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イカイもゴツイも東京ガールに通じなかった

「フトイ」から「ドエライ」までの多重の円

今回は「大きい」の全国方言分布図です。「大きい男」の現地語訳をお願いして、この方言を蒐集しました。

「大きい」方言もまた「多重周圏構造」を見せています。本土では「フトイ」→「オオキイ」→「デカイ」→「ゴツイ」→「イカイ」→「ガイナ」→「ドエライ」の順に京の都から言葉が発信されたように見えます。

「イカイ」と「ゴツイ」の東京デート

滋賀県の海津に生まれ育った私は、「大きい」ことを主として「イカイ」と言ってきました。また「ゴツイ」とも言っていました。

もう半世紀以上も昔のこと、朝日放送に就職した1972年の夏のお昼、22歳の私は東京・銀座のソニープラザの最上階のレストランで、杉並区高円寺で育った音大の女子学生とスパゲティーのランチを食べていました。彼女は、当時のアン・ノン族として、同性の友人と一緒に京都に観光旅行に来ていたとき、真如堂の私の下宿の前の、お寺の門口で知り合いになったのでした。交際していたわけではありません。私は東京出張のおりにランチに誘っていたのです。

ソニープラザから霞が関ビルを眺めて、私は、京阪式アクセントでこう言いました。

「『イカイ』ビルやなぁ」と。

彼女はすぐ聞いてきました。
「『イカイ』ってどういう意味ですか?」

あれ?通じない言葉、方言だったのかと気づき、
「『イカイ』て、『ゴツイ』という意味です」

またも彼女はクエスチョンの顔をしました。
「ゴツゴツしてる、ってことですか?」

私はすぐに訂正しました。
「いや、『大きい』という意味なんですよ」

やっと彼女は微笑みました。分布図を眺めると、東京人の彼女には、最初から「デカイ」「デッカイ」とでも言っておいた方がよかったかも知れません。これらの言葉たちを少し分析してみましょう。まず「フトイ」から行きましょう。
 
なぜ「フトイ」と言うのか?

「フトイ」は九州のほぼ全域を覆っています。さらに四国各地にあり、中国地方では広島県の山間部でも「フトイ」。一方、東日本にも新潟県の粟島にわずか一か所ながら「フトイ」が回答されました。ただし、方言の古い資料によると、東日本にはさらに山形県東田川郡、新潟県佐渡、石川県輪島市でも「フトイ」が使われていた記録があります。「フトイ」は明らかに周圏分布しているのです。

平安時代から「フトイ」は今に言う「太い」の意味を持っていました。ところが室町時代末になって、京で「非常に大きい」という意味で用いられるようになったのです。次に見る通りです。

*御伽草子・猿源氏草紙〔室町末〕「ただふとく物を思ふと見えたり」 

「フトイ」がなぜ「大きい」の意味になったのか。それはもともと「フトイ」には、「心や気持が豊かで大きい」という意味があったからでしょう。こんな例があります。

*今昔物語集〔1120頃か〕三一・一三「若き者共の魂太く力極く強く」

ここでの「魂太く」とは「気持ちが大きく」を表しています。「ふとい」はある時期、京都で「big」を意味する言葉になっていたのです。
 
「オオキイ」の誕生

次に「オオキイ」です。西は福岡・宮崎の両県などに何か所も見られ、東は東北全域に広がっています。『日国』(『日本国語大辞典』)では「大きい」を「室町時代以後の語」と述べ、こう解説しています。

室町時代以後、『大きい』が生じたのは、古代からある対義語『小(ちい)さし』の存在による。

つまりこういうことです。まずは古語「小さし」から「小さい」が生まれました。これに引きずられて、それまであった古語「大きなる」から「大きい」が生まれたのである、と。

「大きなる」には、こんな文献があります。

*伊勢物語〔10C前〕九「武蔵の国と、下つ総の国との中に、いとおほきなる河あり」 

「おほきなる河」すなわち「大きい川」のことです。平安時代にはすでに「オオキナル」はありました。しかし「オオキイ(そしてオオキナ)」の出現は、次のように、室町時代末以降と、たしかにずいぶん遅れます。

*虎明本狂言・腥物〔室町末~近世初〕「随分おうきひと存したがそれよりおうきな」

ところで「オオキ」と表現するより前は、「オオ」でした。これは『万葉集』からも確認できることですが、分布図からもはっきり読み取ることができます。九州の一部に残っています。

沖縄では「ウプ」とか「ウフ」と言うことに注目しましょう。現代の「オオ(大)」は、旧字では「オフ」と書きます。平安時代の京都では「オフ」と発音されていました。またそれ以前、奈良時代までの発音は「オプ」だったと考えられています。「ハ行」は存在せず、「パ行」が行われていたのです。

一方、琉球では、本土の五母音が進化・省略の道をたどって「アイウエオ」が「アイウイウ」の三母音となりました。本土の「オ」は規則的に「ウ」になるのです。「オフ」も「オプ」も琉球に古くから渡っていれば、かならず「ウフ」「ウプ」になるのです。今の沖縄がそうなっているのは、この表現の本土からの渡来の古さを感じさせるのです。
 
「デカイ」も出現した

さて次は「デカイ」です。「デカイ」は関ヶ原より東、関東や東北に至るまで濃厚に覆っており、東国オリジナルの言葉かと錯覚しそうですが、実際は西日本にも少なくありません。中国・四国の西サイドに多く、さらに九州北部にまで及んでいます。

『かた言』(1650)は、徳川時代初期の京の言葉を論じた書ですが、ここに次のように「でっかい」が記載されています。

*かた言〔1650〕二「物のいかめしく大きなることを、でこ・でっかい・にくじなどといふこと、いとさもしう聞こゆ」

「大きなる」ことを京では「でっかい」と言っていることが書かれています。「でっかい」は「でかい」から派生したものでしょう。「デカイ」も「デッカイ」も京生まれの言葉に間違いないと思われます。
 
私の「イカイ」と「ゴツイ」

次は、私も使っていた「イカイ」と「ゴツイ」です。

「イカイ」は、東は茨城・千葉の両県に多く、西は山口・島根の両県に密集しています。一方、「ゴツイ」は関西のほぼ全域を覆い、中国・四国地方にも濃厚です。「ゴツイ」は比較的新しい都ことばかと類推されます。
 
さて次は「ガイナ」です。京都の禅僧の講義録『史記抄』には、こうあります。

*史記抄〔1477〕一三・黥布列伝「高祖はいかい志ぞ、項羽はがいなものぞ」

つまり高祖は「イカイ」志、これは「たいそうな、または並外れた」という意味でしょう。『日葡辞書』にこうあります。

*日葡辞書〔1603~04〕「Icai (イカイ)〈訳〉たいそうな、または並外れた」

つまりこの「イカイ」が、のちに「大きな」の意味に変化を遂げたのです。

そして「項羽は『ガイナ』もの」の「ガイナ」は、『日国』では「程度が標準よりぬきんでているさま」を表しているとしています。「大きい」そのものではありませんが、「イカイ」の場合に似た意味の変化を遂げ、やがて「大きい」を意味する言葉として都で栄えた一時期があったものと思われます。

この『史記抄』には、今は千葉の房総半島と、福島県にしか残らない「ズナイ」も、以下のように京で使われています。

*史記抄〔1477〕一五・汲鄭列伝「図ない事を云さふと、をせらるるそ」

ここでの意味は「限度がない。とほうもない。なみはずれている」といった意味ですが、これは「イカイ」や「ガイナ」の意味とよく似ていて、やはりこれもやがては「大きな」の意味の言葉として栄えた時期があったのでしょう。
 
最後に「ドエライ」

「ドエライ」は、「イカイ」や「ゴツイ」、「ガイナ」と同じく、「たいそうな」「並外れた」と言った意味から変化を遂げて「大きい」を意味する言葉になったのでしょう。このあたり、「大きい」の意味を生み出していく民衆の造語意識の法則を感じてしまいます。

「ドエライ」は大阪府南部と奈良に見いだせます。この言葉は、徳川時代末期になって、「とてつもなく大きい」などの意で、大坂で使われていたことが、次の文献でわかります。

*随筆・皇都午睡〔1850〕三・中「大坂でどゑらひは京で仰山、江戸では大騒(たいそう)」

「ど真ん中」「ドアホ」と言うのと同じように、「ドエライ」の「ド」も強調の接頭辞です。「ド」は、京か大坂かどちらで生まれたものでしょうか。

徳川時代の前半から「ド」は文献に現れますが、いずれも大坂で書かれた書物です。京の文献からは見いだせないようです。西鶴・近松が活躍していた徳川時代前・中期に、「ドエライ」は京でなく、大坂で栄えたのかも知れません。
 
方言なき、「大きい」の時代に

ところで「オーキイ」は分布図では少数派ですが、これは標準語であり、私も今は「イカイ」「ゴツイ」に替えて、「オーキイ」を使っています。

新しい首都・東京は、関東に広がる「デカイ」や「デッカイ」、あるいは関西の「ゴツイ」などの話しことばは採用せず、書きことばである「大きい」を選択したということなのでしょう。

これを書いていて、ふと思いました。「イカイ」「ゴツイ」を自然に私が使っていた、昔の東京にタイムスリップしてみたいものだと。

東京で関西弁を使うのは、1970年代、私の20代のころは、今と違ってとてもエキサイティングなことでした。周囲の人たちが、私の京阪式アクセントの関西ことばに聞き耳を立てているのを、すぐに感じるのです。「異物」と思われているのを自覚しました。現代なら山の手線に乗っていても、あちこちから関西弁は聞こえてくるし、周りの誰も気にしていません。逆に、中年以下の東京人は遊びの心持ちで、関西風の言葉を自然かつ気軽に使うようになっています。
 
「『イカイ』ビルやなぁ」
「『イカイ』ってどういう意味なんですか?」
「『イカイ』て、『ゴツイ』という意味です」
「ゴツゴツしてる、ってことですか?」
「いや、『大きい』という意味なんですよ」
 
東京っ子の女性と、異文化を楽しみ合った、愉快な時間だったと思います。

あの日以来、その女性とは会っていません。遠い霧のかなたに消えたままです。半世紀以上の時が流れ、はたちだった彼女も、今生きていれば75歳近くになっているでしょう。

願わくは、幸せな「光輝」高齢者生活を迎えてほしいものです(^^)
 


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