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『先生の白い嘘』等、映画に見える監督のエゴにどう対していくべきなのか

『先生の白い嘘』という漫画の映画化が
話題になっている

そのクオリティというよりは
作り方についてがである

主演の奈緒さんは、
内容の観点から
“インティマシーコーディネーター”を
監督に要求されたが、
監督が
「監督と主演の間に人を置きたくない」
とした事から受け入れられなかった

そもそも
“インティマシーコーディネーター”とは
何なのかを少しだけ書くとする

「映画やテレビドラマなどの
  制作現場で、
  ヌードやセックスシーンなど
  インティマシー(親密な)シーンの
  撮影をサポートする役割を担う
  スタッフ

  俳優や制作スタッフが安心して
  作品づくりに取り組めるよう、
  肉体的、精神的にサポートする

  出演する側と制作する側のあいだに
  入り、性的シーンの内容について
  調整することもある」


今回の作品は
暴力的な性的シーンや言動があり、
その扱いに真摯に向き合う為には
必要な対応と私も思った

事前の相談を行ったにも関わらず、
監督の判断でなくなった


監督とはそんなに偉いのか?


私は以前、
『海猫』という邦画で気になる
監督の言動があった事を
いまだに忘れられない
森田芳光監督、伊東美咲主演作品で、
都会から漁港街に嫁いだ女性が、
夫とその弟との間で心が揺れる、
そんな内容だった
“濡れ場”シーンもあるものだった

この作品について聞かれた監督は
こう答えた
「誰だって、
  伊東美咲が脱ぐのを見たいでしょ
  だから撮るんだ」と

…なんじゃ、そりゃあ
むかついた

女優は、
確かに体当たりな演技もこなす、
それで認められる、何て言われるが、
森田監督のあの言葉は、
ただのエロ監督が
男達の代弁をして、
そして美しい女優を初めて脱がす、
その役目を果たすんだよと、
そうはっきりと言いたいんだよな、
そう思った


最低だ


女優は監督の物でも何でもない
確かに監督が求める物を
演じ切ってナンボだろうが、
あの言葉はただのエロじじぃのそれだ


それを今回思い出した

三木康一郎監督が、
「自分と女優の間に人を入れたくない」
そう聞いて、
ホテルの自室に女優と二人っきりで
SEXに耽りたいと言っているのと同じ、
そうはっきり感じた

本心は知り合いでもないので
定かではなくても、
あの作品で
奈緒さんの相談に心から対応しないのは
男のエゴであり、エロ心でしかない


これ、合ってますよね、監督


奈緒さんをはじめ、
演者の方々は真剣に考えて
素晴らしい作品作りをしていたと思う
だから見応えがある映画だと思う

それは監督が
一部に見たい物を入れ込んで出来たから

それが証拠に
あの原作で、
先生は
甘んじて情事に溺れていたのではない
恐怖に支配されているのだから

それを理解せずに
暴力的なSEXを快楽として受け入れた、
そんな風に書かれたパンフレットが
販売禁止になるのは当然だろう


他にも多くの監督が訴えられている
声を発する勇気を出した人が居るからだ
本当に多いのは見ての通りだ


世の中
男性だけが悪いとは言わないが、
性犯罪はその大半が男性の力に依るもの


映画でそうしたい思いを吐き出すな!
と言いたい



追記

私は性犯罪者の額に赤い❌を付ける事に
賛成している

ICチップ埋込も賛成だ

それだけの事をしているのだ
もし改心しようと努力していても
消せない過去だと思う
それを背負って、❌を付けられても
強く生きてみな、と言いたい

生きられた人だけが、
真に受け入れられるだろう
ほぼ無理と思うが
心は正直だからだ


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