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”自分”を生きるために…。

”思い込み”から脱するために…。ということで記事を書いてみた。書いてみて気づいた事は、「自分の意志ではなく、見えない何かに囚われて生きてきたということ」であった。要するに、もう少し”わがまま”に=自分らしく生きてみてもいいのでは…。ということであった。

さて、このような気づきを与えてくれた記事に出会った。
それが、池 辰彦さんの記事。

しみじみと、考えさせられた。
ちょうど50歳になり、自分の生き方について考える日々を過ごしてきた。
20代の頃に憧れていた50代の方々の年代と同じ年代に入り、自分はそうなっているのか、そういう生き方ができているのかを考えることが多くなった。

子どもたちも成長し、家を離れていった。
より一層、自分はどう生きていきたいのかを考えるようになった。
ふとした瞬間に、体の衰えを感じたり、過去の成功体験にしがみついていたりする自分に気づく。

このままでいいのか?
挑戦できていないことはないのか?
がまんしてきたことはないのか?
そんなことをモヤモヤと考えることが多くなった。


池さんの記事では、「50歳でも伸びる能力もある」と書いてある。
なるほど、磨けばまだまだ光る何かを自分にも見つけられるはず。
勇気が湧いてくる。

さて、前回の記事では、「思い込みから脱出するために、もう少し、わがままに生きてもいいのかも…。」という締めくくりにした。
なぜ、そのように考えたのか。
池さんの記事を読んで改めて考えてみた。
50歳までの自分は、「公=仕事における私」と「私=家庭における私」の領域に生きることが当然であると考えてきたようだ。これを”思い込み”と表現したようだ。
50歳を迎え、徐々に「公」と「私」の役割が縮小していく中で、本能的に「個=私自身」のあり方について求めるようになっていたようだ。これを”わがままに生きる”と表現したようだ。


昨年、こんな記事を書いていた。
今回もまた、自分の中にあるモヤモヤもとした想いを「書き出してみる」ことから、面白い自分の思考に気づく事ができた。

昨年、100日連続投稿を続けた後、目標を見失って書くことをやめていた。
でも、こうやってまた帰ってきた。
「書くこと」が「私自身」を見つける機会にもなるから。

緩やかに投稿していこう。
”自分”を生きるために。

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keiichi MATSUI(松井 恵一)
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