「返校 言葉が消えた日」感想メモ

70点くらい。

ちょっと評価に困る作品である。決してつまらなくはない。そもそもが白色テロ時代という歴史の暗部をホラーゲームの文脈に落とし込んだ原作の時点で、もう「勝ち」だったわけだから、そこから期待されるくらいのポテンシャルはある。しかし、単品の映画作品として見ると若干の物足りなさもあり、それが全体的な評価を難しくしている。

・エドワード・ヤンっぽい画面作りは好みだが、そこに挟まれるサイコスリラー的な演出(なんかチカチカして画面がぐるぐる回る)だったり、ジャンプスケアを多用するベタなホラー演出だったりが、何とも言えないチグハグさを生んでいる。(これはこれで好きだが)

・あまりにも説明的すぎる。映画の冒頭が真夜中の学校ではなく、拷問を受けている学生の視点から始まる上に、このあとの展開が「悪夢」であるとはっきりセリフで説明してしまっている。そのため、「目が覚めると誰もいない真夜中の学校だった」というホラーとしてのシチュエーションが全く機能しない。要所要所で挟まれる回想パートの完成度は高いが、はっきり言ってこれだけで物語が成立してしまうので、ホラーパートが完全に蛇足になってしまっている。外的なフラッシュバックで説明を済ませるのではなく、自分の手で少しずつ真相に近づいていく感覚が欲しかった。

・回想パートは良い。特にファン・レイシンのパート。ノートに走り書きした鍵盤で連弾するシーンがエモすぎる。エヴァQを超えた……。

・映画館のシーンもベタだけど好き。なんとなく今敏っぽい。

・ホラーパートもヴィジュアルはよかった。しかし美術に頼りすぎで演出が弱い気もする。アトラクション的。

・少女が死んで少年が生き残る結末は、ホラー的には結構新鮮かもしれない。(そもそもファンは最初から死んでるので、当然の結末ではあるが)

 しかし、「返校」という作品が優れている一番の点は、登場人物たちの「罪悪感」を物語の中心に据えている点だろう。真夜中の校舎を彷徨うファン・レイシンとウェイ・チョンティンは、二人とも(ファンは直接的、ウェイは間接的に)密告者である。友人たちを死に追いやったという罪の意識が、両者を規定している。独裁政権に支配され、単に自由を奪われたというだけでなく、自由を奪う側に加担し、私欲にためにそれを利用してしまったという罪。自分が利用される側であると同時に利用する側でもあったという側面をきちんと描いている点が、この作品をタフなものにしている。ほんの小さな、それ自体は無垢極まりない欲望が、信じられないほど悲惨な結末に結びつくことこそ悲劇の本質であり、時代とは悲劇を生産する舞台装置なのだ。

 「自由が罪になる時代」という本作のキャッチコピーには、だから二つの意味がある。一つはもちろん、「自由を求める思想が反体制的であるとして罪になる」という意味だ。もう一つは、抑圧的な体制下でも人々は小さな自由を求めて日々を生きるものであり、その結果としていつの間にか「密告者」という罪人になってしまうという意味である。誰もが密告されうる社会とは、誰もが密告しうる社会でもあるということ。そうした社会では、人は罪を犯すことでしか自由になれない。あまりにも容易く「人殺し」になれてしまうという、その恐怖をホラーという文脈で描いた点に、本作の大きな価値があると思う。

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