「スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム」を見て鬱になった(ネタバレあり)

 トム・ホランドが「スパイダーマン」になってしまった……。

 「ブラックウィドウ」があまりにも酷い出来だったので、もうマーベル作品は見なくていいかなと思っていたのだけど、流石にトムホ版スパイダーマンの最終回(新三部作があるかもという噂だが、それはそれ)は見ないとなあと思い、ちゃんとIMAXで見てきたわけですが、見事に鬱になりました。見なきゃ良かった。もう何も信じられません。

 つまらなくはね、なかったんですよ。サム・ライミ版を中学生の時に見て夢中になっていた人間なので、「この展開、スパイダーバースでも見たな…」と思いつつも、トビー・マグワイアが画面に出てくるとテンションが上がるよね。ドック・オクも良かった。やっぱり四本アームはかっこいい。正直お祭り映画なのでシナリオはめちゃくちゃだし、一番派手なアクションシーンがストレンジとの内輪揉めなのはマーベルの悪いところが出てると思う。ただ、本作は「スパイダーマン」という作品の呪いを解く物語でもあり、そこにはグッときました。それだけに、ラストがね……。ストレンジの魔法で世界中がピーターの存在を忘れてしまい、誰の記憶からも消えた彼がNobodyとしての新しい生活を初めて終わり。ああ、トム・ホランドが「スパイダーマン」になってしまった……。

 この結末には、いくつかの文脈があるんでしょう。(一番は新シリーズを始めるにあたって、トム・ホランド以外との契約を切るためという大人の事情かもしれないけど…)。やっぱりすごくアメリカ的な話だと思うのですね。ハイスクールでの人間関係が卒業と同時にリセットされて、そこから新しい人生が始まるという感覚。ジョン・グリーンの「ペーパータウン」とかを想起しながら書いてるわけですが。(「ブック・スマート」とかだとその辺が今風に相対化されてましたね)。トムホ版スパイダーマンはハイスクール映画としての側面が強かったので、そこからの「巣立ち」が描かれたという意味では、まあ伝統というかクラシックな終わり方だなあと思いました。

 あとやっぱり、孤独あってのスパイダーマンみたいな部分というか。アメコミにそこまで詳しいわけじゃないので、これは適当な感想なんですが。孤独に酔ってるというか、ハードボイルドに粋がってる感じ。「みんなはぼくのことを知らないけど、ぼくはみんなのことを知ってるよ」という窃視者的な快感とか、「本当は孤独で寂しいけど頑張ります」みたいな強がりが身についてる感じ。ザ・都市生活者という感性ですね。(今回やってきた二人とか、スパイダーバースの中年ピーターとか、まさしくそういう感じだったし)。そういうハードボイルド的なかっこよさは確かにあるのだけど、正直ちょっと時代遅れに感じる部分もあるし、何よりそういう捻れたマッチョさみたいなものを男性ヒーローに背負わせるのはそろそろやめたら?と思ったりもしていたわけです。

 その意味ではスパイダーバースも、今回のノー・ウェイ・ホームも、孤独に対する治療薬のような作品ではあって。同じ孤独を抱える者同士が連帯するお話なわけですね。その辺がいかにも現代的でアップデート(この言い方は好きじゃないけど)された部分だなと感じたり。

 で、トムホ版スパイダーマンなんですが。1作目から割と「孤独」要素が排除されていたなと思っていて。主にネッドの存在が大きかったし、何よりアベンジャーズというチームに参加していたことで、仲間も多かった。みんなから可愛がられてましたね。この三部作がチーム、あるいは「ホーム」の話なんだというのは、NWHの中でも他の二人との違いとして言及されてました。そこが「ホーム」シリーズの一番の魅力だったと思います。魅力だったのです……。全部無くなっちゃいましたが。(でもやっぱり、この「ノー・ウェイ・ホーム」的な感覚がアメリカなのかなあ)。

 だから、見終わった後に思ったわけです。「あーあ、スパイダーマンになっちゃった」と。本作が歪んでいるのは、これまでの「スパイダーマン」シリーズの呪いを解く話である一方で、主人公のピーターが「スパイダーマン」の呪いを新たに引き受ける話でもあること、だと思います。それは自身と似たような境遇であるヴィランたちを「治療」する(改心ではない)一方で、ピーター自身は「大いなる力と大いなる責任」を引き受けることの居心地の悪さにも繋がるものです。

 ちなみに、MJ役のゼンデイヤはこの結末に納得がいっていないようで、悲しい終わり方だと言っています。そりゃそうだ、という感じですが。MJとネッドからすれば、自分たちのかけがえのない一部を失ったまま終わりを迎えたわけで、こんなに悲しいことはないですね。はっきり言って、これはとても自己愛的なエンディングです。MJとの恋愛も、ネッドとの友情も、どちらも双方が所有すべき大切な思い出なのに、最終的にはピーターが全て自分だけのものにしてしまいます。ピーターが二人に声をかけることをやめたのは、「自分抜き」の二人が幸せそうに見えたから、或いはMJの絆創膏を見て、彼女を再び傷つけてしまうことを恐れたからなのでしょう。それはわかるのですが、「相手のためを思って自分一人で決断する」というのは、結局エゴイズムの裏返しです。

 もちろん、自己愛的な作品が悪いということではなく、実際「ノー・ウェイ・ホーム」も大変好評なようなので、それはいいんですが。ただ、自分としてはこの三部作に違ったものを求めていたので、ひどく落胆してしまいました。自己愛なら自己愛って先に言ってくれよ!期待しなければ落胆もしない、というのはMJの座右の銘でしたが、まさにそんな感じですな……。

いいなと思ったら応援しよう!