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小さきものは、みな美し。

前回の「大きい」に続いて、今回は「小さい」の全国方言分布図です。

「小さい女」の現地語訳を求めて、その回答を分布図化したものです。「小さい女」と言うと現代では、女性蔑視者かと思われかねませんが、私は小柄な女性はとても素敵だと思っています。20代くらいまでは、魅力を感じた女性は、ほとんど小柄でした。今なら180センチ以上でも魅力を感じてしまいますが。

現代語では「大きい」の反意語は、ふつう「小さい」です。「小さい」は古くは「小さし(チイサシ)」でした。『伊勢物語』や『枕草子』にこんな例があります。

*伊勢物語〔10C前〕六九「ちひさき童をさきに立てて人立てり」
*枕草子〔10C終〕一五一・うつくしきもの「葵のいとちひさき。なにもなにも、ちひさきものはみなうつくし」

「小さし」は、すでに平安時代には使われていました。現代の標準語「小さい」はその末裔です。であるのに近年まで、日本各地でさまざまな言い方がなされてきました。たとえば九州の西側では広く「細かい(コマカイ)」と言うのです。さらに沖縄も同様かも知れません。「グマ」に類した表現は、「細か」が語頭を濁音化させたものとも考えられるからです。
 
なぜ小さいものを「細かい」と言うか?

日本の西南部で、なぜ「小さい」とは言わずに「細かい」と言うのでしょうか? 

標準語遣いの感覚からすると、意味がぜんぜん異なっているようで、どうも変に思えます。ここから分析を開始することにしましょう。
 
「コマカイ」という方言は、九州の西部にびっしり分布するだけではなく、東日本にも、宮城県北部・関東・長野県に、ちらほら分布しています。このことから周圏分布と見ることができます。京の都から小さいの意の「コマカイ」は発信されたのです。

さらに分布図を読むと「コマカイ」の内側、九州の東部から中国・四国地方にかけては「コマイ」が主流です。「コマイ」は「コマカイ」を単略したものでしょう。都から押し寄せてきた「コマイ」という新しい勢力が、古い「コマカイ」を九州西部に追いやったのです。「コマイ」もまた、東日本でも、東北を含め各地に分布しており、やはり周圏分布しています。

つまり都では、もともと「チイサイ」の元祖「チイサシ」があったのにこれを捨て、かなり早い時点で「コマカイ」が台頭し、そののち短略形の「コマイ」が広まったものと推定できます。
 
「コマカイ」のルーツを求めて

「コマカイ」のルーツがどれだけの古さを持つか、文献で調べてみましょう。

『日国』では「細か」の項で、「非常に小さいさま。微細なさま」の意で、これも平安時代の『源氏物語』や『栄花物語』などの例を挙げています。

*源氏物語〔1001~14頃〕真木柱「さるこまかなるはひの、めはなにもいりて」
*栄花物語〔1028~92頃〕浦々の別「いと赤き瘡(かさ)のこまかなる出で来て」

これらの例から、平安時代の形容動詞「コマカナル」の末裔が形容詞「コマカイ」になったものと思われるのです。さらに沖縄の「グマ」系の言葉は、ここの「コマカ(ナル)」と繋がっている可能性が考えられます。

古くから都では「こまか」はよく通用しており、現代でも「こと細かに語る」、「細やかな配慮」など、細部、すなわち「小さい部分」に目を配っているさまを意味しているように見えます。

「コマカナル」は、「小さい」を意味する語に意味を広げていきやすかったのでしょう。そして「チイサシ」を凌駕する魅力的な表現として、やがて都で「小さい」の意味となって栄えた時期があったものと思えるのです。 
 
「小さい」が生まれて、その変化も生まれた時代

「小さい」という言葉が広まったのが確認できるのは、京の作家・江島其碩(えじまきせき)の文章が最初です。

*浮世草子・傾城歌三味線〔1732〕二・一「お幼児(チヒサイ)を介抱してしんぜましや」

しかし分布図における「チイサイ」の、特に東日本における広い展開を見ると、この言葉は、実際はすでに中世末までに京で生まれていた可能性を感じさせます。

「チッコイ」「チイチャイ」「チンマイ」など、「チ」を語頭につけた言葉たちは、「チイサイ」の流れを汲んでいるものかと思われます。
 
「小さし」の伝統を、今に

京で「小さい」という意味の言葉が「チイサシ」だったのに、「コマカイ」「コマイ」「チンマイ」などをさすらった末、古語「チイサシ」の現代形「チイサイ」に舞い戻った。
 
私はひとりの男性のことを思います。

彼は京都で幼いころから、室町時代から続く家業を継ぐように修行をしていたのに、大学生になってこれに興味を失い、違う職業に就いたもののあまりうまくゆかず、職を転々とした果てに実家に戻ってきました。戻ってからは人一倍精進し、今は立派に仕事を継いでいます。

この彼のことを思い出すと、まるで「小さし(い)」の辿った運命と同じようなものではないかと思えてしまうのです。人も言葉も、原点に回帰することがよくあるのです。


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