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心に残る「思い出」は、「体験」からしか生まれません
昨晩イチロー選手が引退しました。
僕は別に野球ファンでもなんでもないのですが、イチロー選手と松井秀喜選手の2人には一方的に親近感を抱きてきました。
イチロー選手がちょうどアメリカに移住した頃、僕は進路に行き詰まっていました。アップルジャパンでやれることはやり尽くした感じがあり、ここに留まっても成長していかないだろうな、という実感がありました。そして本社からは度重なるラブコールを頂いていたのですが、本社で通用するかどうか自信もなく、なかなか決心がつかなかったのです。そんな折、2000年のイチロー選手の移籍と、2002年の松井選手の移籍には大きく背中を押されました。
結局僕は2002年の夏に移籍したのですが、同じような時期に、同じアメリカという新天地にすべてを賭けたお二人には常に励まされました。そんなわけで、会ったこともないのにずっと親近感を抱いてきました。
イチローはどんな思い出を抱えて生きていくのだろうか?
イチロー選手は今後、どんな思い出を抱えて生きていくのでしょうか?
無論そんなことは、僕ら凡人には見当さえつきません。
なぜなら、イチロー選手がこれまで体験してきた葛藤も喜びも悔しさも辛さも、僕らが体験することはないからです。イチロー選手の思い出はあくまでイチロー選手のものであり、他の誰の思い出と並べて比較することもできないし、誰かと取り替えることもできません。
そしてこれは、別にイチロー選手や松井選手だけに限りません。街角の喫茶店のマスターの佐藤さんには彼なりの葛藤や苦労や喜びの体験があり、それはあくまで佐藤さん個人の思い出として記憶されています。小さな会社に務める鈴木さんにも、彼女なりの大切な思い出があります。誰の思い出とも比較できませんし、交換することもできません。
ですからよく「ナンバーワンよりオンリーワン」なんて言いますが、僕らはただ生きて経験を積み重ねるだけで、自動的にオンリーワンになれるのです。イチロー選手も昨夜の記者会見でこんなふうに語っていました。
「本を読んだり情報を得ることはできても体験しないと。孤独を感じて苦しんだことは多々あったけど、その体験は未来の自分にとって大きな支えになるんだろうと、今は思います。」
僕らを形作ってくのはあくまで体験であって、モノでもなければ知識でもありません。「モノより思い出」というキャッチコピーもありましたが、僕らの人生を豊かなものにしてくれるのは、モノではなくて体験から紡ぎ出される思い出なのです。
「体験=思い出」は本当か?
では、僕らは体験をそのまま記憶しているのでしょうか? なんとなくそんな気がしますよね。ところが、体験と記憶はまったく別物といってもいい代物なのです。
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