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「人のために」と「自分のために」は、グラデーション。

何のために生きるのか?ということを、若い頃もいろいろ考えていたんだけど、歳を重ね、時間の使い方を昔以上に意識するようになった今、より真剣にこのテーマに向き合う機会が増えた。

クリストファー・ノーラン監督のインターステラーという映画の中に、人類として種の保存を優先するのか、個人として家族との再会を優先するのか、という場面が出てくる。

言ってみれば、自分の人生を「人のために使う」のか、「自分のために使う」のか、ということ。

また、話が進む中、滅びゆく地球に住む人々が、人類としての未来に希望を持てない状況で、何を大切にして生きるか、という描写もある。

で、考える。

わたし自身はどうなのか?

自分の人生を何のために使いたいか?って。

人の行動って、多くの場合、「人のため」と「自分のため」、両方の視点を含んでいる、と思う。

たとえば、仕事での成功を目指す場合、社会や人への貢献という視点と、自分の心の満足という視点。

どっちの要素が多いか、というグラデーションの世界であって、きっぱり分けることはできない。

それは、社会貢献のボランティアをおこなう人の心理としても、例外ではなく、人を救っているようで、自分を救っている面もあるはず。

本人が意識する、しないにかかわらず。

わたし自身の話で言うなら、「成功したい、成り上がりたい、満足したい」、そういった個人的な欲求が大きいと思っていたんだけど、実は「社会や人類のために」といった視点も大きかったことに、いまさらながら気づき、どのへんに着地していいものやら、決めきれずにいる。

「わたしの趣味は〜〜で、休みの日はそれに没頭している」という人に出会うと、無性に羨ましく感じるのは、自分の中で「自分のために」という面が満たされていないからだろう。

その辺り、自分の中でだいぶ消化できてきた感じはするんだけど、それでも、「なりたい自分」に近づくことは難しい。

グラデーションの間をさまよっている。

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トモさん(松井 知敬)
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