クリスマスの灯籠

 AかBで答えなさい。正解はありません。
 解き難い問題が、僕たちには度々提示される。理性と感情をフル回転させ考えるが、往々にしてどちらの答えも悲劇的なものだ。辛いか、悲しいか。
 もちろん両方とも幸福につながることもあるだろう。しかしながら、それは一方の幸せを捨てることであり、結局は悲劇だ。
 ……ネガティブすぎる考えだろうか。
 とにかく、おそらくその問題のせいで、彼女は月へと旅立った。民間の宇宙船に乗り込んで。知らぬ間に。相談なく。
 おかげで僕は、彼女の選んだ答えに幸せが多くありますようにと、月を見て願うことしかできないでいる。
 頭の中を探ると、疲れた顔をコーヒーとアルコールで繕う姿が目に浮かぶ。しかし、僕にできたことなんてあるだろうか。一緒に生きることも、一緒に死ぬことも迷惑な話だったはずだ。そもそも覚悟なんてなかった。考えたことも一度しかない。だから彼女は月へ行った。月に運命の人がいたのかもしれないし、ここには地球人が多すぎたのかもしれない。
 右手に持った携帯端末のディスプレイには、巨大なもみの木の画像が表示されていた。電飾で彩られている。赤、青、黄、緑、白。
「先輩何見てるんですか?」
 僕はその声に気付きながら、反応できなかった。
 パソコンが並ぶ教室の一角で、僕は何を見ているのだろうか。脳裏に彼女が浮かび、目にはイルミネーションが映っているのはわかる。小柄でリスのような女の子が、少し寄ってきたのもわかった。
「先輩聞いてます?」
「うん。聞いてる」
「ぼーっとしてるなんて、珍しいですね」
「次の展覧会のこと考えてた」
 嘘を吐いたが、罪悪感はない。
「去年、入選したんですよね。先生が、我が校初の快挙だったって」
 デザイン専門学校で、絵画や造形の展示会に応募する人が少ないからだろうな。今年はクラスメイトも何名か応募するみたいだし、きっと僕は過去の人になる。
「先輩、今年は何を出すんですか?」
「灯籠」
「トウロー?」
「紙で作った灯籠」
「3Dプリンター使わないんですね」
「使わないよ」
 僕は疲れを隠さずに言った。
「私も何か出そうかな」
「出せばいい。就職したら、きっと出せなくなる」
「制作合宿とかします?」
「しないよ」

 本当は、展覧会に作品なんて出さない。ただ灯籠は作る。火は使わず、明かりが柔らかい電球を中に入れる。秋が終わり、冬来たるこの季節に似合うものを。
 僕は一人暮らしの部屋に戻り、買い物袋をテーブルに置いた。サンドイッチとジャスミンティーのボトルが横に倒れる。
 ダウンジャケットをハンガーにかけて、カーテンのレールに吊るすと、また彼女についての言葉が頭に浮かんだ。
 彼女は僕のきっかけだ。
 ベッドに寝転がり、その言葉から過去を思い出していく。眼下には大穴があり、縄を伝って降りると、意外にも底は明るく、彼女が椅子に座っていた。脚を組み、りんごマークのついたディスプレイの前にいる。
 専門学校の体験入学では、自分自身をイメージしたロゴを作る授業を受けた。A4用紙に手描きしてもいいし、ペンタブレットを使い、イラレやフォトショで作ってもよかった。僕は後者を選んだ。多少は使えたし、セミプロ程度のスキルは持っていると自負していた。短時間で作ったにも関わらず、クオリティもなかなかだった。
 今日の中では一番かもな。僕はそう思って、周りを見た。やはり、そうだねと納得しかけたときに、彼女が見えた。
 彼女は紙を切り、折り、立体的な何かを作っていた。
 ロゴと言っていいのか、わからない。わからないが、僕の中には絶対に存在しないものだった。
 思わず声をかけた。すごいね。
 ありがとう。彼女はそう言って、また作品を作り始めた。
 
 携帯のアラームが鳴り、我に返った。いつの間にか寝ていて、さっきの過去が妄想か夢かわからなくなっていた。
 暗闇の中、体はすっかり冷えている。僕はアラームを止め、エアコンのリモコンを記憶の中から見つけ、点けた。闇夜に赤い星が一点浮かんだ。体は暖かな風でゆるりと解凍されていった。
 二年前の僕は、この道に進むことを決めかねていた。やはり四年制の大学で、他の何かを学んだ方がいいんじゃないだろうか。デザインは趣味でもできる。就職先があっても、輝かしい未来は特に見えない。デザインは好きだ。得意だとも思う。でも、その先へと踏み出す情熱があるかわからなかった。
 でも、僕はこの通り、一歩足を踏み入れた。それは君のせいでもあり、君のおかげでもある。僕はあの日、嫉妬した。そして、打ちのめされた。いいかい、君の才能に打ちのめされたんだ。あの立体物と、今はもう地球上に存在しない君にね。
 僕は部屋の電気を点け、サンドイッチを食べ、ジャスミンティーを飲んだ。サンドイッチにはトマトとハムとチーズが、消費税分は当然含まれていませんといった感じで挟まっていて、なんとなく飲み込んだ。ジャスミンティーもきっと安物で、偽物に近いのかもしれないけど、今の僕にはちょうどよかった。
 食べ終わると僕は作業机の椅子に座り、灯篭制作に取り掛かった。厚紙を切り、窓枠のような長方形の穴を空ける。それを四枚用意し、連なるようにホッチキスで留めた。窓枠を覆うように和紙を貼ったあとは、厚紙を折って、立方体に組み上げた。それから底になる厚紙に乗せてみた。
「随分と下手だな」
 不恰好で、まとまりがなく、今すぐにでも倒れそうだった。これはプロトタイプだし、実際は両手に乗るくらいの小さなものを作る予定だから、別にいいのだけど、彼女がやったらもっと上手だろうなと思ってしまう。彼女と僕の技量は、月と地球よりも離れている気がする。
 僕は練習のために、同じ作業を繰り返した。少しずつ灯篭の大きさを小さくしていく。テレビ画面からパソコン画面、それから携帯のディスプレイの画面の大きさに少しずつ、できる限り、近付けていく。破れたり、折れたり、面白くなかったり、それでも作り続ける。夜が深くなり、微睡み、手がかじかみ、太陽が近くなるのをカーテン越しに感じ、関節がうまく曲がらなくなり、水色の中に白い月が浮かんでいるのを想像し、自分が嫌になり、鳥が鳴き始める中、僕は作り続ける。
 それを何日も繰り返す。
 繰り返すと、だいぶマシになる。ゴミ袋が灯籠の残骸で満杯になると、自信も満たされていく。ただ、完璧はない。手を伸ばしても、届かないものがある。僕は一度も届いたことがない。入選や受賞もうれしいが、手応えはない。彼女はどうだったかな。外から見た限りでは、納得はなかったと思う。
 僕は授業とアルバイト以外は、灯籠制作に没頭した。授業の課題は中途半端なものになっている。アルバイトの出勤日は減らした。先生に心配され、店長からは嫌な顔をされた。でも、今はそんなことどうでもよかった。何もかも辞めてもよかった。灯籠に関係しない自分は、死ぬべきだった。

 ようやく一つ完成したのは、街中がクリスマスカラーに染まり切った頃だった。背中に羽が生えそうな曲が流れ、カップルや家族連れの笑顔が溢れる広告が目に入り、ひとりで缶チューハイを呷る人が減った。あちこちにイルミネーションが現れて、魔法世界に近付いた。浮かれ気分が、無自覚に浮遊しているようだった。
 僕はクリスマスの日に灯籠を持ち出した。両手に収まるサイズにはなったが、鞄の中に入れておいたら壊れそうなヤワなやつだ。
 小さな灯籠は、あの日、彼女が作っていたロゴにどこか似ていた。電球と単三電池を繋いだものを中に入れ、スイッチを押すと、生命の宿った卵のように光が灯る。
 満足ではない。でも、作ることはできた。
 灯籠をマフラーに包み、紙袋に入れ、自転車の前カゴに置いた。夕闇の中、僕は最寄り駅へ向かい、それから繁華街に続く電車に乗った。
 目的地は、イルミネーションに彩られたもみの木だった。僕はもみの木のどこかに、灯籠を鐘のように括り付けたいと考えていた。
 駅の改札口を出ると、すぐにもみの木が見えた。商業施設のイベント広場に聳え立っていて、奉るかのように周りには人が溢れている。どこもかしこも撮影スポットになっていて、もみの木の前でも、ポーズをとるカップルやグループがいた。そして、当たり前のように警備員もいた。
 そりゃそうか。
 僕は心の中で呟きながらも、もみの木に近付いていった。距離が縮まる程に鮮明になるのは、僕とは何もかも違うということだった。僕とは違い、そこには世界を美しく仕上げる光が散りばめられていた。赤、青、黄、緑、白。彩られた光に、僕は負けている。でも、灯籠はどうだろう。
 僕は近くの花壇に灯籠を置き、灯した。
 イルミネーションにはない、優しい光になったと思う。願いを叶えるには、こういう光が必要じゃないかな。そして、奇跡が起きるなら、クリスマスに違いない。だから、プレゼントは彼女の帰還にしてほしい。
 難しいことは知っている。それでも、僕は想像をする。彼女が地球に戻ってきたときのことを。
 知らぬ顔して戻ってきてほしい。できなかったら、知らぬ顔にしたい。コーヒーを淹れたり、安い缶チューハイで乾杯でもして、何事もなかったように。何も選んでないかのように。
 そして、僕はただ伝えたい。たったひとつの言葉を。
 それだけだ。その言葉だけでいいから、届けてくれないだろうか。クリスマスなんだからさ。
 ナスカの地上絵も、ミステリーサークルも、現在進行形で誰かにメッセージを送っているはずだ。届いているかは、わからない。わからないからこそ、存在している。わからないこそ、僕は存在し続けるんだ。
 僕は灯籠を何兆何京と砂漠に並べ、月に向かって光を届けたい。君に向かって、届けたい。いつかまた、君と話せますようにと願いながら。
 商業ビルの大型モニターには、宇宙船の発着時刻が流れている。今日、12月25日は、一便が地球に戻ってきた。
 肩が叩かれる。
 誰だと刹那に思いながら振り返ると、立っていた。なぜか片手に灯籠を持って。僕より上手く、愛されそうな灯籠を持って、立っていた。彼女の灯籠は緑色に光っている。
「月に行ったんじゃ?」
「メリークリスマス」
「信じられない」
「時差ぼけあるかも」
「なんでいるの?」
「月は遠いね。お金もかかる」
「もう会えないと思ってた」
「顔、浮腫んでないかな」
「砂漠の灯籠の計画、頓挫したよ」
「なにそれ」
「計画のこと知らないでしょ」
「その灯籠、作ったの?」
「課題ぼろぼろだよ」
「いい灯籠だね」
「わからない」
「そっか」
「わからないことばかりだ」
 ただ、目の前にある街中の全ての光が輝き、ぼやけるくらいの感情になっているのはわかる。
 彼女は黙って、トレーナーの袖で僕の目尻を拭いてくれた。
 君が帰ってきてくれて、僕はとてもうれしい。

「ありがとう」

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蜂賀三月さんの企画に参加させて頂きました。
https://note.com/apis3281k/n/n3cc83d2205d3 #創作の輪2021  
#アドベントカレンダー2021

まだまだ続きます。
楽しみです。

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