ジオシティーズで日記書く
noteで初めて日記です。よろしくお願いします。その昔、ジオシティーズというwebサービスがあり、そこで日記などを公開していました。「ブログ」という言葉自体が生まれる前の話ですので、そうか、もう20年以上前になるのですね(しみじみ)。
そんなわけで、僕の経験をふまえて、20年近く前の個人webページの思い出をつらつらと思いつくままに、書いてみたいと思います。
当時の僕は、ジオシティーズというwebサービスで、webページを表すhtmlファイルは、ホームページビルダーというソフトを使っていました。noteも含めて、htmlの言語を意識しなくてもwebページが作れる時代の人たちにはホームページビルダー、なんていってもよくわからないかもしれません。webページはたいてい、htmlの形式で作られているわけですが、そのhtmlの言語がわからなくても、感覚的に編集でき、それを自動的にhtmlに変換してくれるというソフトです。
その頃の僕は大学生で、理系の研究室にいたので、わりとそういう言語に詳しい人たちが周りにもたくさんいて、htmlで直接webページを記述している人もいました。いわゆる「タグ打ち」と言われるもので、タグ打ちができる人たちいわく、「webが軽くなるのでこちらの方がよい」とのことでした。
確かに、当時は通信容量が小さかったので、タグ打ちのほうが容量的には小さくて済んだのですが、その人たちが通信環境が大容量化された今の時代に住んでいるとしても、タグ打ちしているんじゃないか、と思います。要するに、プログラム言語を習得し、使いこなすことが好き、という人たちですね。当時の個人のネットの世界というのは、今よりはるかに、割とそういう技術好きたちの世界だったような気もします。
問題はwebページの内容で、たいていの人は特に他に発信するような特異な才能があるわけではないので、個人の日記みたいなものを書いてアップロードする、というようなことをしていました。今日は栄へ買い物に行きました、とか、カレーを作ってイカを入れたら旨かった、とか、そういう他愛もないお話です。
そういう日記を見るのは、たかだか周りの友達数人くらいのものですが、それでも友達数人に自分の情報が共有されるだけでも、なかなか楽しかったものです。自分自身も、社会全体も、そこまで個人情報の管理みたいなものに大らかだったので、公開に制限もないのに、割と好きなことを書いていました。今ならちょっと個人情報を公開することにはかなりためらいますが、当時は今から比べると牧歌的だったわけです。
日記をわりと頻繁に更新したおかげで、結果的に毎日のように文章を書くということになりました。このことによって、僕は個人webページの更新によって、図らずも文章を書くことがあまり苦ではない状態になりました。結果的にそうなっていた、というだけではありますが、個人webページが僕の文章修練の場となりました。
個人のwebページではありましたが、多いときは一日50件くらいのアクセスがありました(当時のwebページの多くにはカウンタが設置されていたのです)。どういう人たちが見てくれていたのかはよくわかりません。ほとんどが自分の周りの友達だったのだろう、とは思いますが、全く他の通りがかりの人たちなのかもしれません。アクセスログみたいなものが残るようなシステムではなかったので、誰からアクセスされていたのかは、よくわからないままでした。
日記自体はどんどん蓄積されていくものなので、3年も続けていると、相当な量になります。その頃に僕は結婚することになりまして、妻の実家に行きまして、妻のお父さんに結婚のお願いに行く、という、人生における典型的な「山場」を迎えたときに、そのアクセス数の意味がわかりました。
実はその僕の個人ページを妻のお父さんが、ずっと見ていた、というのです。しかもその3年分くらいの膨大な量の日記を全部印刷して、つぶさに読んでいた、とのことでした。マジか、とは思いましたが、あとの祭り。誰が読んでいるとも知らず、加護あいりがどうしたこうした、みたいな話も書いていたので(笑)、顔から火が出るようでした。
ただ、そのお父さんも結婚を快諾してくれたので、そんなに日記で悪い印象は与えなかったのかな、と今なら思えます。今ならその当時の個人webページの自分自身の日記を客観的に読むことができるのですが、どんな有能な探偵を使うよりも、そいつの人格なり思考なりを、子細に検分できる方法だったのだろうな、と思います。僕が逆の立場だったら、娘がつれてきた男の日記が読めるなら、絶対に読んで審査してやりたい、と思いますので。
その後のネットの世界では、ブログが生まれ、SNSが生まれ、mixiが流行って、twitterができて・・なんていう流れが進みました。結婚後もしばらくは日記を書いておりましたが、自分に子が生まれてからは、御多分にもれずそういうことから距離を置くことになりました。
ただ、web上でなくてもよいのですが、人生の一時期であっても、ほぼ毎日のように自分に起こったこと、自分が考えたこと、が日記として記録されているというのは、とても楽しいものです。人生って、本当に様々に絶望するようなことも多いのですけれども、そういう長い人生の一時期の記録が、今再び立ち上がるためのきっかけになることもあるんじゃないか、と感じることがあります。
ジオシティーズのサービスは、2年くらい前だったけな、それくらいまで継続されていて、サービスは終了しました。最後の10年くらいはほとんど休眠状態でしたが、それでも20年近くサービスを継続してくれて、ありがたい限りでした。
このnoteがちょっと創造的なことを好きな人たちが、割と落ち着いた感じで文章を書いたり読んだりしているようなので、当時の個人webページみたいなことを書いても浮かないのかなと思い、書いてみました。
とりあえず、初回はこんな感じで。
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