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西伊豆の磯釣り

 昭和35年頃の話だが、友人と4人で東伊豆のY浜に釣りに行ったことがある。
泊りは近くの峰温泉でそこからバスに乗って断崖の上で下車し、崖の急斜面を木の根に掴まりながら重い磯釣りの道具を背にして下っていくのである。夕方に釣りをしてから岩場で仮眠して早朝も釣りをしようという計画である。まだ日のあるうちに磯場に降り立ち場所を決めて仕掛けの仕度をする。夜釣りは大物が来るというので太目の仕掛けにして電気浮木(当時は未だリチウム電池などない時代だから単三の乾電池を仕込んだ太い浮木)をつけてポイントに投げ込む。
 明るいうちはあたりがなかったが暗くなると俄然活況を呈してきた。太い電気浮木がユラユラと水中に潜って行く。すかさず竿をたてると猛烈な引きでハリスが切れてしまう。ハリスを次々に太いものに付け替えていくのだがいずれも切られてしまう。道糸に直結してやりとりしたが磯に抜き上げるときに道糸まで切られてしまう。魚は何ものだか分からないがかなりの大物だ。当時のテグスというのは人造繊維と言われていたもので粗悪品しか出回っていなく、まだナイロン糸も出たか出ないかの頃だから仕方がない。そうこうしているうちにアタリもなくなってしまい、懐中電灯の明かりで弁当を肴にビールを飲むともうやることがなくなってしまった。
 夜の磯は昼間の余熱で暖かく気持ちいいのだが、なにしろ溶岩の上にじかにねるのだから痛くてしようがない、そのうえブヨだか蚊だかに攻め立てられてろくろく寝られずに朝を迎えた。
 水平線が明るくなり始めてから日の出るまでが勝負である。四人はなんとか一匹でも釣ろうと必死に仕掛けを投げ込むのだが、こういう時に限ってリールがパーマネントを起こしてしまうのである。つまり投げ込みの時にリールが高速で回転するので指でサミング(ブレーキをかける)するのだが失敗すると一巻の終わりで、リールの中で糸がグチャグチャにからまって使用不能になってしまうのである。
 魚はちっとも釣れないし、朝日が出てきて暑くなってきたのでそろそろ帰ろうかと竿を持ち上げた時驚いたことに伊勢海老が釣れたのだ。それもしっかり口に鈎がかかっているではないか。勿論伊勢海老はその頃でも漁期がきまっていたのでへたをすると取り上げられてしまうかもしれないと大急ぎでクーラーに仕舞い込み、宿にかえることにした。
 荷物はおのおのが分担して背負ったのだが相当な重さである。しかも夏の太陽が照りつけ溶岩も暑くなっていて靴底を通してもその熱が感じられる。一晩中、溶岩の寝床で虫の猛攻に痛めつけられていた上に魚は釣れないときているので足取りも覚束ない。やっと崖の下に辿り着いたがこの崖を上まで上るというのは大変な作業である。元気盛りの20歳の男が四人文字通り地を這って木の根に掴まりながら重い荷物を背負って50m程の崖を攀じ登ってやっとの思いで上の道路に出た時は、まるでお陀仏寸前の重病人という風情である。
 早朝、と言っても8時頃なのだが田舎のバスはあてにならない。喉は渇くし腹は減るしで身体は綿のように疲れきっていて精も根も使い果たし道路際にへたりこんでいると、何という幸運か一台のタクシーがしかも空で通りかかった。倒れこむようにタクシーに乗り込んだ四人は旅館に辿り着くと玄関に荷物を放りだし二階の部屋に行こうとするのだがもう立ち上がることができない。宿の女将に水をもらって一息ついてからとにかく上まで上がろうとするのだが矢張り立ち上がれない。四つん這いの四人が階段を一段ずつ這い上がって部屋までどうにか入り込むと其の儘突っ伏してダウン。 後にも先にもあれほど疲れたことはない。
 それ以来どんなに誘われても磯釣りだけは行く気がしない。


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