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家事労働には賃金が支払われるべきなのだろうか?

一昨日、このようなツイートがバズっていました。

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僕はこのツイートを見て、ふと昔読んだドストエフスキー の「死の家の記録」を思い出しました。

請け負った囚人たち

「死の家の記録」は、シベリア流刑に処せられたドストエフキーの四年間にわたる獄中の体験と見聞の記録です。

収容所の囚人たちは、兵士の指図のもとに作業をするグループと、自主的な裁量に任されるグループに分けられるのですが、この2つのグループの働きぶりが驚くほど違うのです。

指示されるグループの囚人たちは、できる限り怠けようとします。

一方、請負の囚人たちは、逆に働きまくるのです。以下抜粋。

「あの大儀そうなそぶりはどこへ姿を隠してしまったのだ。斧の音が高らかに鳴り響き、木釘はつぎつぎに抜かれ始めた。ほかの連中は太い丸太を何本が下にあてがい、二〇本の手でそれにのしかかるようにして、元気いっぱい手ぎわよく材木を取りはずした。材木は今度は少しも傷つけられずにそっくりそのまま無事に取りはずされたのには、私も思わずあっけにとられた。みんなが急に頭がよくなったようなあんばいであった。一人一人みんな、自分のすべきこと、なすべきこと、どこにいたらいいか、どんな注意を与えたらよいかを、ちゃんと心得ていた。終りの太鼓が鳴るきっかり三〇分前に決められた仕事はきちんとかたずいた。そして囚人たちは疲れていたが、すっかり満足して帰途についた。

彼らは囚人ですから、張り切って働こうが怠けようが、賃金がもらえるわけでもなければ、誰からか感謝されるわけでもありません。

家事もまた、賃金をもらうこともなければ、あまり感謝されることのない労働です。そんなわけで今日は、このツイートへの反響に目を通しつつ、無償労働の価値について考えてみました。

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