地元(滋賀)について思うこと

最近読んだ本の一説で、こんな言葉がありました。

自分がどこから来たのか忘れちゃいけない。
でも、どこから来たのかに縛られちゃいけない。

     ビジネスと人を動かす驚異のストーリープレゼン P.313より引用

自分の出自とか、国籍とか、育って来た環境とか、
アイデンティティがどうも差別とかネガティブな要素として捉えられかねない昨今の風潮を感じますが、
その「違い」が価値を生み出したり、多様性に繋がったり、
あるいは反対に、共通項によって話題のキッカケになったり、
ポジティブに作用すべきものだと思うんですよね。

こんなことを考えたのも、Voicyで「滋賀対談」なるものを聞いた事に端を発します。
もっと言うと、Voicyファンフェスタに行った時の記事を
Voicy広報の田ケ原 恵美さんが見てくれて、
その田ケ原さんもVoicy配信されていることを知り、検索していた時に
谷口マサトさんと田ケ原さんの対談放送を見つけたのがキッカケです。

本放送を聞くと、滋賀県民なら誰もが「あるある!」ってなる話題ばかりなのですが、恐らく、滋賀県民以外には全く響かない内容w
でも滋賀県民である自分は、大いにシンパシーを感じました。

そのシンパシーの根元について、もう少し掘り下げてみます。

言葉というコミュニケーションツールによる同一性

滋賀県も関西なんで、関西弁を話すのですが、
関東の人が一般的に聞いている関西弁は、
大阪のものがほとんど(だと思ってる)。

なので、滋賀県民が地元の言葉(我々は関西弁だと思っているモノ)で話すと、「エセ関西弁」とか言われます。

「関西弁を喋れもせんお前に何がわかんねん!」と反発しますが、
それが現実。仕方がありません。

でも滋賀県民と話す時には、それが一切無い訳で。

そうすると、コミュニケーション上での障害が限りなく取り除かれる。
この状態って凄いことだな、と改めて感じたのです。

このグローバルの時代に言葉に縛られるなんてナンセンス、という考えもあるでしょう。
が、意思疎通にストレスを感じないって凄い事ですよね。

最後に

そんな事をいろいろ感じたり考えたりしながら、
滋賀県の人と、滋賀県に貢献するような事できないかな?って、
思いつきながら割と本気で考えていたりします。

自分を育ててくれた滋賀という土地に恩返しがしたい。

「滋賀県民の滋賀愛が強いのは、田舎コンプレックスだ」みたいな言説もありますが、そんなん関係あらへん。

一応、エンジニアの端くれなので、何らかのシステム開発で貢献できることって、意外とたくさんあるんじゃないかと思うんですよね。

とりあえず、今度地元の友だちに会う時に、「将来のために何ができるか?」なんて事を、酒でも飲みながら大いに夢想したいなぁ、
などと考えています。

色々書いたけど、要は「滋賀が好き」ってことですね。

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