。そういった性質のある完全自動錬金術の利権に見えるひとはいる。
そこで、利権を我が物にして、「(大富豪ではないけれど成金にはなれる程度の)大金が欲しい」とか「(とにかく周りの人がひれ伏して恐れ敬ってくれるような、威張れる環境を自動で得られる)権力が欲しい」とか、そうやって、製薬企業に入ってくる人はいます。
たいていは、攻撃性が高い、視野が狭窄したひとです。だから、人事権と裁量権をもたないと、攻撃性のあるブレーキの外れた人が利権に対する欲望で、陣取り合戦と暴力的な粛清を始める恐怖政治のような様相を呈してくる場合がある。
それで、企業の理念が達成できればいいのだけれど、攻撃性と利権への執着だけで、勝ち抜いていく世界は、危ないのはわかると思いますし、職場環境としては、よろしくない雰囲気になってくる。
どの企業も、リスク管理や人材の選定のために、コンピテンシーを重視した採用を行います。でも、ひとりひとりが、役割やヒエラルキーの自覚、必要なリテラシーなどの自覚と客観的な目をもつことがあって、はじめて、組織内の有機的な構造は安定化します。できれば、社会貢献できる、企業理念に実効性がある、そんな有機的な組織構造の中で、皆さんの夢である新薬の開発や品質管理の向上に邁進して、患者さんの命と向き合う姿勢で、仕事に従事してください。
スキルが少し足りないというだけで、(だますとか隠すとか人の物を盗んで証拠隠滅のため人を殺すとか)事件性のある行動の選択にベクトルを示す残念な人は結構多いです。
スキルが足りない人は、教育訓練が必要なひとで、合格ラインかどうか、常に合否判定を客観的にしなければ、事実上のリスク管理が不可能な人です。スキルが足りない人に、人事権、裁量権、マネージメントの権利を持たせてはいけません。
スキルとリテラシーが、ゆうに合格ラインを上回っていて、社会貢献と企業理念の理解とその理念への従属意識を自然にもてるコンピテンシーがある人が、人事権と裁量権を持つ必要がある。そうしないと、有機体として法人として、別物になってしまう。外から見た変化はゆっくりでわずかに違うベクトルに向かって動いているだけなので、変化には気づきにくいです。
でも、その違うベクトルに向かって変化することは、日本の国民にとって、不幸なことです。そして、間違った概念を持つ犯罪傾向のある人ばかりの組織に栄養血管が通っている状態は、一部とはいえ組織ががん化した状態です。日本という組織にがんができて大きくなっていくことは、よいことではないです。
犯罪傾向のある組織を養うために、日本の消費者がお金をつぎ込むとか、国民が税金を払うとか、国が税金を犯罪傾向のある組織に注ぎ込むとか、そんなことは、しても損をするだけです。商品との交換で金銭の授受が完了すれば、それでいいと思う人は多い。でも、犯罪傾向がある人、その個人にお金が渡ったら、そのお金は、そこからは、日本の社会に貢献する意図で使われることはもうないのです。そう思います。
スキルが足りないことを隠蔽したがる、ひとを騙したがる、他人の物を盗むとか、脅しで陣取り合戦を有利にするとか、人権侵害によって利益を得ることに嗜好性がある、そういう人は、社会性に必要な要件が欠けている人です。リスクコントロールのシステムにのせるしかない人なのです。こういった社会性に必要な要件が欠けていたら、コンピテンシーがないと判断して、インフラや組織からは除外しなければいけない。コミュニティを共有することはできない。
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会社にいたころの思い出をpostしてみようかなと思います。
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配転が決まったのは突然でした。
人事部長は不機嫌そうにぶっきらぼうに、やや、不必要に攻撃的に、私に、配転の日付と稟議書を見せて、配転が決まったこと(配転命令)を伝えました。
どうやら、人事部門を取り仕切る執行役員でもある人事部長が、自ら稟議書を挙げ、ご自分で承認の印を押したものらしきものを見せられました。
そして、半年にわたる直出直帰の出張扱いでの人事部への逗留とそこでの自分なりの使命感からの企業理念(患者の命と向き合う・医療用医薬品の安全、安心、安定供給に貢献する)への従属意識とキャリアにおける医療用医薬品の製造販売承認申請におけるスタンスと課題解決のためのリテラシーの提供という複雑な作業と困難な話し合いを、事実上、配置転換命令という形で、完了した形となって、私は、まもなく、長年所属していたR&D部門をはじめて離れて、人事部長が管掌する間接部門である業務推進部門へと移ったのでした。
エピソード #3 納涼祭
お盆の連休の前の金曜日が、納涼祭の日でした。工場と研究所を合わせた広い敷地の芝生や歩道を、職員の家族や、近隣の住人の方たちに開放し、事前に配られたチケットで、出店の焼きそばやジュースを交換してもらい、お子様用のアトラクションなどにも参加してもらうという福利厚生の行事です。
配転された部署は、本社のワンフロアを占める間接部門である業務推進部門の総合的な機能に関するR&D駐在という部署でした。この部署はお祭りの実行委員会の事務局を担当する部署だったので、私にも納涼祭での担当任務が割り振られ、事前の打ち合わせなどを経て、当日の担当の場所へと向かいました。
私の担当は、工場の大会議室内にしつらえたお子様用イベント会場で、「輪投げ」というアトラクションのインストラクターをすることだったのですが、なにしろ、異動してきて初めての納涼祭の担当だったので、「がんばろう!」という気分でいっぱいになりながら、会場を設営し、一緒にアトラクションを担当する工場に勤務する若い男性2人と、綿密な打ち合わせをして手順を確認して、いよいよ、時間となって、イベント会場に、かわいらしく着飾ったお子様を連れた職員たちが、入ってきました。
入り口付近には、射的があり、そのほか、ヨーヨーすくいや様々なアトラクションが設置されていて、事前に配られたアトラクション用の5枚ほどのチケットを1枚出すと、例えば、輪投げでは、チケットと交換で3つの輪投げ用の輪を渡して、赤いもうせんの上に置かれた小さなオモチャやお菓子に向けて投げてもらうというアトラクションです。輪が届いたおもちゃをお子様に渡して、アトラクションが終わります。私や他のスタッフは、盛んに呼び込みを行い、さっそく、一人のお子様がいらっしゃり、得意げにチケットを1枚差し出します。それを、わたしがもぎり役となり、かわりに輪を3個手渡し、「さぁー⤴全部で3回投げられます♪とれるかなー⤴」「どれをねらう?」「1投目ですー!!」などと、お子様の気分を盛り上げ、(大学生の頃、大学の比較的近くに大規模な遊園地ができて、アトラクションのインストラクターなどをバイトでやったという人の話を間接的に聞いたり、テレビでその遊園地のインストラクターのドキュメンタリーを見た記憶とか、そんな、あいまいな記憶を頼りに「こんな感じ?」といった適当な動作を標準化しながら)お子様が輪を投げても、希望のおもちゃが輪に入ったりはしないのですが、「どれかなー??」などとお子様とアイコンタクトして、ご希望のおもちゃをさっと手に取り、「お見事―!!」とほめ、おもちゃを手渡し、そうすると、お子様は、それはそれは嬉しそうな、花が咲いたような笑顔でおもちゃを受け取り、2投目の輪をもって、集中力と気合を高めます。
えい!といった感じで投げ、また、アイコンタクトしながら、サッとおもちゃを拾って手渡し、「すごいねー。大当たり⤴」などとテンションを挙げながら3投目。ふと、輪投げコーナーに並んでいるお祭り気分のファミリーサービス中である職員とそのお子さまの列を見ると、だいぶ順番待ちが出てきました。
3回投げ終わったお子様は、おもちゃをうれしそうに抱えて、お母さんに手を引かれ、見ていると、また、輪投げの列の最後尾に並びます。次々と、若干、標準化したインストラクターの手順を踏襲しながら、担当の仕事を必死でこなしていると、残りの2人の工場から派遣された担当は、適当に座って、必要最低限の動き方で、それほどやる気もなさそうに、たまに、おもちゃの並べ替えなどを手伝ってくれます。そんな様子にも目を配りながら、一方、標準化したインストラクターの操作手順は、お子様には大うけで、職員(親御さん)の手を引っ張って、再度並ぶ子供が多く、評判に目をつけて、次々と人が並ぶので、大会議室の中にしつらえた狭い通路は押し合いへし合いで、「誰か、列を制御してくれないと、危ないんじゃないの?」と思いながらも、次から次へとチケットもぎりと輪の手渡しと、おもちゃを拾って手渡すという、かなりな重労働が続きました。
1回、輪投げをやってまた並んだお子様が、お母さんに手を引かれて、またチケットを私に見せてくれました。目がランランと輝いています。お母さんは、つい数か月前まで、同じ部署だった職員です。綺麗に着飾ったお子様の手を引いて、にこにこしながら立っています。お子様は、1投目の輪を手に取り、エイヤっとなげ、また、私とアイコンタクトして、欲しいおもちゃをゲット、「すごいねー!!やったね!!」と盛り上げ、次のお子様のチケットをもぎり、「まったく、ご両親に似てるなー。」といろいろな思いを巡らせながら、結局、おもちゃとお菓子の在庫はすべてはけさせたのでした。
それでも、列はまだまだ続き、隣の射的から、おもちゃとお菓子の在庫を横流ししてもらい、ありとあらゆるおもちゃとお菓子の在庫をすべて輪投げのアトラクションで使い果たし、無事、担当した仕事は、予想以上の出来高で終了しました。室内の会場から外へ出ると、野外にしつらえられたステージ上には、普段は威厳を保って、デスクに座り渋く無口に決めている(実際に偉い)上司が、マイクを片手に、テンション高めにビンゴゲームの司会をしています。なんとなく、どこか似てるところもあるなという印象を初めて持ちながら眺め、ひと仕事が終わり、意外とうまくいった輪投げのインストラクターを思い返し、「まぁ、こんなものだろう。」と思ったのでした。
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エピソード #5 ブルーギルの水槽を観察する
人間観察のレベルにはなってしまうのですが、製薬企業で務めていた最後の部署は、本社ビルの6階のフロアをすべて使っているガバナンス支援のための間接部門の、R&D部門のある施設への駐在の部署だったのですが、R&D部門のガバナンス支援のための間接部門の機能性をすべて賄っていたので、R&D部門のそれぞれの部門長やそれぞれの部門の配下のグループ長などが、そのR&D部門駐在の間接部門の部門長、わたしの配置転換で、わたしの新たなボスとなったその上司に会いに来る目的で、出入りする部署でした。
わたしは、R&D部門に四半世紀いたのですが、自分のいるグループの中だけで仕事をすることがメインだったので、他の部署のグループ長が、こうして、わたしの座っている机の斜め向かいの前にある上司に会いに来るのを見るのは、初めてで、それが、わたしの人間観察の場になっていました。
話がそれますが、バブル全盛のころ、熱帯魚のブルーギルという魚を飼うことが流行ったことがありますが、その、上司に会うために出入りする部門長やその配下のグループ長の仕草や顔の表情を見ながら、「ギルギルしてる」と思って観察していました。
その「ギルギルしてる」R&D長やグループ長に対して、わたしの新たな上司となったR&D駐在の間接部門の代表がどういう仕草をするかというと、デスクの椅子から立ち上がって、手を差し出して握手して、すぐ、激しくハグするんです。「そこまでするか。」って思うほど、その作業着(会社の制服)を着た多少埃っぽいいかつい「ギルギルしてる」男を、その上司は、ハグするんですねー。
オキシトシンが出にくそうな人だから、そのくらいしたほうがいいのかもしれないのだけれど、「すごいなー」と思ってみていました。
それで、いい雰囲気で話し合いが進んでいるし、お互い笑顔が絶えないので、うまくいっている、わたしの新しい上司(R&D駐在の間接部門の代表)は、R&D組織のガバナンス運営支援のミッションをする中で、「ギルギルしてる」R&D部門の組織長たちに愛されているんだな、と思っていました。
わたしが配属されて、その年度末の2月、次年度の一つのプロジェクトの計画と予算取りと実行計画のガントチャートの説明を、わたしがその上司と、本社の部門長とにプレゼンテーションした、その数日後だったか、その間接部門が、会社の組織改正の中で、解体されることになったというニュースが飛び込んできました。
そして、来年度の予算取りとプロジェクトの実行計画に了承をしてくれた上司と、本社の部門長は、本社人事部への配転が内定したということでした。
わたしは、そのグループのメンバーとして、グループとして、R&D部門の1部署の直接の配下に下ることとなりました。そのニュースを、いつものように上司に会いに来た、あるひとりの「ギルギルしてる」グループ長が、上司から聞いて、そのときの、口角を上げながら、やや口をあき気味にして、小さく舌を出し目を見開いてにやにやした表情が印象に残っています。
あんなに、しょっちゅう、ハグハグされていたのに、「やっぱり、ギルギルしてる」んだなーって。
そして、自分の上司も、会社の上層部と密接につながりのある人間だと思っていたので、多少、ギルの一種だと思ってみていたのですが、「ギルって共食いもするのね。」と悟った一瞬でした。
何を言っているんだかわかりにくいかもしれないのですが、ギルギルしている人たちと、その中で、教育訓練の背景から(人事屋としての自覚から)筋を通そうとするギルの一種と、でも、やっぱり、共食いするギルのサガというか、まさに、ギルの沼を観察した日々の思い出です。救いがないですねー。なにか、面白い話をしようとしたんだけれど。
落ちがない話をしました😄
PS:
このお話(エピソード)を読んで、違和感を持った人は多いと思います。
製薬企業のR&D部門長やその配下のグループ長が、なぜ、そんなにそろってギルなの?って思いますよね。
R&D部門のマネージャー、マネージメントをする各組織長、そのラインを担う管理職を選んで決める権利、その人事権は、R&D部門を管掌する取締役員にあります。
たぶん、推測ですが、ギルギルしている人しか、好きじゃなかったんじゃあないかなと思います。自分好みのカラーで、配下の組織長をそろえるのは、どこの組織でも一緒ですから。ギルコレクターが取締役員としてR&D部門の管掌の権利を得たというその時点で、ギルギルしちゃったんです、そう思います。
人事権を持った組織の長というものは、良し悪しはあっても、どこでもそうです。だから、人事には関心を持ったほうがいいです。それが、はるか上の経営陣の取締役会のメンバーを決めるということであったとしても。
特に、大学生の皆さんも、将来、自分が長い間を過ごす職場環境の中での自分のキャリアに密接に関わることなので、知っておいたほうが良いことと思って、お話しました🙂
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「繊細バカ」と「単純バカ」
Twitterのタイムラインのフィードで、「あほと戦うな」という記事を読んで、「あほの分類」という概念を提唱しているその筆者を興味深い、面白い、と思いました。
その記事は、エンプロイヤーが、エンプロイーを扱う上での潤滑なコミュニケーションとその産業を成立するための、わかりやすい分類の話でしたが、モラルの観点からは、多少違うような印象を受けました。
それを、自分なりに、自分を理解し、他人を理解し、互いにコミュニケーションとwin-winの関係を成立するための分類として、応用できるのではと思ったので、postします。
「繊細バカ」と「単純バカ」という分類ではどうでしょうか。
繊細バカな人の特徴は、例えば、「ピーマンは、子供のころから、自分の育った環境もあって、僕の思想信条の中では、キライ。」「お皿にピーマンがのっていなくても、それでいいと思っていた。」「夕ご飯のおかずにピーマンがある必要性は、僕自身は、感じていなかった。」「でも、チンジャオロースーと出会って、僕は、ピーマンが自分の夕飯の食卓にあっていいんだって気づいた。」という、無駄に紆余曲折がある、かなり時間を消費する論理展開の仕方をします。
一方で、「単純バカ」は、「今、思いついたんだけど、冷凍ミカンって、涼しくなるのにいいよね。」といったら、そのまま、毎朝、冷凍ミカンを、淡々と食する。人にも勧める。思いついた時点から、紆余曲折がない。
「繊細バカ」と「単純バカ」、どちらのバカにも、一長一短があって、実は、甲乙がつけがたいのです。
誰でも、何割かは、「繊細バカ」ですし、何割かは、「単純バカ」です。それぞれの長所を、社会への利益として、最大限に還元できれば、それが理想的な形じゃあないの?って。
8割「単純バカ」、2割「繊細バカ」のわたしは、思うのですけれど。
ここで、申し添えますが、8割「繊細バカ」、2割「単純バカ」の人は、その人はその人なりに、社会に役に立つ人だと思うのです。ベクトルさえ同じであるのなら。
皆さんは、どう思われますか。
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新たな環境で頑張る用意をしている人が多いことでしょう。これはは、そんな環境の変化とストレス応答についてのエピソードです。
エピソード #6 ストレス応答と有目的性
「ストレス応答」、企業の人事教育プログラムの一環で、労働安全衛生のカテゴリになると思いますが「メンタルヘルス」教育のなかで、「ストレス応答」について学ぶ機会があるかと思います。だいぶ、普及してきたのではないでしょうか。
産業医の先生がいらして講和の中で冒頭の部分で取り上げるのは、たいていは、Dr. Viktor Emil Frankl の著書である「夜と霧」です。そして、アウシュビッツ収容所などから生還した収容者の特徴に関する分析の結果の話を取り上げます。
ホロコーストから生還した人たちは、その特徴として、ストレス応答力が強く、そこには有意味性、有目的性を自身で見出す力が「有意に」強いというプロフィールの特徴がありました。
製薬企業のR&D部門で長年働いていて、当然、ストレスが常に伴う性質の仕事をしている中で、自分のストレス応答力は、「意外と強いほう」だと気づいていました。R&D部門での業務中、わたしはストレスを受けたときに、ストレスに起因する身体的な症状を、ほとんど経験したことがありませんでした。
子供のころ、読書が趣味で、中学生、高校生の頃、学校の図書館にあった哲学の本や心理学の本は、ほとんど全て読みました。第二次成長期にある子供ですから、脳の中に、ロジカルシンキングのピラミッド構造が、まさに、ニューロンのシナプスのインフラストラクチャとして出来上がっていく時期です。その時期の読書は、実際に、自分の中に、4人から5人の哲学者や心理学者が、タンパク質として発現していく過程が起こっていたようなものです。
複数の心理学者や哲学者が、全体的にたんぱく質として発現してしまうと、かなり、面倒なことになる可能性が予測できますが、読書した場合の、形質学的な彼らの発現は、よく出来ていて、彼らは脳内の圧縮されたニューロネットワーク情報クラスタとして発現するので、特に体重が重くなりすぎたりしません。
そんな背景があって、わたしはストレス応答を、おそらく、脳の中枢における高次機能の部分で処理しています。
同じ育ち方の背景がある人には比較的多いストレス対応の仕方だと思います。
わたしの場合、ストレスに起因して、末梢神経による身体症状が出にくい特徴があり、胃が痛くなったり、下痢をしたり、便秘をしたり、末梢の自律神経の失調による身体症状が出ません。
人間は、身体症状が出た時点で身動きができなくなります。それは、危険を察知しての反射的な行動で、「意志の力」だけではどうすることもできない。しかし、身動きできないことで焦ったり、気負ったりして、事はどんどん悪い方向へ転がっていったり、逃避行動を選んだりします。合理化によって、現実離れしていくこともあります。「卑怯でいいんだ」などと声高に主張する人もいます。
ストレス応答力が高く、身体症状が出ないことは、ストレスとの向き合い方として、戦略的な行動、前向きな行動、ソリューションへの努力と漸近線上にいることを自らの意志で選ぶことができる重要な要素になる。
そんなわたしが、企業から出ようと決断する少し前に、ストレスに起因した身体症状を経験したことがありました。
その直前、10か月前くらいだったでしょうか、わたしは、その年の後期を、R&D部門の現場ではなく、本社のコーポレートガバナンスのフロアにある人事部の机の羅列の「島」の端っこに用意された机と椅子で過ごしていました。
自分に会社から支給されたPCを、その新たに用意された机の上に持ってくることを、「人事部長に交渉」し、わたしは、自分のPCを社内のイントラにつなげて、メールボックスに来たわたし宛てのメール確認やメール送付、PCハード内やイントラのサーバの資料の確認はできるようになっていました。
そんな時、別の製薬企業にお勤めだったけれど、その時には企業からスピンアウトしてご自身の複数の事業に携わっていた大学の先輩からメールが入っていて、季節のあいさつ程度のメール返信をしたところ、めったにご一緒できたりしないのですが、会食の予定を取ってくださることになりました。
会社の帰りに、赤坂近辺の食事ができるところで、会食で久しぶりというか初めて対面でゆっくりとお話しする機会を持ちました。大した話をしたわけではないのですが、その先輩は、別の製薬企業にお勤めだった時の経験を話してくださいました。今思えば、本当にめったにないことでありがたい機会だったのですが、緊張もあり、うまく対応できていなかったように思います。
その中で、その先輩が、比較にはならないのですが、わたしがその時直面していた局面のようなことを経験したときの経験談をほんの少し話してくださったのです。その先輩は、社内での話し合いというか、自身の立場からのアサーションが必要だった局面のあと、配置転換になって、その企業からスピンアウトするまでの短い間過ごした部署にいて、「ストレスで免疫が下がってしまった」ことを、淡々とお話になった。「社外での自分への評価と配転先での慣れない本社勤務の中での自分への目とのギャップが大きくてね。」と。
その話を、今から思うととんでもないのですが、当時、人事部にいて、ストレスは相当あるものの、自分のキャリアにおいて形成された医薬品の開発における基本的なスタンスである「患者の命のために、命がけで」という、それは、製薬企業の理念への従属意識とも重なるけれど、その使命感で、なんとか、課題解決へと貢献しようとしていた目的性を持った自主的な仕事をしていたわたしは、一切「ストレスによる身体症状」が出ることもなく、大脳の高次機能だけで必死に地道にストレス応答していたので、そのお話を、相当、平らに客観的に聴いていました。
その後、人事部に、イレギュラーに直出直帰の出張という形での半年間の滞留ののち、わたしは、入社以来初めて、部門を跨いだ配置転換を経験しました。
配転後のその年の後半、10月ころだったでしょうか、上司が自分で受け持っていた集計チェックの仕事をわたしに分担してもらいたいと依頼してきて、その仕事を引き継いだ後、よくあることなのですが、わたしが行ったデータのチェックから、集計の値が部分的に間違っていることが判明し、その誤記訂正の手順を、その上司と話し合う必要ができてしまったのです。
結局、交渉した結果、自分の提案について聴いてもらうところまでこぎつけ、会議室を予約しようとしたら、小会議室がどこも満員で、一番大きい大会議室しか空席になっていなかったので、大会議室を予約し、大きな会議室の窓側と入り口のドア側に、上司とわたしが座り、巨大なプロジェクタ画面に、誤記訂正の手順(案)を示して上司を説得し、納得を得た翌日のことです。休日(土曜日)に、「あれ?赤い発疹が出ているな???」と気づき、総合診療の内科の休日診療に行ったら、女医さんに、「これは、帯状疱疹です!放っておくと大変なことになります。ここでは、治療ができないので、皮膚科に行ってください。」と深刻な顔で言われました。
皮膚科に行くと、「気を付けないと大変なことになるよ。足に褥瘡ができたら、歩けなくなるよ。」と言われ、教科書の「帯状疱疹の」症例写真を見せながらの丁寧なインフォームドコンセントの後、抗ウイルス薬を処方してもらえました。翌日、医師の説明の通り、足の神経線維に沿って、びっしりと粟粒上の帯状疱疹がバーァッと一気に発生してきて、処方されたNSAIDsの軟膏を塗ったり、言われた時間の通り抗ウイルス薬を真面目に服用したりして、絶対安静でびくとも動かずに過ごしながら、スマホから、上司の会社アドレスに向けて、2日間有給休暇を取りたいという希望と、その理由を、「帯状疱疹とは」という、もらってきたパンフレットを参考にした詳細な解説とともに、長く丁寧に書いて送付しました。
そう、わたしは、配置転換後のストレスで、免疫が下がって、水痘・帯状疱疹ウイルス(VZV)による「帯状疱疹」を発症したのです。
実はその時改めて、その10か月前の先輩との会合で、先輩が、「配転後の環境の変化でね、それで、免疫が下がってしまってねー、帯状疱疹になった。」とおっしゃっていたのを思い出しました。
「わたし、あの時、相当、平らに聴いていたなー( ;∀;)」と、はじめて、ストレスで免疫が下がると帯状疱疹に自分もなるんだと自覚したのです。
水痘・帯状疱疹ウイルス(VZV)による水疱瘡は感染症ですが、帯状疱疹は、感染症である水疱瘡の後、神経線維に沿って潜伏していたウイルスが、免疫が下がった場合に、あらためて神経に沿って炎症を発症したりするものです。水痘に感染した人は、ウイルスが潜伏しているので、誰でも帯状疱疹になる可能性があり、また、一回、帯状疱疹になると、もう二度と発症しないらしいですが、医師から、教科書の写真付きで説明があった通りの症状が、自分の足で実際に間近に見られた時の「恐怖」といったら、「宇宙人の襲来か」という程度のものです。
もう一度同じ光景を見るとしたら、「免疫不全」になった時だけですが、「あまりいい死に方ではないなー」と、気の弱いわたしは思ったのでした。親切に、自分の企業での体験をお話しくださった大学の先輩には、本当に、平らに聴き過ぎて申し訳ないことをしました。共感と思慮が足りませんでした。
その後、その年度末には、わたしが配転された本社ビルのワンフロアを占める間接部門である業務推進のための部門自体が、組織改革の名のもとに解体され、直属の上司とその上の部門長は、人事部へ配転されることになりました。
自分は所属するその業務推進部門の一部である小さな部署からは異動にはならなかったのですが、その小さなR&D駐在の部署全体が、R&D部門の中の一つの研究所の下部組織として、ラインが劇的に変わりました。わたしは、一度、配置転換で転出したR&D部門のマネージメントラインの元に戻ることになりました。
そして、翌春、5月ころに労働安全衛生関係での企業内健康診断の血液検査で、白血球数が基準値の3000を切って2000になっているという、びっくりするような検診結果があり、しかもリンパ節が腫れているのに白血球数が少ないという、この傾きで白血球数が下がると、通常は免疫応答のために4000以上なければいけない白血球が1000切ってしまうんじゃないかという、でも、他の検診指標は一切動いていないという、単に免疫が下がっただけのヒトという状態になりました。
その後、結局、「有目的性」・「有意味性」の部分で、ストレス応答が無理だと悟ったこともあり、企業を出る決意をしました。
なんで、こんなことを長々と書いているのか、と、いぶかる人も多いとは思いますが、新たな環境への出発を控えている多くの人に、「環境が変わると、ストレスで身体症状が出ることはあるから、気をつけようね」、というメッセージの意味で雑文にしてみました。
きっと、なんとも思わないで通り過ぎる程度のオハナシでしょうけれど、メンタルヘルスの知識は、窮地に追い込まれたときのセルフコントロールの役に立ちます。心に留めておかれるとよいと思います。
医師や薬剤師といった「患者さんの命と向き合う仕事」を選択し、修行中の医学生や薬学生の人たちは、覚えなければならないことが多くて、個人、個人の適正やその学校の教育方針・カリキュラムによっては、本質的な在り様(ありよう)といったその職業にあるべき「構え」のところまでは、教育の中では至らない場合があるかもしれません。
少なくとも、わたしは、そう熱心に勉強するほうではなかったけれど、国立大学で学んだ最も大事なことは、「社会的弱者である患者の命を守るために、命懸けで取り組む」という姿勢でした。
臨床の実務の訓練を受けずに製薬企業のR&Dでのキャリアを歩むことになりましたが、医薬品の開発という仕事は、命と向き合うことでは変わりはなく、かえって、より概念的に、科学として、命と向き合うためには、命がけで取り組むという考え方、そこは、常に、「常識」として行動の指針の中に持っていました。「有意味性」・「有目的性」を見出すという意味では、「命と向き合う仕事をしている」という自覚と命懸けで取り組むべきという教育の背景が、ストレス応答まで自分をもっていく原動力になっていました。子供の頃の訓練で身につけたことなので、それは、消防士が命がけで仕事をすることと同じで、ほとんど考えるというよりは使命感で動作的には脊髄反射に近いです。
今、労働力が不足しているといった社会問題が、少子化の中で盛んに言われるようになりましたけれど、一番、クリティカルに不足している部分は、命と向き合う仕事の人出・労働力だと思うのです。
コンビニエンスストアが、夜中の4時間程の深夜に開店していなくても、人は死にません。コンビニエンスストアの人出は、クリティカルではないのです。
今後、気候変動の影響で、災害が増えていくだろうこともあり、命と向き合う性質の仕事は、ますます、日本の社会の中で重要な役割を担っていくことと思われます。
これからの進路を選ぶ若い人は、適性がある職種であれば、「命と向き合う」仕事を第一選択とすることが、社会的に正しい選択であると言えます。あくまで、資質・コンピテンシーの部分はあるので、適性を見極めて、自分にできる役割から「命と向き合う仕事」を第一選択に選んでほしいと思います。
一方で、昨今の、薬学生や、女子学生を、単なるラベルとして、暴行のターゲットとするような一部の狂信的な過激な一群を容認する社会的な空気には憂慮せざるを得ません。
また、薬剤師としての基本的な行動指針を、教育の中でどう教えるのか、そういった構造的なことにも、課題解決のために、智慧やスキルが足りないなら足りる人を「頭」に持ってくるとか、法人なのだから、普通の個体のヒトとは違って、頭は取り替えられますし、最適な頭を選ぶことができるのですから、前向きに取り組んでいってほしいな、と思います。
そして、早急に、企業のガバナンスや政治による仕組みの構築の中で、そういった医療分野をはじめとする「命と向き合う職種」に携わる人たちの存在と姿勢の大切さが、国民全体の意識の中で共通の価値観として育ち、尊敬と慈愛の精神に満ちた暖かい社会環境の中で、大切に見守られ支援されながら、若い人たちが、のびのびと、生産性高く、日本人の命を守る仕事に、命懸けで取り組める社会になればと願っています。
わたしも、そんな社会の醸成や共通の価値観に至る気づきを促すような教育の仕事に携わって、残りの人生を歩めたらと考えています。
夜と霧 新版 ヴィクトール・E・フランクル
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日本語訳は「夜と霧」。夜と霧-ドイツ強制収容所の体験記録 V.E.フランクル
日野原 重明先生の愛読書のひとつであったという話を聞いたことがあります。
そのような関係で、医師を志す学生さんは必読書のひとつとして読まれていることが多いのではないでしょうか。わたしは、大学生時代に大学構内のCOOPの書店で、この著書に出会って、購入した思い出があります。だいたい18歳から26歳くらいの間に、この本と出会えた人は、幸運です。
心や価値観がある程度固まった大人になってから、この本を初めて読むと、内容の凄惨さに、別の意味で打ちのめされてしまうのです。
年を取ってから、初めてはしかにかかるような心が重症化する状態を経験してしまうかもしれません。若いうちに、心がまだエネルギーを内燃させながらも柔らかく好奇心に満ちて、適応性のある伸びしろを持っている状態のうちに読むことをお勧めします。きっと一生の財産として得るものがあります。
昨今のマスメディアやSNSをにぎわす「内面の自由」という言葉、その概念を正しく知っていますか?
内面の自由とヒューマニズムに関する精緻かつ普遍性のある洞察が、このDr.フランクルの著作の根本です。ですから、自由という概念について、特に「内面の自由」についてどうしても語りたいツイッターユーザーなどは、この本をまず「日本語訳が手に入るので」読んで、ところどころ引用しながらツイートとかすれば、と思うのですが、英語が読める方は、Brainpickingsの書評もオススメです。
https://www.brainpickings.org/2013/03/26/viktor-frankl-mans-search-for-meaning/
Viktor Frankl on the Human Search for Meaning
BRAINPICKINGS.ORG
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公益通報者保護法を読んだことがありますか|
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レギュラトリーサイエンスって知っていますか|分析法バリデーション(実務)
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その他|
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エピソード #6 ストレス応答と有目的性
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余談|
大学では、薬学部でしたが、当時は臨床実習の単位は選択性だったので、なんと!臨床実習の単位を取っていません”(-“”-)” その分、医薬品の開発向きの職業能力訓練をよく受けて、よく勉強した(汗と涙の)思い出があります。
そんな私から言われても説得力に欠けるかもしれませんけれど、今の薬学の教育は当時とは事情が変わってきていて、ただ、将来、医療従事者としてどんな職業を選ぶのであれ、薬学を学んだ人にとって、最も必須なことは、薬剤師の国家資格を取得することと思います。
薬剤師にしかできない仕事があるからです。
「薬剤師にしかできない仕事」は、日本国家の法律に規定されています。どんなキャリアを取っても、薬剤師にしかできないと法律に規定されている仕事は、薬剤師の国家資格を持っていなければできません。知っていますか。
たとえば、製薬企業で、医薬品の開発に従事するのであれば、その最高責任者である医薬品の場合の「医薬品等総括製造販売責任者」は、薬剤師にしかなれません。
※引用:医薬品、医療機器等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律 第十七条(医薬品等総括製造販売責任者等の設置)
e-Gov 法令検索|
https://elaws.e-gov.go.jp/search/elawsSearch/elaws_search/lsg0500/detail?lawId=335AC0000000145
以下、引用(抜粋)
医薬品、医薬部外品の品質管理及び製造販売後安全管理を行わせるために、医薬品の製造販売業者にあつては薬剤師を、置かなければならない。品質管理及び製造販売後安全管理を行う者(以下「医薬品等総括製造販売責任者」という。)が遵守すべき事項については、厚生労働省令で定める。
製薬企業では執行役員クラスの仕事です。執行役員が自身の役割を一部権限委譲することがありますが、当然、権限移譲される人材は薬剤師であることが望ましいです。法的に医薬品等総括製造販売責任者という薬剤師の職能が期待されているからです。
また、大学病院であれば、病院の薬剤部門の部門長である薬剤部長は、当然薬剤師でなければできません。薬局であれば、薬局のすべての職員の指導監督にあたる管理薬剤師、つまり人事マネージメント担当者をするのは薬剤師です。とにかく、薬局で人事マネージメントの管理職になれるのは、薬剤師だけという事です。
薬学を学ぶのであれば、そういった可能性をすべて携えて社会人となった方が、いいんじゃないかな、薬剤師になる薬学生が、もっと増えるといいな、本当に楽しく職業能力訓練を積んで、すがすがしく薬剤師の資格が取れたらいいな、そんな気持ちで、コンテンツを公開しています。。
滝沢
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