「当たり前」とは何だろう?
例を見るとそれは確かに…
しかし、日常的に使われている「当たり前」は、ある特定の文脈を共有してきた集団にとっての共通認識であって、その文脈を共有していない者にとっては「当たり前」とは思えないことも多い。
社会集団は、「構成員が常に入れ替わる可能性を持つ」ものでは?
そうであるならば、社会集団にとって「当たり前」というものは存在しない。
従って、社会集団における「当たり前」は、常に「当たり前ではないもの」になるという可能性も持ちあわせているものなのではないか?
常識やルール、自然の法則だって、その「当たり前」は、常に「当たり前ではないもの」になる可能性を持ちあわせている。
それが、「変化」というもの。
この感覚を忘れないようにしたい。
今日も新しい気づきをありがとうございました。
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