大阪が停滞している理由
こんにちは。松本佑介です。
いつも枚方市駅で旗を持って挨拶している
赤い服の人です。
皆さんは、大阪がなぜ停滞しているか
理由を考えたことはありますか???
・・・子どもが少ないから?
・・・それとも、政治家がダメだから?
どちらも正解かも知れません。
でも、もっと大きな理由があります。
それは・・・、
成長する理由がないからです。
それでは、一緒に見ていきましょう。
過去に大阪が成長してきた理由
実は、これまで大阪が成長したきたのには
すべて理由がありました。
大阪は何度も危機に見舞われるのですが、
そのたびに新しい成長のネタを生み出して、
力強く成長を続けてきました。
今回は、大阪が成長するには理由があった、
ということをお話ししたいと思います。
室町時代~安土桃山時代
まず初めに大阪が他の地域を
大きく引き離して発展した理由は、
都(京都・奈良)を後背地とする
貿易港の役割を担ったからです。
室町時代には日明貿易の中継地として栄え、
堺は「東洋のベニス(ヴェネツィア)」と
呼ばれるほど繁栄します。
この期間、大阪商人達は
どんどん富を蓄積していきます。
豪商と呼ばれる大商人の誕生です。
これが後々生きてきます。
江戸時代
徳川家康が天下を取ると、
日本の中心は江戸に移ります。
徳川家康は江戸を発展させるため、
積極的に商人を江戸に移住させました。
しかも、江戸時代には鎖国が始まり、
貿易港としての地位は、
長崎・出島に完全に移ってしまいます。
普通なら経済の中心は江戸に移るはずです。
が、そうはなりませんでした。
政治の中心は江戸に移ったが、
経済の中心は大阪に残った。
教科書でそう書いてあったのを
覚えている方もいらっしゃると思います。
では、なぜ経済の中心は大阪に残ったのか?
意外にも、そのあたりの理由は
スルーされていることが多いです。
でも、歴史から学び、
今をより良く変えていく
気づきを得るためには、
理由を考えることはとても重要です。
理由はいろいろあるかも知れませんが、
一つに年貢米の存在があります。
当時、人口の9割は農民で、
その農民たちは年貢(税金)を
米で納めていました。
大名をはじめとする侍たちの給料も、
年貢米をもとに、米で支給されていました。
当然、大名たちは
米を換金する必要があります。
日本中の米を換金する、
そこまでの財力を蓄えていたのは、
ほかならぬ大阪でした。
もちろん、米の換金が行われていたのは
大阪だけではありません。
大阪商人がすごいのはここからです。
全国の米取引の価格がバラバラで、
しかもそれぞれの業者の提示価格が、
結構テキトーだったことに目を付けます。
米取引の価格が
業者の気分次第で変わってしまうと、
米価が安定しません。
つまり、大名たちの収入が安定しません。
そこで大阪商人は、幕府(政府)に
大阪で米取引の価格を
一元管理することを提案し、
政府はこれに乗っかります。
堂島米会所の誕生です。
大名たちは安心して米を取引できる大阪に
自分たちの米を保管する蔵屋敷を構えます。
そして、せっかく構えた蔵屋敷には、
米だけでなく、様々な物資をため込みます。
こうして、大阪に全国から様々な物資が集まり、
大阪は天下の台所と称されるほどの、
商業と物流の中心になりました。
ここまで来ると、大阪の一人勝ちです。
日本中の物流の問屋業、運送業、
そして蔵屋敷を通じた大名への金融業、
大阪ではあらゆる商売が発達しました。
その様子は、
天下の貨の七分(7割)は浪華(大阪)にあり
と言われるほどだったと言います。
ところで、
余談ですが、大阪で米市場を始めた
商人の名前は「淀屋」と言います。
そして、淀屋が架けた橋が「淀屋橋」です。
明治~大正~昭和初期
明治時代には、
江戸時代以上の激動が大阪を襲います。
明治維新です。
明治維新で大阪は壊滅的な被害を受けます。
維新政府は、新政府による改革のために、
大阪の町も負担を負うべしと、
莫大な御用金の提供を命じます。
さらに、維新政府の「銀目停止」が、
大阪経済に追い打ちをかけます。
西日本の貨幣は銀が中心だったため、
維新政府の予想に反して、
大阪経済は大混乱に陥ります。
その結果、大阪の繁栄を支えていた
両替商の多くが瞬く間に倒産しました。
極めつけは蔵屋敷の廃止と借金帳消しです。
蔵屋敷の廃止により、
大阪に入ってくる物資が激減し、
大阪は天下の台所としての地位を
完全に失います。
また、維新政府は、
自分たちの権限強化を進めるため、
大名たちの支持を得ようと、
大名たちの借金を肩代わりします。
しかし、肩代わりした後、
維新政府に借金返済のめどはありません。
維新政府はどうしたか。
借金帳消しです。
大名への貸付を行っていたのは、
大阪商人たちです。
大阪商人たちは、
これによって決定的な打撃を受け、
商都としての大阪は、
ここで終わることになりました。
維新政府、おそるべし・・・。
しかし、大阪はやっぱり凄かった。
商業がダメなら、工業で回復します。
当時、産業革命を成し遂げたイギリスから
安くて品質の整った綿織物が大量に輸入され、
国内の綿織物業界は
大量に倒産に追い込まれていました。
維新政府は、産業革命をマネしようと、
全国に綿織物工場を次々に建設しますが、
その多くは失敗に終わっています。
理由は、ケチったからです。
それっぽいものは出来上がるのですが、
実際には、規模が小さすぎて、
十分に利益を出すレベルにまでは
育ちませんでした。
しかし、大阪は違います。
大阪で主役になったのは、
維新政府ではなく、実業家たちです。
実業家たちは、
初期投資をケチりませんでした。
維新政府の5倍大きな工場を設立し、
運営方法も知恵を絞ります。
その結果、高利益を実現。
さらには高配当を続けることで、
投資家からの出資も継続させ、
その後の継続投資も可能にしました。
何事も中途半端はダメ。
成長したいなら、
ケチってはいけないということです。
大阪は、紡績業の成功により、
繊維商社をはじめとする各種業種も繁栄し、
東洋のマンチェスターや、
大大阪時代と呼ばれる時代に突入します。
当時は、人口も生産額も、
大阪が日本一でした。
戦後
これまで何度も
危機を乗り越えてきた大阪ですが、
ついに、現在でもまだ解決してできていない
最大の危機に直面します。
東京一極集中です。
戦後、焼け野原になった
日本をいち早く再生しようと、
政府は日本中の成長エネルギーを
東京に集中します。
すなわち、日本中の主だった企業を
東京に移転させます。
江戸時代に徳川家康がやったことを
もっと大規模にやるわけです。
当時は日本各地に地域出身の大企業があり、
その大企業が地域経済を支えていました。
その大企業を根こそぎ東京に移転させ、
東京を回復させるのです。
その間、残念ながら大阪は、
米取引や綿工業のような
新しい成長ドライバーを見つけることが
できていません。
その結果、現在の大阪が
どのような状況になっているかは、
皆さんもよくご存じのことだと思います。
六大都市の人口変化
ここで、六大都市の人口変化を
みていきたいと思います。
過去のデータにも学びがあります。
数字が苦手な方にも
文章で説明していきますので、
もう少しお付き合いください。
1920年
・東京 (全国1位:217万人)
・大阪 (全国2位:125万人)
・神戸 (全国3位:60万人)
・京都 (全国4位:59万人)
・名古屋(全国5位:42万人)
・横浜 (全国6位:42万人)
まずは1920年です。
この時点で既に東京は1位です。
ですが、
まだまだ大阪の1.7倍程度の人口です。
一方、大阪と神戸・京都との
地理的連続性を考えると、
関西が日本でも相当のプレゼンスが
あったことが理解できると思います。
ちなみに、
この頃の千葉・埼玉はまだまだです。
ところが、
1970年
・東京 (全国1位:884万人)
・大阪 (全国2位:298万人)
・横浜 (全国3位:223万人)
・名古屋(全国4位:203万人)
・京都 (全国5位:141万人)
・神戸 (全国6位:128万人)
東京の伸びに、
関西がついていけなくなります。
そして、横浜が急成長しています。
横浜は東京の貿易港であると同時に、
東京の近郊都市でもあります。
東京一極集中によって、
東京は、東京の近郊都市も
急成長させるぐらいの
力を得ている訳です。
千葉・埼玉もこれ以降、
どんどん成長していきます。
2020年
・東京 (全国1位:973万人)
・横浜 (全国2位:377万人)
・大阪 (全国3位:275万人)
・名古屋(全国4位:233万人)
・神戸 (全国8位:152万人)
・京都 (全国9位:146万人)
ついに、横浜が大阪を追い抜きます。
しかも、大阪は人口が減少。
神戸・京都は、六大都市から陥落です。
もはや、京阪神を足しても、
東京・横浜の半分以下です。
ところで、
名古屋が頑張っていることに
皆さん、気づきましたでしょうか?
名古屋は東京の5分の1程度ですが、
その割合を落とさず、
ずっと食らいついています。
理由は、皆さんご存じトヨタですね。
日本経済の中心は、
完全に東京に集約されてしまいましたが、
トヨタの自動車産業は、
日本を代表する一大産業に成長し、
東京に移転せず地元に残りました。
かつて、大阪が綿工業で成長したのと
同じことをトヨタは行っていた訳です。
まとめ
如何でしょうか?
大阪が成長していない理由が、
成長する理由がないからということが、
ご理解いただけましたでしょうか。
私たちが生まれた頃、
既に大阪は大都市だったので
気づきにくいですが、
実は大阪は、過去に何度も
衰退の危機に見舞われながらも、
新たな成長ドライバーをみつけて
成長を続けてきました。
事実、人口減少・東京一極集中の状況でも
成長している都市があります。
大阪が成長しない理由を
東京のせいにするだけでは
進展がありません。
大阪の先人たちがそうしてきたように、
私たちも今の大阪を成長させる
あらたな仕組みを作ろうではありませんか。
松本 佑介 @ 枚方を動かす新しいチカラ
最後まで読んでいただいて
ありがとうございます。
次に書く記事に生かしますので、
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