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ナンバーワンじゃなきゃイヤだ! そんな幼少期を振り返る。 #ノートの切れはし
わたしの「原体験」について。
だいぶ前に書きかけて、下書きにずっと眠っていたこの記事を改めて掘り出してみた。
今週からスタートした #ノートの切れはし という名のリレーnote。学生時代を思い出しながら、ちょっと恥ずかしいけど書いてみようと思います。
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「原体験」といっても、特別な出来事はなかったように思う。なので、私が幼少期どんなことを考え、どう過ごしていたかを思い出してみる。
子どもの頃の私は、とにかく人の前に立つことが好きだった。自分が誰よりも目立っていないと気が済まない。そして、”責任感の塊”みたいな子どもだった。
クラスに1人はいた、いわゆる委員長タイプ。(今の私を知っている人にとっては意外かもしれない。)
幼稚園では、いわゆる「ちょっと男子~~!」系女子。いたずらをする男の子は大声で蹴散らし、発表会の類いは常にセンターを陣取る。正直あまり関わりたくないタイプだ。
小学校に上がった頃には活躍の場が広がったことをいいことに、クラス代表に生徒会長、発表会の劇では主役。何かイベントがあれば代表として大勢の前でスピーチ。発表会のオーディションで主役に落選したときには、諦めきれず担任に直談判。脇役を”2役”貰うという執着ぶりだった。
「とにかく全てのリーダーと目立つポジションは私にやらせんかい!!」
と、言わんばかりの勢いでひたすらに突っ走っていた。親としては、ホームビデオの撮りがいがある良い娘だったと思う。
この頃の私は”人の注目を浴びること”、それによって”両親が喜んでくれること”がとにかく嬉しく、その為に努力をし、声を上げ続けていた。
特に、両親に構ってもらえなかったわけでもないし、闇深い何かがあったわけではないはずだが、とにかく極端なくらい前に出ていた。
”今”はどうだろう?
向上心は常にあるが、リーダーシップなんて持ち合わせていないし自ら目立つことを好まない。そんな私の性格が大きく変わったのは、中学生の時だ。
正直、劇的なきっかけはない。 強いて言うのであれば、”失敗体験の連続”だ。
環境が変わり、部活も、勉強も、いくら頑張っても結果が出ない。1番になれない。
何でも上手く出来る自分しか知らなかった私は、頑張っても1番になれない自分をどうしても受け入れられなかった。
そしていつしか、
「負けるのであればそもそもやらない。」
「自分に言い訳するために、本気を出さない。」
つまり、「私は本気を出せば出来るんだ!」という状態を、自分の保険として生み出し続けていた。
本当に卑怯な人間だと、今でも思う。すっかり大人になった今でも、時々この”悪い癖”が見え隠れする。
そんな自分が許せない。そしてとても嫌いだ。
無鉄砲で、自信に満ち溢れていた幼少期の自分が今の姿を見たらどう思うだろうか。「情けねぇな」と笑うだろうか。
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少々暗い話になってしまったけれど、この経験とコンプレックスがあるから、私は日々自分と闘うことができる。保険をかけずともそのままの自分で勝負できる、「本当に実力のある人間」になるために。
あなたの原体験は何ですか?