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子どものため、自分のため

この土日は、企画協力している木更津市文化課さん主催「アートとふれあおう」大人編&子ども編のスタッフとして参加してきました。

子ども編のことをちょっと書きます。

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講師に「保育園の「表現者たち」展」の浅羽聡美先生を迎え、午前午後、それぞれ約15組の2歳〜小学校高学年までのお子さんと保護者の方が参加してくれました。

左が子どもエリア、右が大人エリア、真ん中は素材置き場

大人と子どもでスペースを分けてそれぞれ制作に没頭。最後に作品を見せ合うという流れ。同じ素材を使っているのに仕上がりは全く違う!

砕いた石膏の隅っこに丸めたビニール?がアクセント
固まった石膏に水を入れて、絵の具を溶かして。
型から外した形を積み重ねたら見え方がまた変わる
ひっくり返すと裏側に色が!
ピッチャーになみなみと注がれた石膏。固まるのか?



「上手だね」など、優劣をつけるような言葉掛けはしないこと。「これなあに?」と聞かないこと(何かでなくてもいい)を心に置いて、スタッフはその場にいます。自分も制作をしながら、そこで巻き起こる予想していなかった出来事にその都度向き合っていきます。

題材となる素材は「石膏」
小麦粉のような石膏の粉を水と混ぜてクリーム状にすると、20分ほどでガチガチに固まる。スタッフも含めて石膏に触れたことのない人が殆ど。

このカップの中で石膏液を作る練習からスタート



ひとりひとりが手を動かして実際にやってみることで全く予想していなかった発想が生まれて、次々と実験のように「これをやったらどうなるんだろう?」が形になっていくのが、まさにライブだった。

家から持ってきた型に流し込んだり
粉のままかけたり…笑
オアシス(花を生ける台)を掘ってオリジナルの型を作る



子どもと対峙するのは毎回毎回が真剣勝負だし、「かわいいなあ」とかの世界では全くなくて、なんというか、"わからないし、怖い" が感覚としては一番近いです、私は。
予測不能なものを怖いと感じるのかもしれません。


昨日の子どもクラスでは清和短大こども学科の5人がスタッフとして参加してくれて、準備片付けや子どもたちのサポートなど、とっても助かりました。
専門分野を学んでいる人が現場にいてくれる心強さ。子どもたちへの関わり方、こちらが学ぶことがたくさんありました。

毎回ワークショップ後にスタッフで振り返りの時間を持つ



「誰のためのワークショップなのか」

回を重ねるごとに"子どものため"という言葉に違和感を感じます。「子ども」と一括りにする時も、そこにはひとりひとり全く違う意志を持った「人間」がいるはずで…自己実現をしたい大人の理由づけに「子ども」という概念を都合よく使っていないか、私はこれからも自分を注意深く見つめていく必要があると感じています。

「子どものため」だなんて傲慢だと思わされるような、大人が何かを教える必要のない創造性を子どもは元から持っていて、かつては自分もそれを持っていたことを"大人が"思い出したり、子どもからむやみやたらに奪ったり邪魔しないことを"大人が"学ぶための時間が必要で、そこから初めて「子ども」ではなく「そこにいる、その人」とのコミュニケーションが始まるんじゃないかなと思いました。


ガーゼをヴェールのようにかぶせて…中には美味しそうな作品が隠れていました。
終わった後のテーブルの上。
テーブルに垂らして固めた石膏にオアシスのかけらで顔を作る。
これは大人。靴下に石膏が飛んでもいい!笑
これも大人。思い切りが気持ちいい。


「アートとふれあおう」は来年春秋にまた開催します。市の取り組みなので参加費は無料です。またお知らせするので、ご興味ある方は是非。スタッフもいつでも募集しています!

流れ出したまま固まる。割れる。それもいい。

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