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「男はあちこちに種をバラまきたい」説は【本能】ではなく【洗脳】


「男が浮気するのは本能」という主張への違和感

 昭和の頃から令和の今に至るまで、どこかで男性の浮気話が取り上げられるたびに、誰かが決まって言い出すのが、「男は本能的に浮気する生き物だから」という〝まとめ発言〟である。

 私はこうした主張を耳にするたびに、それは【本能】とは違うんじゃないの?という、強い違和感を覚え続けてきた。

 そして、それは単なる私の気持ちの問題だけでなく、現実に「自分は浮気などできないし、したいとも思わない」という男性たちの声を、あちこちで聞いてきたからでもある。

 しかし、浮気=本能論者である側の男性たちの言い分は、「実際にまだ浮気していない男は、『そんな事をしてはいけない』と理性で抑えているだけだ。だけど、男は体の仕組みからして、『タネをあちこちにバラまきたい本能』があるんだよ」と続くのである。

 なるほど、確かに男性は情事の場面で、1回の射精につき数億個といわれる精子たちを放出する。そして、その精子たちは、本人が生きている限り、日々新たに精巣内で数千万個単位で作られ続けている。そこで、それを子孫繁栄のために、チャンスさえあればどこでも放出したい衝動があるのが「男の性(さが)」だと言いたいのだろう。

 だから、イスラム教諸国では認められているように、「一夫多妻」こそが男の本能に合っている、日本でも昔は正妻の他に「妾(めかけ)」「側室」を持つことが認められていたのだから、再び認めるべきだと言って、「婚姻制度の欠陥」にまで話が及ぶことが多いのだが、ちょっと待ってほしい。

 これまで男性の【本能】だと主張されてきたことの中には、男性がそうすることを奨励する社会システム上の都合に従って、それが当たり前だと思わせる価値観の操作(洗脳)が行われてきたこと────つまり、過去の時代に刷り込まれてきた「ジェンダー(性別役割意識)の問題」が、かなり入り混じっているのではないかと感じるのだ。だから、そこは生き物としての【本能】の問題とは、切り離して考えてみる必要がある。

「家を継ぐのは女性」が人類のデフォルトだった⁉

 そもそも人の世に結婚制度が成立した出発点は、その家ごとの財産を管理して、次の世代に引き継ぐためという意味がこめられていた。

 意外に思われる人の方が多いと思うが、そんな人間社会の原点の時代には、家の財産というものは母から娘へと引き継がれる「母系継承」が標準的だったというのをご存知だろうか?

 なぜなら、生まれた子供の親が誰なのか間違いなくわかるのは、自分のお腹から産み落とせる母親だけと言えるから。となれば、そうなるのはごく自然な成り行きだったと思えるだろう。

 例えば、歴史の教科書には書かれていない事実として、かのエジプト文明の王国に君臨する強者のイメージがある「ファラオ」でさえも、元々は女性がその座に就く役割だったことをご存知だろうか?
 実はエジプトに限らず、世界の王国のデフォルトは「女王制」だったのである。つまり、一般家庭だろうと王家だろうと、「女性が継ぐ」というお約束は同じだったのだ。
 そこには「母から娘への血筋の継承」という意味に加えて、女性ならではの、自然界からのメッセージを受け取るのが得意な【巫女】的能力が、「家の主」として必要だったという意味もあった。

 このあたりは日本史でも、霊能力で国を治めた「邪馬台国の女王・卑弥呼」として、かろうじて記録が残っているのは、学校でも教わった通り。
 おそらく邪馬台国が特別だったわけではなく、もっと時代を遡れば、国や村の実質的な長(おさ)は、女性が務めるのが当たり前だったのではないかと考えられるのだ。

 一方で男たちは、祖母―母―娘へと受け継がれる、女たちが守る家の中に喜んで迎えられ、家を管理する重責を負わされることなく、身軽で腕力のある働き手として女たちを支え、感謝されていたことだろう。

 面白いことに、母系制だった頃の社会では、戦争らしきものが起こった形跡がないという、世界共通の法則がある。〝長く平和が続いた豊かな文明〟というのは、日本の縄文時代だけの専売特許ではないのだ。

 そんな平和的な社会が成り立つ土台として、それぞれの家庭内が「男女円満」に回っていたのではないかと想像できる。その頃の社会は、人々が丸い輪になって、対等な立場で協調し合う【女性原理】の仕組みで動いていたのである。

 複数の妻が認められた本当の理由

 その円満で協調的な社会が、まるで対照的な性質の【男性原理】で動く社会へと反転を始めたのが、西洋・中近東では紀元前8千年頃から、日本では縄文から弥生へと切り替わる2千数百年前頃からということになる。

 男性原理というのは、他者と争って力の優劣を競い、上下関係を明確に決める性質を持っている。そのため、より強い者が、その他大勢を支配する「ピラミッド型」の仕組みが作られていく。

 一部の民族が始めた、重たい武器を操って戦争を仕掛け、国の領土を拡大するというやり方に対抗するために、腕力の強い男性が王として上に立ち、女子供は男性の下に従うのが〝世界の当たり前〟に塗り替わっていった。

 かくしてそれぞれの家の財産も、一家の主となった父から息子へと引き継がれる「父系継承」に切り替わったわけだが、ただこの制度には困った点が一つあった。それは、男性にとって、妻の産んだ子が本当に自分の血を受け継ぐ子供なのかどうか、特定できないというところ。

 そこで、父系制社会での結婚制度は、妻が勝手にヨソの男の子供を宿すことがないよう、女性にだけ貞操が求められるようになった。それに対して男性は、確実に跡継ぎを得るために、妻がなかなか妊娠しなければ、新たな妻を持つこともよしとされたのだ。

 さらに、大きな財産を持つ権力者であれば、より多くの跡継ぎや働き手を得るための保険のように、複数の妻を囲い込むのが当たり前のようになっていった。

 例えば日本では、皇室や殿様などの上流階級では、「正室」の他に「側室」が用意されていたし、帝国時代の中国の王宮には、皇后のほかに数十人から、多い時代では数百人ものお妃となる女性が召し上げられていたという。

 確かにこういうシチュエーションには、「タネをあちこちに…」という表現は合っているとも言えるけれど、それは家の事情に従ったものであって、【本能】ではない。

「一夫多妻制」と「一妻多夫制」が必要とされた本当の事情とは?

 世間では、現在の世界的な主流である「一夫一婦制」と比較するものとしては、「一夫多妻制」の話が取り上げられることがほとんどだけれど、実はその逆の「一妻多夫制」というものも、遥かな昔から世界各地に存在していて、今なお続いている地域もあることをご存知だろうか?

 つまり、1人で複数の異性と結婚する選択肢は、男性だけのものではない。

 要は、結婚制度の種類というものは、その社会の「人口バランス」「生活スタイルの都合」で決まるのだと言える。

 例えば、はじめに引き合いに出した「イスラム教徒の男性は、妻を4人まで持てる」という規定は、そもそも遥か昔の7世紀、イスラム教徒とキリスト教徒が戦い続けた「ジハード(聖戦)」の時代に、大勢の男たちが戦死した結果、大勢の未亡人が発生したからだ。つまり、「財力的に余裕がある男は、より多くの女たちの生活の面倒を見なさい」という、福祉政策的な意味から生まれたものだったのだ。そのため、複数の妻を持つことが認められる条件として、「全員に平等に接すること」という定めがついてくる。

 一方の「一妻多夫制」が生まれた背景もこれの裏返しで、昔から人口バランス的に女が少なくて男が余ってしまう地域で、住民みんながうまく生活できるための仕組みとして行われてきた。

 例えば、20世紀まで一妻多夫制が営まれていた、北インドのラダック地方では、1人の女性が、ある家の兄弟全員とまとめて結婚するという習慣が続いていた。何しろ夫同士が元々兄弟なので、家族として円満にまとまりやすかったという。

 また、今も一夫多妻もしくは一妻多夫の「複婚」が認められているブータンの場合、1人の妻に対して、子育てをする夫、地元で働く夫、行商に出て稼いでくる夫など、役割分担しながら3人がかりで一家の妻子の生活を支えるという仕組みが、うまく回っていたりする。

 なるほど、こうすると男性1人で妻子を養うのが難しい地域でも、負担を分散しながら、自分の得意な役割を受け持つことで、妻子が持てるというわけだ。

 このように、夫同士、妻同士が独占欲を持たず、「全員で一つの家族」という価値観を共有できれば、どちらも成り立つのだということがわかる。

 さて、では話をはじめに戻して、「複数の異性と関係したくなる」ことが「男性の本能」なのかどうか?ということを問い直してみたい。

 私の友人でイスラム教徒であるバングラデシュ人と国際結婚した女性がいるのだが、体調の悪い時期が続いた折に、夜のお相手役から引退したいと思って、「もう1人妻を持ってもらえないか」と本気でお願いしたことがあるそうだ。
 すると、夫はこう答えたのだ。

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