ツールド沖縄2023市民200km 16位
今年も懲りずにエントリーしたツールド沖縄。
昨年は不本意な15位というリザルトに落胆したが色々な失敗も重なったのもあり、もう一踏ん張りしようかと挑戦することに。
年齢的に44歳となり体力や筋力の衰えは否めず、年々レベルが上がり数多くの若手選手が台頭する中でおじさんがどこまで戦えるのかという挑戦でもある。
と言いつつ今年はトライアスロンを10月1日までやっていたため実質的な仕上げは1ヶ月半の突貫工事で仕上げたような感覚。加えて10月に人事異動があり職場が変わったことで、仕事のキャッチアップ、環境や生活リズムの変化に色々苦労した1ヶ月半でもあった。
昨年より強いかと聞かれたら間違いなく弱い。4、5年前と比べたらパワーレベルは5%以上低いのが現実的なところ。特に1分以内の短時間の低下が著しい。
直前の練習会でも若者達の強さの前に全く歯が立たない現実を毎週受け止めていた。
しかしロードレースはパワーゲームではないので展開と体調次第でなんとかなる要素はあると信じて沖縄へ。
前日まで
おじさんは回復力が弱いため火曜日に一度ローラーで高強度を入れた以外は水曜から流し。
前日土曜日もたまたま同宿だった岡山の中村さんと1時間ほど平地をL3上限で走る感じ。
前日の朝はおにぎりとおはぎ。昼と夜にパスタを150gずつ湯掻いて、昼はオリーブオイル鯖缶とゆで卵、夜はオリーブオイルバジルソースとゆで卵で食べた。追加で寝る前にハチミツヨーグルトとりんごを食べておく。
夜は早々に準備済ませて20時30分にベッドに入ったものの、なかなか寝つけず結局寝ついたのは23時過ぎくらい。
機材
フレームTREK EMONDA SLR7
ホイール IT LAB 55mm沖縄用スペシャル特注ホイール(重量前後で1275g)
コンポ シマノデュラエース9150
クランク シマノ9100 パイオニアPM
ハンドル SPECIALIZED RAPIDE
ペダル LOOK KEO チタン 実測185g
チェーン モルテンワックス加工デュラエース
シューズ シマノRC9
ヘルメット OGK R2バイザー付
ジャージ SUNVOLTセパレートワンピ
グローブ SUNVOLTエアログローブ
ソックス SUNVOLTエアロソックス
サイコン GARMIN FENIX7
バイクは規定重量通り6.8kgの完璧な仕上がり。
12速も保有しているが、敢えて11速にしたのはブラケット握りやすさを重視したため。
ジャージはSUNVOLTのセパレートワンピの最新バージョン。着用時がノーストレスでこれは誰にもお勧めできる最高の仕上がりだ。
エアログローブとソックス、どちらも他社製品に比べ着用しやすく全く違和感を感じない素晴らしい商品。
バイクはこの決戦状態のまま売却予定ですが欲しい方いらっしゃっればご連絡ください。
補給食
ボトルの中身はACTIVIKEグランフォンドウォーターとスピードウォーターを600mlずつ
背中にはACTIVIKEのスピードジェル4つをジェルフラスコに入れたものと、アミノサウルス2つと鼓月のスポーツ羊羹を3つで合計1300kcalくらい。
これで結果的にはぴったりくらいであった。
当日朝
4時45分起床。
朝ご飯はパン屋で買ったカロリー高い系のパンを3つ。ACTIVIKEのニュートリション飲んで準備。
外に出たら結構な雨。
6時過ぎに漁港の駐車場到着して準備するも外に出る気にならんし、沖縄はウォームアップ不要なのでダラダラ準備してたらスタート45分前。
出発前にタイヤに空気入れ。輪行で使っている軽い捻じ込み式のフロアポンプで空気入れたところ、抜く時にバルブエクステンダーが外れて吹き飛びリアタイヤが死亡。
残り40分でこれは詰んだかと焦る。
冷静にどうするか思考を巡らせてオフィシャルに借りるかと思ったが、サドルバックに予備のバルブがあったことを思い出し、タイヤ外して一から付け替え。
空気入れも同時に死んだので近くの方にお願いして空気入れお借りして且つ手伝っていただきなんとか間に合いスタート位置に移動。
スタート前は少し雨が弱まり装備が非常に難しいが沖縄で寒さに凍えることはないだろうとレインジャケットは着ずにレインジェルに加えて腹から胸にビニール袋を入れるだけとした。コレが想定外の大失敗。
スタートから前半戦
ゆっくりスタートして身体が温まるまではのんびり行きたいところ。
最初の30分くらいは良かったが水族館前辺りから寒さがキツくなりだし身体に震えが出始めた。完全に装備をミスった感がある。周りはレインジャケット着用は半分くらいか。せめてインナーシャツとアームカバー着用すれば良かったと後悔。
1時間経過し北側海岸線に出てくると風が強くなりもう寒いという言葉しか出てこない。これは雨が止まないと完走無理じゃないかと弱気になってきた。
汗などかくはずもなく膀胱が危なくなってきたところでトイレタイムの時間となったがここまでドリンクは一口も口にしておらず、おにぎりを一つ食べただけだ。
完全に凍えながら1回目のフンガワダムへ。
登りはクボタ君、マナベ君が前で展開してくれて1回目にしては早いが、寧ろ強度が上がり身体を温める意味ではよかった。
KOM越えて下りに入るとまもなくいつものポイントで落車発生。雨天の下りなので予見していたのもあり、無事に回避して安全マージンをかなり取りながら補給所へ。
補給所はドリンク飲んでないし取る必要もなくそのまま下りへ。
下りが兎に角寒い。もう頼むから雨止んでくれ。
ひたすら耐えながら奥の登りの前で2回目のトイレタイムでしっかり出しておく。奥の登りはひたすら寒かったので高回転で脚を回して身体温めながら走る。例年より強度上がったように感じたが余裕持って通過。
海岸線の平坦を快速で南下するが凍えは全くなくならず前半戦の3時間はただの耐寒訓練以外のなにものでもなかった。
2回目のフンガワ。
前半ペースは早めだったが後半は少し落ち着いたように思う。
結果的に1回目と同じ程のタイムで山頂通過。
2回目の補給所もドリンクは全く減っていないため寄る必要は全くなくスルー。
学校坂
ここから下って勝負の学校坂のわけなのだが、今年はどういうわけか学校坂の入口ポジションを完全にミスった。寒さで思考がネガティブになっていたのかもしれない。
完全に出遅れたポジションから登り始めたことに加え、前でドクターがカチアゲモードで全員を抹殺に来ており尋常ではないスピードで登り始めた。
身体が冷えていたのも影響し高いパワーが出ず、踏めども前に追いつかない。
「あー、こりゃついていけない無理だ。」と一度完全に心折れかけた。
高岡さんが遅れている姿が見え、森本さんもやや遅れている。
ギリギリのペースで粘っていると中腹くらいで差が広がらなくなってきたので、「ここで千切れたら終わりだし、後悔ないようにやれるだけやるか」と力を絞り出す。
そしてピーク直前で集団のケツを捉えどうにか生き残ったかと思いきや、ピークからの緩い下りが全く緩まない。前を走る選手が中切れしており、ここで一緒に中切れすると追いついた意味がないためこれを埋めるのに限界寸前から限界まで入れないといけなくなってしまった。
監督からよく言われた「中切れは万死に値する」とはまさにこれで、完全にこれが余計だった。
どうにか復帰したものの、この一撃でかなり深刻なダメージを負ってしまう。ここからはアップダウンを繰り返し休むところがあまりないのも災いし脚が削り取られ完全に黄色信号。
おそらくこれまでなら普通に対応していたのだろうけど、これが年齢故の衰えなのか、ただの練習不足なのかはよくわからない。
そしてこのタイミングでドクターがアタックして単独で抜け出して行くのが見えた。
個人的な恩人でもあり友人でもあるドクターの優勝を望むものとしてはこれは行ってもらうしかない。
しかし優勝狙いの若者達は当然ながら追うのでカオス状態は継続。
若者達の必死の追走により、結局東村で一度ドクターを吸収することに。
そこから慶佐次補給所を過ぎるがここもドリンク半分以上残っているのでスルー。
有銘
そして有銘の登り。
前でドクターがペースアップしている姿が見える。
私は完全に脚が300wを維持できる状態ではなく、集団のケツに着くことが出来ずに終わった。
この時どうやっても無理だったので、これが今の私の実力なんだろう。準備を含めて全力を尽くした結果がこれなので今の弱さを受け入れるしかない。
残り30kmは事故なく後悔なく最後になるかもしれない沖縄を楽しんで走ることにした。
結局ラスト1時間弱はほぼ単独走行に近い状態でクソほどのパワーも出ていないが誰にも抜かれることはなくゴールまでいけたのは幸いだった。学校坂で散ったメンツはみんな同じような状態だったのだろうな。
結果は16位。昨年の15位とほぼ同じ結果。
雨対策、寒さ対策を失敗した以外はほぼ当日のマイナスの要素はなかったと思うので、これが実力。
ゴール後
私の結果はともかくとして、ゴール後一番気になったのはドクターが勝ったのかどうかだけで、その報を聞くやいなや、ドクターのところに真っ先に飛んで行った。
ここまでの積み上げを知っているだけに本当に嬉しくてドクターの涙を見て、私も涙が出た。
抱擁した時のドクターの身体がマジで凄すぎて驚いた。半端なくパワフルな体幹を感じた。
着替えてパーティ会場でドクターファミリーとご一緒させていただき、喜びを分かち合えたのが本当によかった。
来年は?
認めたくないが年齢と脚の怪我の影響により数年前と同じ状態に戻すことはかなり難易度が高いのだろう。42歳までは衰えは感じなかったが、そこからの一歳の重みが本当に大きいと感じる。
これだけレベルが上がると衰退期のおっさんは入賞が一つの目標になるだろうが、それを目標に来年挑戦できるだろうか。沖縄に出るために犠牲にするものは非常に大きくそれに見合う対価を見出すことができるかは今の時点ではわからない。
ただ、マスターズの沖縄200kmの部を作ってくれたらおっさんメンバーで更に盛り上がることは約束します。