見出し画像

私は下品な赤白帽【中村うさぎエッセイ塾課題】

****
以下は、中村うさぎエッセイ塾の「テーマ:自分を何かに例えるなら、〇〇だ」という課題で提出した、2000字程度の軽いエッセイです。
****

小学校の運動会で、なくてはならないものがある。それは、赤白帽だ。
これがなくては、赤組と白組に分かれて対決することができない。
赤白帽はその名のとおり、片面が赤、もう片面が白になっていて、引っくり返せば対極の所属を表すことができる。
ただ、赤を表にしていても、帽子のつばの裏や布の境目から、白がちらちらと覗いている。

私は、そんな赤白帽である。

真っ白な“素の私”を裏面に隠し、それと真逆の性質の“好かれる私”を表面に搭載しながらも、素の私に気がついてほしいと、裏面をちらちらと覗かせては人を試している。
そんな下品な赤白帽だ。

私は小学校を卒業するまで、母を始め身近な人に嫌われまくっていた。
我が強くて、破天荒で、傍若無人だったからだ。
世界の中に自分がいるという認識がなく、自分こそが世界のすべてだった。
主人公を操作するタイプのRPGのような認識である。
自分が動けば世界が回り、その中で出会う他者は、すべてただのモブキャラ。
当時の私には、そのモブキャラにも自我があり、それぞれが主役として同じ世界を生きているという理解がなかった。
そのため、自分の行動で他者がどう思うかとか、他者にどんな迷惑がかかるとか、一切考えることができなかった。

だから、嫌われた。
自分がしたいことについて、周囲の人の気持ちを想像することができれば解決しただろうが、私にはどうしてもそれができず、
「素の私でいると人から嫌われる」という理解の仕方をした。
だから、“好かれる私”というものを後付けで獲得しようとした。

この“好かれる私”の獲得は、壮絶だった。
なんせ人の気持ちが想像できないので、事前のシミュレーションができないからである。
中学生になって、漫画のキャラクターや映画の登場人物を参考にしながら、いろんな人格を宿しては友達を作ろうとした。
おっとりキャラを目指してみたり、全部にツッコむ芸人を目指してみたり、姉御肌を目指してみたり…。
試しては嫌われ、また別のを試しては引かれ、と、その度に心が傷ついて血塗れになりながらも試行錯誤を繰り返すうちに、「ノリが良くて面白くてお馬鹿な、いじられキャラ」が男女両方からのウケがいいということを発見した。
そうしてなんとか“好かれる道化の私”を獲得したころには、両面真っ白だったはずの私の帽子は、表面が血染めで真っ赤になっていた。

この真っ赤な帽子は、人付き合いを驚くほど楽にしてくれた。
しかしそれと同時に、偽りの自分のみで社会を生きることは、しんどかった。
本来、友達とは素の自分を見せられる相手を指すからである。
素の私、帽子の白い面を隠して、全く別の性格として仲良くなった人と日々を過ごすことは、毎日がお芝居のようで心が常に疲弊した。

そんな中で、やはり無意識に「“素の私”を知ってもらいたい」という欲が出た。
そのため、私は赤い帽子をかぶりながらも、わざと白い面をちらちらと覗かせるようになった。
豪快な女傑を演じるなかで、繊細な素の自分を覗かせ、おひとり様を愛好する女性を演じるなかで、孤独に喘ぐ自分を覗かせる、といったように。
そして、相手がそれに気がつくかを試した。
作り込んだ私ではなく、本当の私を好いてほしかったのだ。
相手に好かれたくて、自分で隠している面なのに。
ずいぶんと下品な女である。
しかし白い面に気がついてくれる人は、1割にも満たなかった。
自分の演技が上手いことに喜ぶべきなのか、本質を見抜けないような人としか仲良くなれないことを憂うべきなのか。
私は、人が私の“好かれる道化の私”にホイホイ釣られると、「素の私は真逆なのに、まんまと騙されやがって、愚かな人ね」と見下し、かつ「私は、私の思い通り人に好かれることができる」と悦に入るようになった。

思春期前に獲得したこの赤い帽子は、意外なところで弊害を生んだ。
恋愛である。
好かれたい相手に、好かれそうな性格で近寄っていき、まんまと釣れたとしても、そのときの私の心の動きは「騙されやがって、ばーーか」がまず先に来てしまうのだ。
好かれたかったはずなのに!
そうすると、相手の好意を素直に受け入れたり、自分の好意を素直に表に出したり、とにかく素直になることができない。
結果、相手に「思わせぶりな態度だったのか」とか、「思ってた人と違うな」とか思わせてしまい、せっかくのチャンスを不意にしてしまうのだった。
なんとかこの「騙されやがって」を飲み込んでお付き合いに発展させたとしても、相手が見ているのは赤い帽子の自分だ、すぐに演じ続けるのが苦しくなって別れてしまった。

今後の課題は、赤い帽子を引っくり返して白い素の面を見せられるようになることだと、成人してからずっと思っている。
だが、なかなか上手くいかない。
何しろ血染めの赤である、おいそれと脱ぐわけにはいかないと、心が非常に強い防御反応を見せるからだ。
いつか、本来の赤白帽のように、赤白自在にかぶり分けることができるようになるだろうか。
だが、孔子でさえ「七十にして、己の欲する所に従えども矩のりを踰こえず(七〇歳になってからは、心の欲するままに行動しても道徳の規準をはずれるようなことがない)」と言っている。
孔子ですら70歳、私いま27歳。
今すぐに白い面を完全に表にして生きると、また人に迷惑を掛けて嫌われてしまうかもしれない。

それでも、27歳の今、20歳の頃よりずいぶんと赤い帽子が色褪せてきた。
ちらちらと見せていた白い素の面を受け入れてくれる人が少しずつ増え、その人達に心洗われてきたからである。
もしかすると私が目指すべきところは、小学校卒業間近の赤白帽のように、赤い面が経年劣化で白っぽくなってきた状態なのかもしれない。
そんな日を目指して、私は今日も赤い帽子から白い裏地をちらちらと見せ続けるのである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?