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鮒とり

 昭和三十九年私は住み慣れた世田谷を後にして東武線の竹ノ塚に出来た公団住宅に移り住んだ。地下鉄日比谷線が東武線と相互乗り入れが始まった間もないころだったが、初めて部屋の下見に出掛けたときは、電車が南千住のところで地上に出ると周りは屑屋の仕切り場のような所か冬枯れした雑草の生い茂った空き地しか見えず恐ろしく殺風景な場所に来たものだと都落ちとはこんなものなのかなと感じたものだ。
 竹ノ塚駅は西側が商店街、と言ってもうらぶれた店がポツポツ並んでいる程度、舗装道路もなく冬の雨にぬかるんだ冴えない街だというのが第一印象だった。団地は駅の東側に四階建ての同じ建物がずらりと線路に沿って建てられていて、将来は駅前に立派なショッピングセンターが出来るという触れ込みであった。なにしろ水はけの悪い土地で大雨が降るとそこらじゅうが水浸しになってしまうので、朝会社に行く時はたとえ晴れていても靴を手にして長靴で駅まで行かなければならない。道路の上に大きなザリガニが我が物顔で歩き回っているという有様でまったく西部開拓地のような雰囲気だった。
 とにかくまった平らな土地で散歩に出掛けていくら歩いても自分の住んでいる団地が視界から消えることがない。そここに溜池のような浅い水溜りそれもかなり大きくて五百坪から千坪以上もあるのが点在しているのだが魚のいる気配はあまり感じられない。しかもえてしてこういう場所はゴミ捨て場になっていて古畳とかこわれた自転車とか分けの分からないビニールの包みとかが打ち捨てられていて散歩の気分を害するのであった。
 ある冬の朝、私はいつもより遠くまで行って見ようと思いたち北東の方向へ足を伸ばしてみることにした。雑草地の間に畑があったり僅かながら水田もあるが樹木も少なく殺風景な様子に変わりはないのだが、珍しく人影を見掛けた。冬の朝日がやっと差し込んできて中腰にかがんでいる男の横顔を照らしていた。何をしているのかと思い近づいていって見るとシャベルで泥をすくっているのである。表面は硬い土だがシャベルを入れると下はどろどろの状態になっている。
 男はシャベルでその泥をすくい上げると横にぶちまけた。よく見るとなにやら動くものがいる。男はそれを手でつまみあげるとバケツに放り込んだ。バケツに三分の一程魚がたまると男はバケツを提げてちかくの水路に行くとすすぎ始めた。
 小鮒である。
 夏の間水路で泳ぎまわっていた小鮒が水も涸れて寒くなってくると泥の中でじっと越冬しているのである。水中ならまさかバケツで簡単に掬われることもなかろうになにしろ泥と一緒に掘り出されてしまうので逃げることはできない。
 こうして男は一時間程で大きなザルに一杯の小鮒をとると自転車で立ち去った。その男の話では浅草の佃煮屋におさめているそうで、昔は千住あたりで取っていたが最近は家が建て込んできたのでこの辺を根城にして小鮒を取っているとのことであった。
 木に縁って魚を求むと言う言葉があるが地面を掘って魚がとれるのである。

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