予期悲嘆
親友に余命宣告があったとき実は本人も驚いていた。ただ私と違って本人は薄々、治療の限界も感じ始めていたそうだ。
「来週、退院することにしたよ。
訪問看護もつけることになったから。
これからは要介護とか介護ベッドとか
そんな生活になるみたい。
数週間前まで普通の生活できていたんだし
自分でもびっくりよ。」
目の前の文字列の意味を理解するのに時間が掛かった。心が拒否していたのだろう。そのとき、そしてその後のLINEログを読み返すと、2人とも内心の嵐は隠して相手を思いやる優しい言葉を交わしている。読むと当時よりも深く親友の心の内が伝わって来るし、切羽詰まった自分の気持ちは生々しく蘇り、咽せてしまう。
その日から親友が旅立つまでの約4ヶ月間、私はどっぷり予期悲嘆にはまった。
とても苦しいけれど、この先の私はきっと、この今の私を羨ましく思うんだろうな。だってまだ、りんちゃんは生きている。話すこともできるのだから。そんなことが頭に浮かんだだけで、所構わず涙装置が壊れた。その日がいつ来るのか怯えながら、着陸態勢に入った親友を思い続けた。
美容院の旅雑誌で見掛けた素敵な緑のカフェ。いかにも親友が好きそうな雰囲気。習慣的に“元気になったら行くところ”にストックしようとして、あ……
夫がネットニュースで見つけて「今度のお正月、ぎぼむすファイナルスペシャルやるってよ」と教えてくれて、すぐさま親友にも言いたくなって、あ……
教えたらドラマ好きな親友は喜ぶに決まっているけれど、お正月にはきっともう。
実際、親友が旅立ったのはクリスマス。
亡くなる1週間前までLINEは続いた。
親友からの最後の言葉は「おはゆ」
起きていられる時間も短く、スマホ操作できる筋力も残っていなかったろうに。ありがとう。