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木場のボラ釣り

 東京湾では昔は魚が沢山とれたものだが最近はすっかり水が汚れて魚の数も大きさも昔日の面影はないというのが通り相場である。ところが東京湾の奥の方にこんな綺麗な水に大魚がうようよしている所があるかと思うような場所がある。
 ある夏の日曜日、私は日頃行きつけの魚政の裕さんとⅠさん、Ⅰさんの彼女の四人で木場からボラ釣りに出掛けた。
 昔は木場の掘割にはすぐ出られたものだが、この頃ではすっかり家が建て込んでしまい、護岸堤に行き着くのにマンションの裏口を身体を横にしながらすり抜けて行かねばならないという有様。船宿も今ではすっかり廃れてしまい屋形船ばかりとなってしまいまことに寂しい気がしたものだった。
 この船を出してくれる船頭は裕さんの知り合いで木場で魚屋をやっている人から紹介されたのだが無精髭を生やした冴えない親父で普段は他の仕事についていて船頭の仕事は特別に頼まれない限りやっていないということであった。しかし流石に海に出ると陸で見た印象とは大違いで顔つきまでシャキっとしてきたのには驚いた。
 釣り場は新しく(と言ってももう十年にもなるが)出来た木場の貯木場の中である。周りを柵で囲ってあるが中に船を乗り入れると二抱えもあろうかという丸太が見渡す限り水面に浮かんでいる。この貯木の上に乗ってボラ釣りをするのだ。深さは多分四~五メートルと思われるが水底の砂粒まで手に取るように見えるのである。ゴミなどは勿論一つも落ちても浮かんでもないし、信じられないほど透明で静かである。貯木の間、ところどころに十坪から二十坪くらいの隙間がありそこでウキ釣りでボラを釣ろうというわけである。
 貯木は針金でところどころ縛りあわされているが、その隙間から下を覗いていると居る居る。水の中の魚は大きく見えると言うが一メートルは楽に超えて尻尾が擦り切れた鱸が一―ニ匹その後から七―八十センチのボラが十―二十匹単位で足下を次々に悠然と回遊しているのだ。不思議なことに小さい魚は見当たらない。
 ボラ釣りには貯木の水に漬かっているところに生えている藻を鈎にクルクルと巻きつけて餌にするのである。ウキ下は一メートル一寸、魚のアタリはウキが一気に消しこむと猛烈な引きで始まる。八十センチ四キロクラスのボラと引張りっこでつるのだからこたえられない。ビュンビュン糸鳴りがして竿は満月にしなり片手ではとても支えきれない。乗っかっている丸太がグラグラするからスリル満点である。
 やっと丸太と丸太の間に魚を取り込んで鈎を外すのだがボラは一跳ねで水中に戻ってしまう。いくらでも釣れるから一寸も惜しい気がしない。
 ひとしきり釣をやっているうちに裕さんが離れている丸太と丸太の間を飛んで渡ろうとしたのだがゴム長を履いていたものだから滑って片足が水に落ちてしまった。
「畜生!」と言って丸太に這い上がろうとしたところ、今度はすがった丸太が回ってしまい完全に首まで水に漬かってしまった。濡れ鼠でやっと桟橋に這い上がった裕さん
「餓鬼のときはどこだって飛び歩いて落ちたことなんかねーのに」とぶつぶつ。
 夕方の風が冷たくなりパンツまで脱いだ裕さんがフリチンで桟橋の上を駆け回って「寒い、寒い」と連発するので見かねたⅠさんの彼女が予備に持ってきていたスカートを貸してやったので、やっと裕さんも頭からそのスカートを被って酒の酔いも冷めはて「もう帰ろうよ」というみんなの声に否応はなかった。


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