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ウ〇チをする女たち~「便所」隠蔽の歴史(後篇)~
明治以降の「便所」の呼び名
さて、前回私たちは近世以前に生まれた「便所」を意味する言葉について調べてきました。京都が発信したと思われる言葉の数々が、排便という行為そのものを隠ぺいし、これを足す場をキレイに印象付けたいという都びと、特に女性たちの意志によって、「便所」を意味する言葉が、時代とともによりキレイにと革新されてきたさまを見てきました。
その千年に渡るキレイな言葉遣いの伝統は、明治になってからどうなったでしょう?
明治維新によって、東京が首都になると、皇族や公家もみな京から東京に移り、この地から新たに文化の発信が行われるようになったのです。
明治以降に、ポピュラーになったと思われる言葉は、以下のものです。
① はばかり
② ご不浄
③ お手洗い
④ トイレ
明治以降は、日本政府に統一された国家体制の中で、新首都・東京を発信基地として、新しい言葉は新聞・雑誌、のちにラジオ・テレビも加わってのマスコミや、学校教育などによって、空から降り注ぐように短期間に全国に普及していったものと思われます。だから東京を中心とする地を這うような周圏分布は起こり難かったと思われ、分布の円を描くことは放棄しました。以下が分布図です。
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さて、京の伝統は東京にも受け継がれたでしょうか?吟味してみましょう。
「はばかり」とは何か?
「はばかり」は平安時代以来の言葉で、「恐れつつしむこと、差し控えること」を意味していました。それが排便の場所の意で使われるようになったのは、『日国』によれば明治中期以降の東京においてのようです。文献を見ましょう。
*花間鶯〔1887~88〕〈末広鉄腸〉中・三
「あの人が雪隠(ハバカリ)へ這入って居ようとは」
*或る女〔1919〕〈有島武郎〉後・二九
「ひとりでお便所(ハバカリ)に行けるか知らん」
おそらくは東京で明治以降に生まれた便所の意味の「はばかり」は、分布図を見ると、明治の新しい標準語として、日本のかなり広い地域に及んでいたことがわかります。
自分の家の便所を「人目をはばかる所」とへりくだるのは、徳川時代までの京の伝統とは少し異なる感じがします。京の場合は、いつの時代も便所にキレイなイメージを押し出そうとしていたわけですから。
あるいは、「人目をはばかる所」とあえて卑下することのほうがキッパリした品格ある姿勢である、という新しい美意識や価値観が東京では生まれていたのでしょうか。
「ゴフジョ―」とは何か?
「不浄」という言葉は、古くから京にありました。「浄(きよ)くない」という意味です。つまり「清浄」でないこと、けがれていることを示します。
『蜻蛉日記』(974頃)に初登場した語で、このときには「月経」の意味で用いられていました。血のけがれと考えられていた月経を、ストレートに「けがれ」とは言わずに、「清浄ではない」という婉曲的な表現で示したのでしょう。
この語はやがて京で、近世初期には「大小便」を意味するようになりました。それを足すところは、もしかすると「不浄所(処)」などと呼ばれることがあったかもしれませんが、『日国』には文献例は見当たりません。あまり広まらなかったせいかと思われます。
一方、東京では昭和初期までに、丁寧の接頭語「ご」をつけた「ご不浄」という新しい熟語を、便所の意味として日本中に大いに広めたものかと思われます。『日国』では、便所を指す、主として「女性の語」として使われていた、昭和初期の次の例を挙げています。「女性の語」とは、多くの場合、上品に、優雅に受けとめられる語を意味します。
*浅草紅団〔1929~30〕〈川端康成〉二九
「新聞や本が手に入ると大変 ─ 、御不浄(ゴフジャウ)に一時間も隠れて読んで、ヅロオスにそっとしまって ─ 」
昭和初期、今から100年ばかり前の東京女性にとって「ご不浄」という言葉を使って、そこが「清浄でないところ」であると正直に表現することが、むしろ品が良く、カッコいいこと考えられたものかと思われます。
どうも変な感じがしますが、「清浄でないところ」と認めてしまうことが、立場ある人々や魅力ある人々などの嗜み(たしなみ)と見なされていたのだと考えられるのです。
「オテアライ」とは何か?
「オテアライ」の前に「テアライ」という言葉が京にはありました。「手洗い」は、神仏に祈る前の身を清める作法でした。『日国』はこう説明しています。
(1)手を洗うこと。特に神仏に祈るときに、手を洗うことによって身を清めることをいう。
*更級日記〔1059頃〕
「いみじく心もとなきままに、とうしんに薬師仏をつくりて、てあらひなどして」
「手洗い」はのちに、「手を洗うのに用いる水や湯。それを入れる容器」をも意味する言葉になりましたが、京では便所を意味した文献は見つかっていません。
便所の意味で、「手洗い」を丁寧に言った「お手洗い」が現れるのは、明治中期の東京です。見てみましょう。
*妹背貝〔1889〕〈巖谷小波〉冬
「アラお嬢様 … 、お手洗でございますか」
1889年、すなわち明治22年の東京に「お手洗い」が登場したのです。便所を、キレイでクリーンな言葉で表現しようとする、京の長い伝統を復活させ、その美の系譜を継ごうとした、素晴らしい発明であると言うことができるでしょう。「ハバカリ」や「ゴフジョー」が退場してゆく中で、「オテアライ」は今もなお輝きあるキレイな表現として、女性にも愛用されています。
「トイレ」とは何か?
「トイレ」や「おトイレ」。現代人の私たち日本男女が今もよく使うこの言葉は、戦後欧米から入ってきた英語「トイレット」、フランス語「トワレ」の日本仕様であることは、多くの人が気付いていることでしょう。
『日国』によれば、昭和27(1952)年の次の例が、日本で一番古い「トイレ」の文献です。
*風媒花〔1952〕〈武田泰淳〉八
「トイレの白ペンキ塗りの扉」
敗戦後、アメリカの支配に下った日本人は、何かにつけアメリカやヨーロッパのスタイルを取り入れるようになりました。「トイレ」はその影響かと思います。ただし「トイレット」という言葉自体は、すでに昭和初期に使われていて、「上品な用語」と認知されていたことは、次の記述で分かります。
*音引正解近代新用語辞典〔1928〕〈竹野長次・田中信澄〉
「トイレット Toilet 英 化粧室、手洗所の意。然しこの言葉は便所(W.C.)の代りに用ひる。上品な用語である」
「トイレ」を化粧室、手洗所の意とし、「上品な用語」とする意識は、この辞書から100年近く経た今なお生きていると思われます。
東京の覚醒と成長
明治維新が始まり、東京が首都になって、新都の人々は便所にも新しい時代にふさわしい表現を求めたのでしょう。この地は、もともと徳川幕府の本拠地の大江戸であり、日本最大の人口を擁する都市でした。その地で欧米列強に劣らぬ近代国家を築いてゆくためには、先進的な文化センターとして、旧弊な京の文化の影響を超克する、新しい言葉群もまた必要と思われたものかと思います。「チョーズ」なんて、どうも黄ばんだ古くささを感じさせるなぁ、と。
新しい便所の名を発想するにあたっては、事実を隠ぺいする姑息な京都スタイルをこの際、思い切って棄て去り、汚いものは汚いと認め、正直に用便に行くことを表明することこそ美しい。旧来の武士の美学にも通い合う素晴らしいセンスだという、独得な意識が働いたのかも知れません。そして、その意識の変革は文明開化に従う地方の多くの日本国民にも受容されていったのです。
つまり人目をはばかりたい場所の意の「はばかり」と、清くなくてけがれた場所の意の「ご不浄」、そうした表現で人間のキレイでない生理的営為を率直に認めることが、新生日本の精神の証しのひとつと考えられた、そう理解してもいいでしょう。明治という時代、すなわち日本の近代を、こうした視点から仔細に見つめ直すことも、すこぶる意義あることかと私は思います。
さて、しかし人の心は変わりました。
21世紀の現代の東京では「はばかり」と「ご不浄」はほぼ消え去り、「トイレ」や「お手洗い」「お化粧室」といった、そこをキレイに思わせる伝統的な発想の表現に回帰しました。そしてそれは世界的な発想と一致するものでもあったのです。さらにこれは、素敵な女性はウンチをしないという、男たちのささやかな願いにも叶っていました。
こうして100年になんなんとする試行錯誤の末、ようやく東京は日本の伝統と世界の趨勢、これらいずれをも再評価し、国際的にも一級の品格を誇る首都として新たな成長を遂げるに至ったのです。