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”問う側”と”問われる側”の思考の枠組みは同じではないでしょう…。

問うことが上手な人と問われる側のおそろしさについて考えていたら、もう少しこのことについて考えてみようと思うことができたので、書き残しておこうと思う。

そもそも人間は、それぞれの思考の枠組みをもっている

ということは、問う側と問われる側は異なる思考の「枠組み」を持っているはずで…。

問う側は、ある一定の方向性でこたえてほしいという「枠組み」を持っている。
問われる側は、問われた言葉をもとに、自らの思考の「枠組み」の中でこたえようとする。

それぞれのこの「枠組み」は同じ対象を捉えているのだろうか?

重なる部分はあるとは思うが、完全には一致していない。

だから、問う側は、自身の持つ「枠組み」を公開する必要がある。
また、問われる側も、その「枠組み」を受け止める必要がある。
これが損なわれると、一切、問う側が求める回答は得られない。

対面で問うことができない場合には、より一層「枠組み」のすれ違いが起こっている

紙を介するアンケートでも。デジタルを介するアンケートでも。

問う側と問われる側双方に歩み寄りが必要だ。
当然のことであるとは思うが、当然のようにそれができているだろうか。

問うことが上手な人は?何ができている?

今日も新しい気づきをありがとうございました。

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keiichi MATSUI(松井 恵一)
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