人類にとってのスポーツの価値
スポーツを社会的に捉えたとき、“心の拠り所”と“分断”が生まれていると思いました。
スポーツは競争であり、勝敗もあるので、分断が起こることは自然です。むしろ、分断がないとスポーツの(全般とは言わないにしても)価値が低下すると思います。広義に捉えると、「スポーツ」と「それ以外」という分断もあります。
しかし、スポーツが拠り所となり、想いや人生に対する影響度が強くなると、分断相手を批難、攻撃してしまうことがあります。これは競技者だけではなく、応援者や、支え手でも同じことが言えます。
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欧州のスポーツクラブでは、資金調達方法やサポーター(フーリガン)などにおいて、スポーツに対する想いが知らずのうちに政治や紛争に利用されています。
世界最大の天然ガス会社であるガスプロムはロシアの半国営企業であり、「FCゼニト」はこのスポンサードによって2000年台に急速に欧州の舞台まで上がってきました。これは政治利用のためと言われています。
欧州でもトップレベルの「チェルシー」は、ロシアの実業家、アブラモヴィッチの資金力によって2000年台に復権してきたことは有名です。これは、アブラモヴィッチのロシアからの出口戦略と言われています。
ロシアのフーリガンは、一部で政権と一体化していたり、利用されたりしているとも言われています。
昨今の情勢から、ロシア関連の情報が連なりましたが、大元は世界でも巨大なコンテンツとなった「欧州サッカー」によるものです。欧州の国々は多民族国家であり、下位リーグからトップリーグまで一貫したスポーツが盛んです。
ここでは、自分を示すもの(アイデンティティ)が、国よりも身近なスポーツ(クラブ)になり得ます。心の拠り所以上の存在です。これはより大きな分断を生む可能性があります。
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日本でこういったことは起こりにくかったですが、コロナ禍とSNSによって、急速に分断とアイデンティティの模索が始まったように思います。
スポーツが発達している現代において、かつ、このような情勢において、心の拠り所と競争という良い側面を、自分だけではなく他者の人生を豊かにすることに繋げる意識を持つ必要があると思いました。人生におけるスポーツの影響度が強い人であればあるほどに。
これは、スポーツ同士だけでなく、スポーツとスポーツ以外にも言えると思います。より俯瞰的に捉えると、スポーツだけではないすべての事象にも言えると思います。
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仕事も政治も競争であり、それが根底にある現代の僕たちの生活は、競争から逃れることはできないと思います。それらは、スポーツと同じく“心の拠り所”と“分断”を生みます。生活に直結する部分だからこそ、盲目的にならざるを得ず、分断から相手への攻撃に至りやすいかもしれません。
一方でスポーツは、多くの人にとっては“なくても最低限の生活がなりたつもの”です。その少しの余裕が、スポーツマンシップを生み出していると思います。正しく努力し、試行錯誤し、正々堂々と競争をし、勝敗に関わらず相手をリスペクトする。
スポーツが正しく機能することで、これらのマインドの土台ができあがる可能性があります。このマインドは、競争があり続ける現代および個々の人生で、そのまま適用できると思いました。
こう捉えると、人類にとってスポーツの価値はとてつもなく大きいです。
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地元×スポーツで独立した人の試行錯誤
地元で、地域×スポーツ分野で独立した僕の現状報告や試行錯誤を記していました。
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