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夢の供養(一)

40数年生きてきて、こんな僕でも人並みに「夢」を持って生きてきた。

小学生から中学生までの夢は「プロ野球選手」だった。
小学生時代は少年野球に入り、休み時間は毎日友達と野球していた。
中学に入ってからは野球部に入り、夢に近づくべく毎朝走り込みをしたり、夜は筋トレに素振り。
おかげでレギュラーを獲ることができて、とても嬉しかった。
高校でも野球部に入ったが、ここで僕は夢を諦める。
自分よりうまい選手がいて、これは敵わないと思った。
僕は軽く足を捻挫しただけだったが、それを盛って「ケガのために野球が続けられないので辞めます」とある種の嘘をついて辞めた。
夢がひとつ死んだ瞬間だった。

野球部を辞めてからは勉強に目覚めた。
京都が好きだったこともあり、京大に入ることが大きな目標となった。
元々勉強好きだったのもあり成績は伸び、学年で1位を取ることもあった。
全国模試でも好成績。
2年生春までは順調だった。
僕は別の大学を志望していた友達に、「お前も京大受けたら?」と言った。
彼はその気になり、どんどん成績を上げていった。
センター試験は、そこそこの成績を残せた。
二次試験。
雪の京都。
憧れの京大のキャンパスに入り、数学の試験が始まる。
問題を見た瞬間、頭の中が真っ白になった。
全く手が出ず、「終わった…」と思った。
ホテルに戻るなり、僕は泣きながら母に電話した。
「明日もあるんだから、せめて最後まで受けなさい」と言われ、折れた心を必死でもたせながら受けた。
合格発表。
案の定、僕は不合格だった。
一方、僕が京大受験に誘った友達は合格していた。
僕は後期試験で受かった別の大学に進学した。
こうして僕の大学受験は終わった。
野球選手に続き、2つ目の僕の夢が死んだ。

大学生活が始まった。
京大への想いが燻っていた僕は、たまに京大のキャンパスに行っては、叶わなかった夢と現実の間で揺れ動いていた。
「京大の大学院を受けよう」
そう思った僕は、大学院受験に向けて学業に励んだ。
さすがに親に経済的負担をかけられないので、必死でアルバイトもした。
とあるアルバイトでは、悪徳業者であったのに気づかず、給料未払いが続く中「大学院行くためには頑張らなきゃ」と、アルバイトを続けた。
気づけばその業者は、給料を支払わないままどこかに消えてしまった。
20万円タダ働き、高い授業料だ。
それでも他のバイトでなんとか貯金できた。
大学院受験は合格。
京大で学ぶという数年越しの夢が叶った。

京大の大学院修士課程に入った僕を待っていたのは、野球を諦めた時のような劣等感だった。
周囲は留学経験者や帰国子女、既に他大学で修士号を取得している人たちが多く、「とんでもないところに来てしまった」と、とてつもない焦りに包まれた。
入学から3ヶ月、必死でついていこうと課題に取り組んでいた僕は、高熱を出して倒れた。

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