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因島が湧いた2日間。今でも僕が大切にしている言葉。

2005年のあの日のことを、15年が経った今でも僕は決して忘れることができません。

地元因島の大スター・ポルノグラフィティが因島に帰って来た日。

初めて見たロックバンドのライブ。

先輩たちの姿。


その年、因島市が尾道市に吸収合併することになりました。

中学生ながらに僕は「ああ、因島市は本土の市と合併するのか。住所からも因島が消えてしまうのかな」そんな寂しさを抱きながらも、まあ人口も減っているし仕方ないのかなと思っていました。

そんな時、ある授業終わりのホームルーム。

先生が「ポルノが因島でライブをしてくれるらしい!行けるのは君ら島の子供達だけです。今から出欠の用紙を配るので記入してください。」

ポルノの存在はもちろん知っていました。ただ、有名曲しか知らなければ、ロックバンドのライブにも行った事がない、ましてや生で彼らの姿を見たこともない。

いったいなぜ、ポルノが因島でライブをするのだろう?僕は当時とても不思議に思っていました。と同時にロックバンドのライブにいける、そのことにワクワクもしていました。

その用紙に記入してからライブまでがどのくらい期間があったのか、はっきりとは覚えていません。ただ、放課後に「愛が呼ぶほうへ」を練習していたことはぼんやりと覚えています。


いざ当日。

ポルノってどんな人たちなんだろう、ライブってどんななんだろう、色んな感情がわいていたし、他校の生徒たちも集まる因島市民会館は異様な雰囲気に包まれていました。

白いモヤがかかる会場、サウンドチェックで鳴り響くとてつもなく大きい楽器音。
ロックバンドのライブ会場は、こんなにも迫力があるものなのか。


そして、始まったライブ。

ライトに照らされたポルノグラフィティの二人。

大きな音。

知っている曲、「アポロ」。

一体何曲を演奏してくれたんだろう。(小学生の回では、暗闇と大きな音に興奮して鼻血を出す子供が多く、大変だったそう)

ただその時、「これが僕らの先輩なんだ!因島からこんなにかっこいいバンドが出たんだ!」そう思ったような気がします。

ポルノグラフィティと一緒に歌った「愛が呼ぶほうへ」。
こんなにも温かい、心が動いた空間にいれたこと、本当に幸せでした。


その日、昭仁さん、晴一さんが伝えてくれたこと、今でも僕の背中を押してくれる言葉があります。


「正直今日、みんなに何を伝えたらいいのか迷っとった。でもね、ふと図書館のとこからの景色を見たとき、わしは何を悩んどったんじゃと思ったわ。これをみんなに伝えればよかったんじゃって思うことが一つある。因島にはね、素晴らしい景色がたくさんある。そりゃ都会にはおしゃれな洋服屋さんも遊ぶとこも、ゲームセンターだってたくさんあるよ。でも都会にはなくて、ここ因島にしかないものがたくさんある。そりゃあ、みんなは今は何もないところじゃなって思うかもしれん。でもみんなが大きくなってこの島を出て行った時、この因島で育った事が自信になって、辛い時、みんなを突き動かしてくれるけぇ!みんなの心の中に因島が素晴らしいもんを残してくれとる。それはね、わしが保証する!因島は、素晴らしいところです。」/昭仁さん


「俺らもまだ夢の途中だし、みんなにも夢があって、まだその途中だし。たまたま俺らの方が先に生まれて、今は舞台のこっち側に立っとるけど、そこに違いなんかなくて。この因島で育ったこと、俺らの出発点はいつもここなんだってことを共通事項にして、これからも、みんなで頑張っていきましょう。」/晴一さん


こんな言葉をまだまだ何も外の世界を知らない僕たちに投げかけてくれました。

あれほど人気があるアーティストが地元因島で無料ライブ。今になって思えば、よくこんな事が実現したなと思います。ポルノグラフィティが、島の子供達にそこまでして伝えたかった事。僕だけではなく、今では20歳を超えた当時の子供達は、きっと記憶のどこかにこの日のことが刻み込まれているのではないでしょうか。

僕の心の中にはいつもポルノグラフィティという偉大な先輩方の言葉があります。

誠実で、謙虚で、温かくて、大らかで。
いつまでも変わらないポルノの姿を見て、学ぶことが沢山あります。


昭仁さんがライブ中、何度も言っていた言葉。

「恥ずかしがっちゃいけんで!思い切ってやらんといけんで!」

それは、田舎の島で育ったからとかそんなことは関係なく、誰だって思い切ってやれば夢だって叶えることができる。因島の子供たち頑張れ。

そういう想いがあったのではと今では思います。



育ててくれた因島、ポルノグラフィティに恩返しできるのは今しかないと思っています。


きっと僕の心の中に因島やポルノグラフィティがいる限り、

これからも「愛が呼ぶほうへ」、自然体のまま、導かれるままに進んでいけると思います。


先輩方が伝えてくれた通り、因島の外にいた時だって、いま因島にいるときだって、その言葉、そして因島で育ったという事がいつも僕の自信になっています。


昭仁さん、晴一さん、ありがとう。



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