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四天王寺の古本市と食堂のおばちゃんの話
先日、四天王寺さんの古本市に行った。和綴じの古文書がたくさん積まれているのを見て驚いた。100年前、ひょっとしたら江戸時代の本が、無造作に売られているのである。印刷されたものの中には墨書きの市井の人々の記録もある。
実は大学の授業で古文書学を受けていた。農家の庄屋さんの年中行事・・・ 特に献立などの記録を読んだ。歴史においては重要ではないが、文字で書き記すことで100年後、200年後の人が、昔の人々の暮らしに、人生に、少しでも触れることができる。確かに存在した人の記録が、わずかだが後世に伝わる。
もう、何年過ぎただろう。
以前は会社の食堂に調理場が併設されていて、おかずは弁当箱に入れて運んでくるが、ご飯と味噌汁は、給食業者さんから派遣される方が、調理場で作ってくれていた。炊き立てのご飯と、季節の野菜の入ったお味噌汁を毎日いただけた。人は入れ替わったが、最後の1人で長く勤めてくれたのがナカモリさんだった。
ナカモリさんは来られた当初、味噌汁の濃さや味を熱心に研究していた。同じ階にあったお手洗いに上がると、味見してくれと何度も頼まれた。 残念ながら当時の上司は非常に厳しい人で、業務時間中に飲食をすることに恐怖を感じ、断ることも多かった。今も申し訳ない気持ちが残っている。
あの時試行錯誤をしてくれているからこそ、美味しい、ほっとする味噌汁を毎日いただけた。野菜も、業者が用意するものでは少ないので、ナカモリさんが足してくれていたというのは、後になって聞いた話だ。それだけ昼食を楽しめるように、心をくだいてくれた。
私は、いつも最後の方にいくので、時々ナカモリさんが声を掛けてくれる。「おこげ食べる?」
おこげの存在を知らず、変色しているという人がいたようだが、もちっとした食感で風味のあるおこげを、ナカモリさんは別によけていた。喜んで頂戴した。2人でおいしいのにねえ、と笑った。
ナカモリさんも歳を取り、確か70歳くらいまで勤めてくれたと思う。お辞めになった後は、ご飯や味噌汁が配達されるようなり、間もなく給食会社も倒産した。会社で調理されることはなくなり、昨年の夏には、調理場そのものもなくなった。
私はナカモリさんの最後の日に出張だったので、総務部に頼んで手紙を渡してもらった。数か月して私宛に1つの石鹸が届いた。東南アジアに旅行に行ったお土産で、ナマコ石鹸だった。 手紙のお礼と良いものだそうです、とメモが添えてあった。
なんのことはない、よくある話である。重要なことでもないし、何かの情報を与えたり、役に立つ話でもない。
それでも、ナカモリさんという人は、この世界に存在して立派に仕事をしたし、私はそれをありがたいと思って、いつまでも忘れないでいる。
ここに書くことで、ほんの少しでもナカモリさんのことと、私が、あるいは私たちが感謝していたことが残ると、私は嬉しい。