「病を受け入れる」って…
少し前の話にはなるが、7月の22日~23日、京都で開催された日本糖尿病協会年次学術集会に参加をしてきた。その学術集会から興味深いと感じたテーマ、考えさせられたテーマを何回かに分けて紹介したい。
今回は「病にかかるのは運命と諦め、受け入れるしかないのか」
…というテーマを考察したい。
まず、大前提として共有しておきたいことがある。
この学術集会は糖尿病をテーマとしている。
糖尿病は「生活習慣病」の代表的な疾患と広く認識されており、それゆえ誤解されている点も多くみられる疾患だ。
「糖尿病って、食生活をコントロールできない人がなる病気」
「糖尿病になる人は、生活習慣に問題がある」
「自身の生活を管理できないから糖尿病になる」
…そんな偏見を持たれることが多く、その不当な偏見によって
糖尿病患者が苦しめられている点は、私たち医療者が声を上げ、
改善を図っていく義務がある。
(そもそも「生活習慣に問題」が全くない人など、どこにもいないはずだ)
糖尿病は、血糖値をコントロールするホルモンの働きに
何らかの問題を抱え、血糖値のコントロールが上手くいかなくなった病気
…それ以上でもそれ以下でもない。
最初にこの点は強く強く、強調しておきたい。
糖尿病にかかる原因は、生活習慣の良し悪しだけに起因するものではない。
…という事実は声を大にして発信すべきことではあるのだが、
その発信によって糖尿病患者が救われるのか…と考えると
そうとも言えない側面がある。
「じゃあ、糖尿病になるのは運命として受け入れろ…ってこと?」
それはそれで、患者目線、やりきれない思いに駆られる所があるだろう。
この問題を取り上げた演者の先生(医師)が、診察の際に話していると紹介したエピソードが面白かった。
その先生(男性)曰く「それを言うなら、僕もキムタクのようなイケメンに生まれいたら全く違う人生を歩んでいた。でもイケメンに生まれなかったことをいつまでも嘆いていても仕方ない。イケメンでないならイケメンでないなりに、有意義な生き方を模索したほうが良い」と。
ちなみにこの先生はこうも付け加えていた。
「僕はキムタクほどイケメンではないが、僕の妻は工藤静香より美人」であると。トンデモナイオオバカヤr…もとい、ステキな先生である。
この話を聞きながら、「私ならこうアレンジして話すかな」と考えていた
「私も大谷翔平のように野球が上手かったら…」
いや、せめて人並みに野球ができたら人生かなり変わっていたと思う。
私は野球に限らず、球技全般がとても苦手な少年だった。
飛んでくるボールの軌道が上手く捕まえられない所があり、
ボールをグローブでキャッチしたり、バットに当てたりと言ったことが
全くできない。フライを取るなど、私目線ではバック宙2回転ひねり並み(?)
の人間離れした所業なのである。
当然、男の子グループの遊びにはついていけない。
そして、男の子の集団において、遊びだろうが体育の授業だろうが
野球(試合)は常に真剣勝負で勝利は史上命題である。
エラーをする人間に人権などなく、容赦なく罵声が飛んでくる
「お前、もういいからそこから動くな!」
「邪魔だから、ボールに触んな!」
…彼らに悪気はない。ただ野球に勝ちたいだけなのだ。
しかし、小学生の心を閉ざすには十分すぎる破壊力を持つ言葉であった
ことは確かだったと思う。
体育の時間、なんとか罵声を浴びずに済む方法はないかと考え、
夜な夜な一人でフライを取る練習をしたこともあった。
しかし、1時間ほどすると上達しない自分に嫌気がさして練習を止めた。
そして心の中で1分間をカウントし、こう自分に言い聞かせるのだった。
明日の体育の時間まで約15時間ある。今数えた1分の900倍も時間がある
体育の時間は、まだはるかに先の時間のことだ。だからまだ大丈夫。
…冷静に考えれば、何が大丈夫なのかはさっぱり分からないが、
私なりに一所懸命嫌なことを先送りして、現実逃避をしていたのだ。
そう、野球のできない少年自体の経験が、「嫌なことは先送り」する
ダメ人間を育てたのである。
野球さえ人並みにできれば、私だって、もっとマトモな人間に
…などと言ってみたところで、白い目で見られるのがオチである。
あまりに非生産的であることは言うまでもない。
話は極端に振れたが、人間、誰しもハンデを背負って生活を
送っている面はあるのだと思う。
そのハンデが大きい、小さいは別にして。
「野球ができない小学生男子」もハンデのひとつだし、
「糖尿病」もしかり。
病気に関する不当な偏見と闘うのは、医療職に丸投げしてよい。
病気というハンデは決して小さくはないが、そのハンデと向き合いつつ
患者には、その人なりのHAPPYを追及してもらいたいと考えている。