*脚本の本棚*そして朝に還る

「そして朝に還る」
 作・忍守シン

登場人物
A・・・変わった経験をした変わった人
B・・・一見まともに見える変わった人

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A、登場。テーブルに近づき、席に座っている実際には居ない相手に話しかける

A 「すいません、お待たせしてしまって」

A、イスに座る。見えない相手と会話する

A 「…いえ、そんな遠くないです。ちょっと朝から色々ありまして。…いえそんな。…はい。…あ、じゃあ、えーと(メニューを見る)ホットコーヒー、お願いします」

A、コップの水を飲む仕草

A 「…はい。…あ、ありがとうございます。…いえいえそんな、たまたまです。こんな立派な賞をいただくなんて夢にも思いませんでした。…録音ですか?ええ、どうぞ」

A、しばらく相手の話を聞く

A 「はい。…あー、書き始めたキッカケですか。そうですね。…ある人に出会ったことがキッカケと言えばキッカケですけど。まあ、ちょっとした事件みたいなもので。…いや、そんなたいしたことじゃないんですけど。なんて言うかな。…ちょっと不思議な経験をした、とでも言いますか」

A、ノートブックを取り出し、開く。何かを書き始める

A 「私もそうですけど、人ってそれぞれ役割があるじゃないですか。でもその役割って、誰かに与えられるケースがほとんどだと思うんです。自分で自分の役割を決められる人ってほとんど居ない。それでも、そのことを意識している人はいない。そんな状況に、慣らされてしまってるんでしょうね」

Aの台詞の間にBが登場。照明が変わり、場所も変わる

B、じっとAの様子を見ている

しばらく後、ふとAが口を開く

A 「で、あとは?」

B 「…え?」

A 「だから。あとは何?」

B 「え…何って」

A 「これ以上、何して欲しいの?」

B 「何して欲しいって」

A 「これ以上、何して欲しいって言うの?こんな私に一体何を」

B 「いや私何も望んでなんていません」

A 「だって、あなたまだここに居るじゃない。そのアホ面さげて」

B 「アホ面ってなんですか。だいたい私はあなたに何かして欲しいなんて言ってませんよ」

A 「じゃあ、何の為に居るの」

B 「…仕事だからです」

A 「仕事って何?」

B 「それはさっきお話しした通りで」

A 「私が悩むのを見て喜ぶ仕事?」

B 「いいえ」

A 「他人が困るのを見て喜ぶ仕事ね」

B 「違います」

A 「相手が嫌がることやってお金もらうっていう仕事ね。このドS!」

B 「なんでですか。私どっちかというとMです。いやいやそんなことはどうでもいい。私、何もしてないでしょ」

A 「…そう、何もしてない。じゃあ、なんでここに居るの」

B 「仕事ですから。いいですか、私がここに来るのは、あくまで仕事だからです。なにも趣味や暇つぶしの為に来てるわけではありません。暇つぶしならパチンコにでも行ったほうがマシです」

A 「じゃあ行きなさいよ。行けばいいじゃないパチンコ」

B 「もののたとえです。出来ないんですよ私。パチンコ」

A 「じゃあアタシが教えてあげようか」

B 「結構。時間とお金のムダです」

A 「なんだ。じゃあ、パチスロ」

B 「似たようなもんでしょ」

A 「じゃあ競馬」

B 「やりません」

A 「競輪、競艇、オートレース。麻雀、バカラ、手本引」

B 「なんでそんなバクチに詳しいんですか」

A 「野球賭博は」

B 「やりません」

A 「つまんないの」

B 「あなた、やってるんですか」

A 「やるわけないじゃん。バクチなんて胴元にならないと損するだけよ」

B 「そういう知識はあるんですね」

A 「(何かに気付いたように)…昔、覚えたってことね。きっと」

B 「そうですね。知識として身に付けたということは、あの日よりも前に覚えたということですね」

A 「あの日よりも前…」

B 「(時計を見て)さて、そろそろ」

A 「帰るの?」

B 「帰りたいですけど、まだ終わってません」

A 「何が?」

B 「あなたがやるべきことです。さっき説明したでしょ」

A 「あれ、本当なの?」

B 「私がウソ言ってどうするんです。さ、そろそろ書いちゃって下さい。ちゃっちゃっと」

A 「ちゃっちゃって言われても」

B 「もう眠いでしょ。さ、早いとこ書いちゃって下さい。ちゃっちゃっと」

A 「まだ眠くない」

B 「眠くなくても眠って下さい。私だって早く帰りたいんですから。さ。ちゃっちゃっと」

A 「帰ればいいじゃない。私一人でやっとくから」

B 「そういうわけにはいきません。さっき説明したでしょ」

B、ノートブックをAに無理矢理渡そうとする

B 「さ。ちゃっちゃっと」

A 「嫌」

B 「ちゃっちゃっと」

A 「嫌です」

B 「いーじゃないですか。ちゃちゃっ」

A 「嫌だっつってんだろ!」

B 「…困るのは、あなたなんですよ」

A 「…眠らなければ、いいでしょ」

B 「え」

A 「徹夜すればいいのよね」

B 「そんなわけにいきますか。そりゃあ一日や二日は徹夜できますが、三日四日と続けられるものじゃありません。人間、眠らなければおかしくなります」

A 「もうおかしくなってるからいいでしょ」

B 「おかしくなんかないですよ」

A 「おかしいでしょ明らかに!…こんな、病気」

B 「…病気という自覚があるなら、私の指示に従って下さい」

A 「なんで。あなた医者じゃないでしょ」

B 「そうですけど、医師の指導は受けてますから」

A 「医者はなんて言ってるの。病名は?」

B 「わかりません。詳しくは知らされてないので」

A 「じゃあ知らずにやってるの?私が何の病気か」

B 「ええ。似たような症例は他でも出てます。でもまるっきり同じではない。同じ病気かどうかわからないんです」

A 「何種類もあるの?この病気」

B 「そうかもしれません」

A 「なによそれ」

B 「知りませんよ。私は専門家じゃないので」

A 「そんなシロウトに従いたくない」

B 「わがまま言わないで下さい。さあ、いいかげん今日の分を書いて。それから眠って」

A 「眠れないもん」

B 「薬を渡します。その為に来たようなもんです」

B、薬を取り出す

A 「ご親切にどうも」

B 「さあ、書いて下さい」

B、ノートをAに差し出す

A 「…もう一回、読んでいい?昨日までどんな風に書いてたか、確認したい」

B 「いいですよ」

A,ノートを受け取る。ページをめくる

A 「5月10日。昨日は雨降ったのか。…『起床8時半。起きたらしばらく状況が飲み込めない。いつものことだが、それでもこのノートを発見してとりあえず読んでみた』、か」

A、ノートを持ち上げる。ノートの表紙に「朝、起きたらこれを読め」と書いてある

A 「昨日の朝も読んだはずなのに、覚えてない。ということを、結局毎日書く羽目になるのね」

B 「毎朝書く内容はどうしても同じようなものになりますね。でもそれが大事です。変化が無いということも重要な情報です」

A 「おかげで毎朝、絶望を思い出すことになるのよ」

A、しばらくノートを読む

A 「変化無いわね、日中も。よくこんな毎日生きられるものだわ」

B 「人生、そんな毎日毎日劇的なことが起きたら、疲れてしまいますよ」

A 「…やっぱ書く必要ないんじゃない?こんな平凡な毎日」

B 「いえ。平凡だったという事実を書くんです」

A 「何の役に立つの」

B 「後から読み返すと必ず発見があります」

A 「これならコピペでいいじゃない。なんで紙のノートに書くの。めんどくさい。パソコンで書かせてよ」

B 「手で書くことで脳に刺激を与えるそうです。それに、電源上げなくても直ぐに読み書き出来るでしょう」

A 「タブレットパソコンとか使えば」

B 「ダメです。…ほう。タブレットパソコンは知ってるんですね」

A 「バカにしないで」

A、しばらくノートを読む

A 「(独り言のように)平凡な人生とは、退屈な毎日か。いや、必ずしもそうではない。平凡とは、他人がその人の様子を見て勝手に決めているに過ぎない。他人が平凡と思っていても、本人は平凡と思っていないかもしれない。ゆえに、退屈とも思わないかもしれない。例えば一見、退屈そうに見える魚釣りをする釣り人だって、退屈だとは一言も言わないのだから」

A、ノートを閉じる

A 「あなたは?」

B 「は?」

A 「あなたは書かないの?」

B 「私は書く必要ありません」

A 「どうして」

B 「私は普通だからです」

A 「普通って何?私とどこが違うの」

B 「私は昨日のことをちゃんと覚えてます」

A 「じゃあ、おとといのことは?」

B 「覚えてますよ」

A 「じゃあ、三日前は?」

B 「いいじゃないですか。私は問題無いんですから」

A 「三日前の事ははっきり覚えてないでしょう?私と大して変わらないじゃない」

B 「でも昨日の事ははっきり覚えてますよ。あなたと違って」

A 「じゃあ、昨日のお昼、何してた?」

B 「お昼?12時とかですか?ご飯食べてました」

A 「何を食べたの」

B 「えっと…塩鯖定食です」

A 「そのあと、何したの?」

B 「そのあと?仕事です」

A 「どんな仕事?」

B 「色々です」

A 「色々って何?」

B 「いいじゃないですか。そんな細かいこと」

A 「私は色々思い出してノートに書いてるけど、あなたは何も書いてない。不公平よ」

B 「私は!だいたい覚えてるんです。昨日のことは。100%じゃないにせよ、50%ぐらいは。でもあなたはどうです。0%ですよ。なんにも覚えてないんです。だからノートに書くんです」

A 「その理屈はわからない」

B 「わからなくてもいいです。さあ、とっとと書いて下さい。それから薬を飲んで眠って下さい」

A 「置いといて。あとで飲むから」

B 「ダメです。本当に飲んだかどうか確認する必要があります」

A 「カタいなあ、もう」

B 「私は公務員ですから。カタくて当然です」

A、ノートに書き始める。しばらく間

A 「ねえ」

B 「なんですか」

A 「今日の天気は?」

B 「外、見てないんですか。晴れですよ」

A 「そう。(ノートに書く)大雪が降ったと」

B 「ちょっと。ふざけないで下さい」

A 「ふざけてないわよ」

B 「こんな季節に雪降るわけないでしょう。捏造はダメです」

A 「晴れ・曇り・雨だけじゃつまんないじゃん。たまには雪でも」

B 「事実を正確に記録して下さい。日記みたいなもんなんですから」

A 「じゃあさ。紙に書くことないじゃない。ビデオでも一日中回しておけば」

B 「ビデオだと見るの大変でしょう?24時間録画したら、見るのに24時間かかりますよ」

A 「結局、事実を記録なんて出来ないんだ」

B 「なんで」

A 「紙に書いて文章にした時点で、アレンジが加わって事実ではなくなる」

B 「それは屁理屈です」

A 「あーあ。もう飽きた(伸びをする)」

B 「ちょっと。真面目にやって下さい」

A 「もう書いたわよ」

B 「え?」

B、ノートを見る

B 「なんですかこれ。3行だけ」

A 「今日一日をまとめるとそうなるの」

B 「『起床、9時。変な奴が来る。昼ごはん、シャケ弁。夜は卵かけご飯。まだ変な奴が居る』…変な奴ってなんなんですか」

A 「あなたのこと」

B 「わかりますよ文脈から。失礼でしょ変な奴って」

A 「じゃあ、なんて呼べばいい?名前?」

B 「え」

A 「名前教えてよ」

B 「…お教えしてもいいですけど。…あなたどうせ忘れるでしょ」

A 「…そっか」

B、ノートを読む

B 「まあ、この内容でいいというなら、薬を渡します」

A 「サンキュー。でも、まだ眠りたくない」

B 「困りますよ。あなたが薬を飲んで確実に眠ったことを見届けないと」

A 「だってまだ8時よ」

B 「もうじゅうぶん遅い時間です。私を誰だと思ってるんです?公務員ですよ。公務員というのは、残業しないものなんです」

A 「カラ残業はするでしょ」

B 「まあ、それはどんな公務員でもやってますけど、私の場合は毎日ここに来てますから、本当の残業です」

A 「残業代入るんでしょう?いいじゃない」

B 「経済的には助かりますが、アフター5、なにも出来ない」

A 「8時なんて宵の口じゃない」

A、くつろぐ。B、諦め顔

B 「…なんでこんな貧乏くじ引いたんだろ」

A 「薬置いて帰っちゃえばいいじゃない」

B 「かつて事故があったんですよ。だから飲むまで帰れないんです」

A 「事故?」

B 「ええ。…あなたと同じ症例の人に、薬を渡して帰っていた担当者が居たんです。私じゃないですよ。別の担当者です。で、その相手が薬を飲まずにこっそり貯めこんでいたんです」

A 「貯めこんでいた?薬を?」

B 「ええ。で、ある日、その貯めておいた薬を一気に全部飲んだんです。何日ぶんかな。6日分か7日分か」

A 「どうなったの?」

B 「すぐぶっ倒れて意識不明になって。翌朝、担当者が発見して大騒ぎ」

A 「死んだ?」

B 「いえ、助かりました。でも口から泡吹いてひどい姿で。すぐ救急車で病院運ばれたんですけど、薬飲んで時間が経ってるから胃洗浄とか間に合わなくて。結局3日か4日眠り続け、奇跡的に助かったそうです。でも見苦しいですよ自殺なんて。絶対やらないほうがいいです」

A 「ご心配なく。そんなつもりありませんから」

B 「さ。いいかげん今日の分を飲んで下さい」

B、押し付けるように薬をAに渡す

A 「…これを飲むと、眠るのか」

B 「はい」

A 「眠って、何時間かして目が覚めて、また全部リセットされるのか」

B 「全部ってわけではないでしょう?あの日よりも後に起こったことだけ」

A 「あの日…」

B 「ええ。あの日」

A 「どうして?」

B 「え」

A 「どうしてあの日よりも後のことだけ記憶が無くなるの?」

B 「まだ理解してないんですか」

A 「教えてもらっても、次の日にはすっかり忘れるんだから」

B 「そうですね。この調子じゃ何を教えてもムダになりますね」

A 「そうね」

B 「じゃ教えない」

A 「ええ?」

B 「ムダでしょ。教えるの」

A 「そんなことないから」

B 「あなた同意したじゃありませんか。そうねって」

A 「ムダでもいいから、知りたいの」

B 「こっちの身にもなって下さい。毎日毎日、同じ話をするんですよ」

A 「いいじゃない。あなた仕事でしょう?そのくらいサービスしなさいよ」

B 「サービス残業は公務員の敵です」

A 「いいじゃない今日のところは。明日は時間内に教えてもらうようにするから」

B 「明日まで覚えてないくせに」

A 「じゃあ、メモを取る」

A、ノートに書く準備をする

B 「…人間の記憶は、脳に蓄えられますよね」

A 「そうね」

B 「記憶には二種類あるってご存知ですか」

A 「そうなの?」

B 「何と何だと思います?」

A 「…忘れてしまった記憶と、忘れていない記憶」

B 「…ある意味、的を射ていますが、ちょっと違います」

A 「…忘れたい記憶と、忘れられない記憶」

B 「ロマンチストですねあなたは。そうではありません。短期記憶と、長期記憶です」

A 「短期…なにそれ」

B 「人間はまず見聞きしたことを短期間、記憶します。それを脳内の短期記憶メモリーに保存します。海馬というのご存知でしょう?短期記憶は、海馬の中に一時的に保存されるんです」

A 「ふーん。そうなの」

B 「で、短期記憶は数秒から数時間、もって数日で忘れてしまいますが、長期記憶は短期記憶と違って一生忘れることもないくらいの長い期間の記憶です。それは海馬に保存されるのではなく、大脳の側頭葉という所に保存されます」

A 「すぐに忘れそうな話ね」

B 「長期記憶とは短期記憶の中から重要なものだと脳によって判断されたものが、脳の海馬の働きによって長期記憶メモリーに移し変えられたものなんです。これを行っているのが睡眠中です」

A 「睡眠中?」

B 「はい。人間は眠っている間に短期記憶を長期記憶に変えていく、いわば記憶の定着を行っています。眠らないと記憶が定着しないんです」

A 「だから徹夜でテスト勉強したことは直ぐに忘れちゃうのか」

B 「その通り。徹夜なんかしても、物事は覚えられません」

A 「で、私に寝ろ寝ろと言ってるけど、私の場合は寝ると全部忘れちゃうのよ」

B 「はい。あなたの脳には障害があります」

A 「はっきり言うわね」

B 「言い方が悪かったらごめんなさい。でも、明らかにあなたの脳の海馬は正常に機能してません。眠っている間に記憶の定着が起こるどころか、短期記憶がすっかり失われるんです」

A 「認知症、ってこと?」

B 「違うでしょうね。認知症にも確かに記憶障害はありますが、それだけじゃなく理解力の低下や行動障害といった症状も現れます。あなたの場合は記憶障害だけで、他は全く正常でしょう?…あ、睡眠障害はありましたか」

A 「そう、眠れない。じゃなくて、本当は違う」

B 「違う?何が違うんです」

A 「本当は、…眠りたくないの。眠りたいとも思わない」

B 「…睡眠欲の欠如。いけませんねえ。人間の三大欲求である食欲、性欲、睡眠欲。そのうち一番強いと言われる睡眠欲が無いなんて」

A 「仕方ないじゃない。無いものは無いんだから」

B 「他の欲はどうなんです」

A 「あるわよ。普通に」

B 「ほー」

A 「なに?バカにしてんの?」

B 「いやいや」

B、歩き出す

A 「どこ行くの」

B 「水汲んできてあげますよ」

A 「まだ飲まないわよ」

B、退場

A、ノートを手に取り、開く

A 「(独り言のように読む)私が眠っている間に、宇宙は眠るのだろうか。少なくとも私が起きている間、宇宙は眠ることなく動き続けている。150億年という悠久の時の中で、宇宙は絶えず動いている。不眠症なんてレベルじゃない。宇宙にはきっと眠りという概念が無く、眠る理由も無いのだろう。私もまた、そんな宇宙の一部なのだ」

B、コップを持って登場

B 「中学生みたいなこと書いてないで、ちゃんと日々の記録を取って下さい」

A 「だって、つまんないんだもん」

B 「つまるとかつまらないとかの問題じゃないです。単なる記録なんですから」

A 「なんで記録なんか取るの」

B 「あなたのためだと言ってるでしょ」

A 「なんで私のため?」

B 「寝て起きたら昨日のことはすっかり忘れてる。それじゃまともな社会生活できないでしょう?だから記録が要るんです」

A 「いいじゃない。昨日は昨日。今日は今日。明日は明日の風が吹く」

B 「仕事だってままなりませんよ。昨日どこで仕事してたか忘れましたじゃ、今日どこに出勤すればいいかわからないでしょう?どうするんですか」

A 「一日で終わる仕事すればいいじゃん」

B 「日雇い労働ですか。…そういえば、ハローワーク行きました?」

A 「行ってない」

B 「ダメじゃないですか。いいかげん、仕事見つけないと」

A 「仕事探さなきゃってこと、忘れちゃうからね~」

B 「ノートに書いて下さい。太字で」

A 「は~い。(ノートに書きながら)…仕事っていえば、あなた公務員だっけ。何の公務員?」

B 「何のって」

A 「民生委員?」

B 「…まあ、やってることは確かにそう見えますけど」

A 「違うの?何?」

B 「いや、そういうことにしておきましょう」

A 「なにそれ。奥歯に物がはさまったような言い方」

B 「詳しくはあまり言えないんで」

A 「教えなさいよ。何者かわかんない奴に薬盛られたくないわ」

B 「そうかもしれませんが、まあその辺はグレーゾーンにしておいて」

A 「自分のことは曖昧にして。怪しいじゃない」

B 「いや私、けっして怪しい者ではありません」

A 「どこが」

携帯電話が鳴る

B 「え?」

A、はっとして、携帯電話を取り出し、電話に出る

A 「はい。…はい。…え、本当ですか!うわあ、ありがとうございます。…すいません、わざわざお知らせ頂いて。…はい。…はい。…あ、明日ですか。はい、結構です。…はい。…では、14時に。…はい。…よろしくお願い致します。…失礼します」

A、電話を切る

B 「何ですか今の電話」

A 「なんでもない。さ。さっきの続き」

B 「あなた、誰と電話で話したんです?」

A 「いいからいいから。ところであんた、何の役人?」

B 「私のことなんかどうでもいいでしょ。なんであなたに電話かかってくるんです?」

A 「いーでしょそんなの。それより今はあなたのことが問題。どこの役所の公務員なの?」

B 「いや、それは」

A 「教えなさいよ」

B 「弱りましたね」

A 「都合悪いの?私に知られると」

B 「そういうわけではないですが」

A 「じゃあ教えなさい。どうせ明日になれば忘れちゃうんだから。教えてくれたら、薬飲むから」

B 「…仕方ないですね。…これはオフレコでお願いしますよ。実は私は、環境省の職員です」

A 「え。カンチョー省?」

B 「違う。環境省です」

A 「関ジャニ∞?」

B 「わざと間違えてるでしょ。環境省!」

A 「カンショーチョーって何すんの?」

B 「(イラっとしながら)地球環境の保全、公害の防止、自然環境の保護と整備、並びに原子力の研究・開発・利用における安全の確保を図ることを任務とする、と法律で決まっている省庁です」

A 「へー。え、原子力?原発作ってるの?」

B 「なんで。原発作るのは電力会社。私どもは放射性物質による汚染を防ぐとか、そういう仕事です」

A 「てことは。え!この部屋が放射能に汚染されてる?」

B 「いーえ。今回は放射能関係無いです」

A 「じゃあ、何が関係してるの?」

B 「それは、…申し上げられません」

A 「教えてよ」

B 「ダメです」

A 「なんで」

B 「公務員ですから。守秘義務があります」

A 「いいじゃんそんなの」

B 「秘密を漏らすと、私が処罰されるんです」

A 「漏らしちゃいけない秘密があるんだ」

B 「ああもう、余計な詮索しないで下さい。(コップを持つ)さあ、早く飲んで」

A 「嫌よ」

B 「さあ」

A 「嫌」

B 「さあ」

A 「教えるまで飲まない。ねえ、環境省がどうして関わってるの?もしかして、あの日が関係してるの?」

B 「あの日って」

A 「私の記憶が途絶えた日。あの日以来、眠ると一日の出来事を全て忘れるようになった、あの日」

B 「知りませんよ」

A 「嘘!あなた何か知ってるんでしょう?あの日、何があったの?3年前のあの日、一体この地域に何があったの?」

B 「この地域って」

A 「私と同じような病気の人、この地域でしか出てきてないんでしょう?やっぱり風土病とか、そんな感じ?」

B 「何言ってるんですか」

A 「ああ、でもそれなら厚生労働省の管轄よね。あなたが環境省ってことは」

B 「もうやめなさい」

A 「公害?そうなんでしょ。どこか大企業の工場とかが絡んでるんでしょ」

B 「そんなわけないです」

A 「じゃあどうしてあなたここに居るの?」

B、答えに窮す。しばらく間

A 「はい。今日はここまで」

B 「え?」

A 「このへんで終わり。もうおしまい」

B 「え?」

A 「もうやめよ。出てこないでしょ。私もきっついし」

B 「何言ってるんです」

A 「ねえ、この設定きつくない?何、環境省って。この後、どうつなげるつもりだったの?」

B 「どうつなげるって」

A 「原発とか持ち出すと話ややこしくなるし。使えないじゃん、こんなネタ」

B 「ネタ?」

A 「ああ、あんたにはわかんないか。いくら小説でも使えるネタと使えないネタがあるの。で、デリケートなネタとかそういうの使えないの。差別とか、宗教とか。ま、原子力もだけど」

B 「何のことです?」

A 「ゆうべあたしが環境省だの公害だのの話をインプットしたから出してきたのね。でも消化不良で全然話がつながらない。リアリティが無いな」

B 「何言ってるんです」

A 「あなた、病気なの」

B 「は?」

A 「私じゃなく、あなたが病気なの」

B 「はあ?」

A 「あなたは公務員でもなんでもない。ただの病人、ただのニート。単なる私の同居人なの」

B 「え?」

A 「ここは私の部屋でもあるけど、あなたの部屋でもある。シェアハウスよ。あなたもここに住んでるの」

B 「そんな。私は今朝ここに来て」

A 「今朝、あなたはこの部屋で目を覚ました。目を覚ましたあなたは、今日は公務員になっていた。昨日は、大企業の社長だったわ」

B 「ええ?」

A 「朝が来るたびにあなたは違う人間になる。あなたは、病気なの。脳が、異常なの。海馬だけじゃないわよ。脳全体がやられてるのよ。眠って、起きると、昨日の人格は消え失せる。だから私は、あなたが眠っている間に色々な情報を入れてあげるの。こうして、耳元で囁くの。するとあなたは」

照明が変わる。場所が冒頭の喫茶店に変わる

A 「新しい記憶を持った、新しい人間として生まれ変わるの」

B、呆然と立ちすくむ

A 「…その人、毎日毎日人格が変わって。最初は単純に面白かったんですけど。色々とっぴな発想が出てきて、これは小説のネタになるんじゃないかなと思い始めて。で、その人が語る話とか人物設定とかを元に小説を書き始めたんです。これが思いのほか好評になって。こうして賞までいただけるような作品にまでなって。…ゴーストライターなんて言わないで下さいよ。あくまでも書いたのは私なんですから」

A、コーヒーを飲む仕草

A 「でもその人、段々言うことに脈絡が無くなってきて。何言ってるんだか訳わかんなくなってきて。そりゃあまあ、私のインプットした情報がいいかげんだったからかもしれないんですけど。…それに、ほっておくといつまでも眠らないから、毎日なんとか説得して睡眠薬を飲ませるんです。眠ると記憶を失くすから嫌だって抵抗するんですけど、ちゃんと毎日の記録はつけてあげるからって言って」

A、ノートを見せる

A 「これ、実はネタ帳」

A、いたずらっぽく笑う

A 「でも失敗したなあ。ちゃんとチェックしておくんだった。…まさか、こっそり薬を貯めこむだなんて」

照明が変わり、再び部屋へ

B、手に薬を持っている

A 「あなた、名前は?」

B 「え」

A 「自分の名前、思い出せる?」

B 「…いえ」

A 「ね。わかるでしょ。あなたのほうが病気ってこと」

B 「…」

A 「さ、薬飲んで。ちゃっちゃっと眠って」

B 「嫌」

A 「ちゃっちゃっと眠って」

B 「嫌です」

A 「いーじゃない。ちゃっちゃっ」

B 「嫌だって言ってるでしょ!」

A 「…眠らないと、おかしくなるわよ」

B 「もうおかしくなってます」

A 「そうだけど。でも明日になれば、嫌なことも忘れられる」

B 「おかげで毎朝、絶望を思い出すことになる」

A 「…じゃあ、書いてあげるわ。いつもみたいに。またあの厨二病みたいな言葉を語りなさいな。それで気もおさまるんだから」

A、ノートを準備する

B、しばらく逡巡する

B 「…そこはもう、私の知っている世界ではなかった。私は、いつも虚構の人生。本当の人生など生きられない。でもそれは、本当の人生などというものがあるのならばの話だ」

B、Aに背を向け、隠れて溜め込んでいた薬を取り出し、飲む。Aはノートに記入していて気付かない

B 「世界は常に変わっていく。変わっていくのが当たり前のように。でも私は変わるのではなく、消えて、生まれて、また消えて。膨張と収縮を繰り返す宇宙のように、消滅と生成を繰り返す素粒子のように。私は、自分の位置と運動量を同時に決められない、不確定性原理の中に生きている。それはまさに私が宇宙そのものであるかのように。でもそれもまた、私にとって意味の無い虚構。本当の私の存在は、たったひとつの、確率に過ぎない」

B、ゆっくりと眠りに落ちる

A、じっとBを見つめる

A 「そして、朝になっても。もう、その人は、還って来なかった」

【了】
(2014年6月12日 初稿)

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