なぜ、コーチングに強くこだわり、コーチングという概念にこだわらないのか。
こんにちは。てらだです。
今日ははじめて、私がコーチングをしている理由について話します。
今まで、少し過激な発言もあり、嫌な想いをさせてしまった人がいるかもしれません。何を言っているか分からない発信もあったかもしれません。
今日はその発信の根底となる想いや原体験、今までの私の人生をお伝えします。
私がコーチをするたった一つの理由
私がコーチングをしている理由は一つ。「真実の幸せ」を追求するため。だから、コーチングへ対する姿勢には強いこだわりがあり、その一方でコーチング流派だけでなく、『コーチング』という枠組みにもこだわりたくない。真実の幸せとは何か、を追求したい。
20年考えてきた『真実の幸せ』とは?
私の下の名前は『真幸(まさゆき)』。真実の幸せを掴み取って欲しいという願いを込められて頂いた名前。両親からの愛情を感じる、本当に本当に大好きな名前。
この名前の由来を聞いたのが8歳のころ。嬉しくてたまらなったが、そこから20年間『真実の幸せとは何か?』を考え続けて生きてきた。正直、こんなにも大きな問いを最も身近な名前に置かれて苦しいことも多かった。
「幸せって結局なんなんだ?分からない。答えなんてどこにあるのだろう。心から幸せそうにしている人なんか周りに一人もいない。なんなんだ。本当に。」
頻繁に訪れるこの感覚。宇宙のことを考えたことはみんなも一度はあると思う。あの虚無感に似た感覚だ。
幸せってなんだ。私たちはなぜ存在するんだ。地球はなぜ存在するんだ。高次元があったとして、そのさらに高次元は?その先にある宇宙のはてとは?
考えても考えても行き着かない答え。
そもそも答えなんてないのかもしれない。でも、我々がなぜ存在していて、幸せとはなんなのか。
自分の名前をみるたびいつも頭によぎる。
行き着かない答えを考え続けていると脳がショートする。社会人になって働きはじめて、さらに分からなくなり1年で適応障害にもなった。何も感じない。無だ。
脳の中で情報処理のエラーを起こし続けながら、ただ人の形をした物体が動いているだけだ。
私が本当に生きる意味はなんだろう、何のために存在しているのだろう。そんなことばかり浮かび、少し離れた視点から自分を見ていた。一度心臓が停止したことがあるが、あのふっと浮いた感覚に似ていた。
自分の過去から意味を探す
まずは、自分の人生を振り返ってみよう。そう思い、自分が今までどんなことをしてきて、何に充実感を感じていたか、何が自分を形成してきたのか、をこれでもかというくらいに考えた。
自分が存在する理由をこじつけでも良いから欲しかったのだ。
過去いろんな出来事があったが、自分が最も無意識にやっていたことは、人のサポートであり、さらに詳しくいうと『相手の言葉や物事の真意を聞こうとすること』だった。
子供の頃から大人たちが発する言葉には、いつも違和感を感じていた。嘘ついてるでしょ。なんで嘘つくんだろうと。
お金も持っていることを頑張って幸せに振る舞おうとする。体裁が良いことを幸せに振舞おうとする。いつも周りの見られ方を重要して、自分の心に嘘をついている。この世で本当に幸せに生きてる人なんているのか。
そんなことを考えながらも、自分もよく嘘をつく子供だった。(嘘ついてるのは、結局すぐバレる)
中学生以降は、色んな方から相談を受けることも多い人生だった。進路や恋愛、仕事、人間関係、転職、家族関係の相談など。その時も、「この人は本当は何が言いたいんだろう。どんな根底からこの言葉が出てきているんだろう。」と思いながら聞いていた。
心からの本音って中々出しにくいし、自覚すること自体簡単じゃない。でも、自分は最後まで本音を話せる存在でありたいなと思った。色んな人に相談しても尚、悩み続けている、理解をしてもらえない、そんなときでも最後まで一緒に考えられる人でありたい。
深く考えて、考え過ぎて悩んでいるとき、後押ししてくれる人や共感してくれる人がいないときは苦しいはずだ。自分が本当に望んでいることであっても、真の理解者がいない状態で決断するのはあまりにも孤独で苦しい。
だからこそ、自分のできる自己開示は全て行い、最後までその人が自分で納得して選択できるように寄り添う。その人にとっての幸せとは何かを考え続ける。そして、私のできることをする。(できないことまでしようとして迷惑かけたこともあった。)
振り返ると、人生を左右する大きな決断をする場や、生きる意味を一度失った人がもう一度見つける過程を共にすることが多かった。
それがある種、自分の生きる意味にもなっていたんだと知った。
内省の結果
5年前にこの振り返りをして思ったのは、人の幸せとは『自分で心から納得し、自分の生きる意味を持つこと』が大部分を占めるんじゃないと。それがたとえ苦しいことを抱えてでも。それがたとえ自分の思い描く”完璧”な理想でなくても。
自分の生きる意味を、自分なりに持って、自分なりの幸せを感じて欲しい。そのためにまずは自分を知って行動することが大切だなぁと身をもって感じていた。
コーチングとの出会い
正直、2年前に『コーチング』という職業に出会ったときは驚いた。
「え?これを職業にしていいの?」
そんな驚きだった。
世の中に溢れるHOW。本質からそれたHOW。そんな仕事しかないんじゃないかと思っていた。目に見える分かりやすい(時にはまやかしの)価値しか仕事にできないんじゃないかと。
嬉しかった。自分が人生を通じてやってきたことが、これからは職業としてやっていけるんだと思うと、本当に嬉しかった。
人の命(人生)を扱う尊い仕事だ。こんなに怖くて、こんなに生きがいの感じる職業があるなんて、信じられなかった。自分が知りたかった世界だった。
珍しいかもしれないが、私はコーチングを受ける前、コーチングという職業に出会った瞬間からコーチになることを決意していた。
コーチングの学びと疑問
色んなコーチングを学んで、受けて、感動した。自分が無意識的にやってきたことが、こんなにも体系立てられている!こういう仕組みだったんだ!こんなことも出来るんだ!と先人への感謝と尊敬と共に、喜びに満ち溢れてコーチングに没頭した。
朝から夜までずーっとご飯を食べずにコーチングの勉強をしていても、疲れを感じなかった。時計をみると明け方の4時になることもあった。
でも、業界に足を踏み入れると同時に色んな疑問や違和感も感じていた。
「みんな、何のためにコーチングを学んで、コーチングを提供しているんだろう?」
私にとってコーチングは、自他共に『人が真実の幸せに近くための最高の手段』だったが、他の人にとっては何なんだろう。本当にコーチングをしたいのだろうか。そんな違和感があった。
だから時にはこんな記事を書いたこともあった。
この時の自分は未熟だったなと思う。
コーチングに対する想いの変化
自分のコーチングの信念を押し付けていたような記事だった。発信なので好き勝手言ってもいいのかもしれないが、自分の未熟さを痛感した出来事だった。
この記事を書いて色んな反応を頂いた。多くの賛同のメッセージを頂き嬉しかったが、しばらくして怖くなった。なんか違和感がある。
その違和感は『自分は傲慢なんじゃないか』ということ。この時、本当に大きな気付きを得られた。そこから、私のコーチングに対する想いはさらに変わった。
コーチングって自由だよね。ってこと。
流派もコーチの在り方も、なんでもいいんじゃない。正解なんてないんだから。本質はそんなところにはない。もっと奥深く、もっと身近にある。
だからこそ、コーチングに対してガヤガヤ言わずに、自分の信じるものを磨き上げよう。そうすることで、私の信念は相手を傷つけてしまう剣ではなく、剣舞のように美しく舞うことで魅了させられるような剣になると。
コーチングという概念からの解放
そして、それと同時にコーチングという概念へのこだわりもさらになくなった。
真実の幸せを追求するための最も効果的な手段としてコーチングがあると思っていた。でも、どう考えてもコーチングだけじゃない。
というか、コーチングは何かを根底から支えるもので、何かに掛け合わせるものだ。水みたいなものだ。コーチングは掛け替えのないものでありながら、それ単体では真実の幸せには決して到達しない。私たちは社会で生きているのだから。
水以外にも大事なものは沢山ある。そして、それらは全部繋がっていて、全部大事なんだ。
地球だってそう。奇跡の惑星と呼ばれるのは、水があるからじゃない。青いからじゃない。生命が存在するからじゃない。全てが意味を持ち、調和しながら地球という生命体がこの宇宙で生きているからなんだ。
だから、私はコーチングという水を扱いながらも、水が馴染むようにもサポートしたい。その根本の媒介を作りたい。
あるコーチとの出会い
実は、この大きな変化は私がコーチングを受けている場で得られた。
少し話は変わるが、私のコーチは、コーチングにこだわらない。大手コーチ機関のリーダーとして活躍している方だが、とても自由な方だ。
今でも覚えている。今から1年以上前のオリエンテーションの時。
「私は人生を左右するセッションにおいて、コーチング以外の関わりも必要だと思っています。○○コーチは現在コーチングを教える立場の方ですがどんなふうに考えていますか?」
そう聞いて、あっさり返答があった。
「あ、コーチング以外も全然やるよ。コーチングを教えることは立場上できないけどね。」
それを聞いた時、この人に出会えて良かったと思った。
私が人生においてやりたいことを、この方は既に楽しみながらやっている。そんな直感があった。
そこから今も一年以上隔週でコーチングを受けている。深いテーマを扱って大泣きすることもあれば半分以上雑談で終わることもある。面白いネタやヒントもいっぱいくれる。時には『絶対』という言葉を使ってまっすぐ伝えてくれることもある。(あれは、ぐぬぬ、、、っとなったセッションだったが、その後一気に新しい世界が広がった)
そのおかげもあり、常に新しい気付きがあり、毎回心豊かになり結果も付いてくるようになったし、協力してくれる人も増えた。
コーチングに強くこだわり、コーチングという概念にこだわらない
コーチングは素晴らしい。学べば学ぶほどできることが増えるし、与えられるインパクトも大きくなる。
でも、捉われてはいけない。枠にはまった『コーチング』という概念に捉われている限り、それ以上広がらないということだ。
コーチングの学びを解像度高く深めながらも、その枠組みに捉われないという葛藤と共に、コーチングと向き合い、自分と向き合い、クライアントと向き合い、真実の幸せとは何かを考えてきた。
だからこそ、私はコーチングに強いこだわりを持ち、コーチングという概念にこだわらない。
これはあくまでも私の価値観であり、信念である。
コーチングと現実社会の接合部分
私と出会う人にとって、自分の幸せとは何か?を共に考え、共に実現させられる存在でただありたい。偽善の幸せにモヤモヤや違和感を感じて、より純度の高い幸せを求める人に命を使っていきたい。
(今までのクライアントの方々もそうだったので、何かしら伝わっていたのかなと思うと胸がじわーっと熱くなる)
私たちは、コーチングの後に直面する生活、生き方、社会への接合部分も担っていきたい。全ては繋がっている。だからこそ、繋げることに意味がある。自分の中にある純度の高い幸せ像を、現実でも掴み取って欲しい。
そのためにも、まず私自身が思いっきり苦しみ、楽しみ、悲しみ、喜ぶ。そして、怠けて、ふざけて、怒って、遊んで、味わって、考えて、磨き続けて、自分という純度を高めていく。
人生は素晴らしくて複雑なんだ。だから全てを受け入れて全てを愛する。
なんだってオーケーよ。
だからこそ、私たちは自分自身と社会において『真実の幸せとは何か?』を追求して、必要な事業を作り続ける。
このスタイルで世の中を魅了し、『個性と才能を活かし合う、心豊かな社会』を実現させる。
さいごに。
真実の幸せとは何か?
現段階で出ている小さな答えの一つとしてCo-Circsuがある。
そして、これからも考え、磨き続ける。
あなたにとっての真実の幸せとはなんですか?
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