くだらない自意識とプライドは捨ててしまえ
わたしは自意識過剰な人間だ。
「自意識」とは、自分自身についての意識であり、周囲と区別された自分についての意識を指す。
これが過剰になるとどうなるか。
他者から見た自分のことを意識しすぎるゆえに、自分が他者からどう見られているかを気にしすぎてしまう状態になる。(しすぎいいすぎ)
自意識過剰の例でいうと、私は街中で写真が撮れない。
道の途中で立ち止まってスマホを掲げていたら目立ってしまうし、田舎者だと思われそう(田舎者のくせに)などの理由からだ。
誰も自分のことなんか見てないし、見てたとしても3歩歩くうちに忘れてしまう。そもそもおそらくもう二度と会わない。
二度と関わりもしない人間の目を気にして、自分の行動を制限するだなんて、もったいない。
そう思い、くだらん自意識捨てようキャンペーンを勝手に実施中。
なぜ自撮りか?
それは、自意識のブロックを外すためのひとつの方法として「自撮り」が手軽で効果的だとまえだたかしさんがおっしゃっていたから。
さほど人は自分のことを気にしていないということを知れるらしい。
自分の顔は好きではないが、自意識の壁を打ち破るべく定期的に自撮りを晒していこうと思う。(なお、加工アプリは外せない)(だめじゃん)
ここまでいったら最強。
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続いて、プライドの話。
私自身、プライドはそこまで高くないと思っていた。
悪い意味でプライドの高い人間というと、自分の非を認められなかったり、負けるかもしれない戦いに挑まなかったり、極端に負けず嫌いだというイメージがある。
わたしは比較的素直だと言われる人間だし、当てはまらないんじゃないかな〜と思っていたが、違った。
ダメなやつだと思われたくない、失望されたくない。
これも立派なプライドだということを教えてもらった。
これは仕事の話だが、できない自分を見せたくなくて、キャパ以上の仕事を抱え込み、結果パンクしてしまうという出来事があった。
これは本当に迷惑な話で、プライドを突き通して意地でもやりきれるならまだしも、結局できないなんて最悪のパターンだ。
できない自分を認めて、頼るべきところは頼る。これが自分にとっても相手にとってもベストな方法だと身を以て学んだ。
いや、何度か学んでいるはずなのだが、私はまだまだプライドが捨てきれていないんだ。
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くだらない自意識とプライドはとっとと捨てて、他者に囚われず、自由になろう。自戒を込めて。